第35話 私が選んだ人
誘拐事件が解決し、グレンフォード家へ戻ったその夜。
遅い夕食を終え、私は自室へ戻っていた。
侍女に手当てをしてもらった手首には、薄い布が巻かれている。
縄で擦れた痕はまだ赤いけれど、それ以外に大きな怪我はなかった。
人質にされていた少女も、幸い怪我はなかったと聞いている。
それだけは、本当によかった。
手当てを終えた侍女が部屋を出ていく。
残ったアシュレイ様は、私の向かいの椅子に腰を下ろした。
「護衛を増やす」
まだ少し険しい顔をしたアシュレイ様が、そんなことを言い出した。
「今後、外出するときは先行の騎士に道を確認させる。馬車の前後にも護衛をつけて、念のため予備の馬車も一台走らせる」
「……それでは、街を歩くたびに大行列になってしまいますわ」
街へ出るときくらいは、できるだけ普通に歩いていたい。
どこへ行くにも騎士をぞろぞろ引き連れるのは、どうにも落ち着かなかった。
「君が攫われたと聞いたとき、生きた心地がしなかった」
「……」
あまりにも真っ直ぐ言われて、何も返せなくなる。
「だから、二度と同じことにはしたくない」
「お気持ちは嬉しいですけれど……今まで通りで十分ですわ」
どちらかというと守るべきは、関わりのある商会や孤児院だろう。
また私を狙うために、誰かを巻き込まれては困る。
「それよりも、護身術とかを習ってみたいですわね。せめて逃げる時間くらいは、自分で作れるようになりたいですわ」
「分かった。教えられる者を手配しよう」
「反対なさらないんですのね」
「君がやりたいんだろう?」
あまりにも当然のように返されて、少しだけ目を瞬いた。
「……外出するなとは、おっしゃらないんですのね」
「言ってほしいのか?」
「まさか」
即答すると、アシュレイ様の口元がほんの少し緩んだ。
「なら言わない」
「でも……本当は、止めたいのではありません?」
少しだけ間があった。
今回のことで、どれだけアシュレイ様に心配をかけたか。
自分の選択に後悔はないけれど、それでも怒られる覚悟ぐらいはしていた。
ここまで好きにしていいと言われると不安になるのだ。
「もちろん、止めたいくらいには心配している」
「……」
「だが、君の自由を奪いたいわけじゃない」
アシュレイ様がまっすぐに私を見る。
「どうするか決めるのは、あくまで君だ」
「……少し意地悪なことを言ってしまいましたわね」
──目の前の人は、フレデリックとは違うのに。
なんでこんなことを言ってしまったのだろう。
アシュレイ様の言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「アシュレイ様。……一つだけ、お願いしても?」
「何だ?」
改めて口にするのは、少しだけ勇気がいった。
「今夜は、そばにいてくださいますか」
アシュレイ様が黙った。
「あ……いえ、その」
「もちろんだ」
「……はい?」
「今夜は、ずっとそばにいる」
あまりにも簡単に答えるから、今度はこちらが黙ってしまった。
「それだけでいいのか?」
「十分ですわ」
「そうか」
アシュレイ様が立ち上がる。
そして私の隣まで来ると、そのまま腰を下ろした。
「……近くありません?」
「そばにいてほしいと言ったのは君だろう」
「そこまで近くとは言っておりませんけれど」
「なら離れるか?」
ほんの少し迷ってから、首を横に振った。
「……そのままで」
「ああ」
肩が触れそうな距離。
不思議と、それだけで落ち着いた。
「リディア。無事に帰ってきてくれて、よかった」
それだけだった。
けれど、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……私も」
「ん?」
「帰ってこられて、よかったですわ」
改めて思う。
私の居場所は、ここなのだと。
「アシュレイ様」
「何だ?」
「私、公爵夫人になりたかったから、あなたの隣にいるのではありません」
アシュレイ様がこちらを見る。
「最初にこの家へ来たときは、行く場所がなかっただけでしたけれど」
「……そうだな」
「でも、今は違います」
私は少しだけ身体を寄せた。
「ちゃんと、ここへ帰りたいと思いました」
少し迷ってから、付け足す。
「……あなたのところへ。ここが私の居場所なんだって」
アシュレイ様が、わずかに目を見開く。
それから、私の手をそっと握った。
「……嬉しいな」
「アシュレイ様でも、そんなことをおっしゃるんですのね」
「私を何だと思ってる」
思わず笑ってしまった。
「でも、そんなことを言われたら、もう手放せなくなる」
「そんな予定はありませんわ」
「ならいい」
今度はアシュレイ様が、少しだけ笑った。
その手が、そっと私の頬に触れる。
「リディア」
「はい」
「キスしても?」
頬が熱くなる。
けれど、もう答えに迷うことはなかった。
「……はい」
妻だからではない。
望まれたからでもない。
私が、この人に触れてほしいから。
目を閉じる。
触れた唇は、驚くほど優しかった。
ほんの短い口づけ。
離れたあと、私は自分から少しだけアシュレイ様へ寄り添った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これにて本作は完結となります・・・!
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婚約破棄された落ちこぼれ令嬢ですが、ここが自分が作ったゲームの世界だと気づいたので自由気ままに生きていきます~王宮の注文に間に合わない?私より優秀な義妹に頼めばいいでしょう。どうぞお幸せに~
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