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妹に婚約者を奪われたので譲りますが、後始末はお断りです~今さら家族ぶられても、こちらから願い下げです~ 【連載版】  作者: アトハ
2章 役に立てる場所

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第15話 たしかに変わったもの

 医療院へ向かう馬車の中で、私は膝の上の帳面へそっと手を置いた。


 向かいには、アシュレイ様がいらっしゃる。

 今日は、私一人の視察ではない。

 試験導入を決めた以上、その後を見に行く必要があるとおっしゃって、こうしてご一緒くださっていた。


 決めてから、まだ数日しか経っていない。

 たった数日で何もかも変わるはずはない、と頭では分かっている。


 それでも、落ち着かない。

 あの場の危うさを見てしまった以上、なおさらだった。


「緊張しているのか」


 静かな声で問われて、私は顔を上げた。


「……はい」

「意外だな」

「そうでしょうか」

「君は、こういう場に慣れているように見える」


 私は小さく息をついた。


「慣れていることと、失敗したくないことは別ですわ」

「失敗したくない、か」

「……はい。ここでは、きちんと役に立ちたいのです」


 そう口にしてから、少しだけ気恥ずかしくなる。

 けれどアシュレイ様は笑わなかった。


「君らしいな」

「そうでしょうか」

「ああ。だが、一人で背負い込む必要はない」

「……はい」

「うまくいっていないところがあれば、一緒に見ればいい。それだけだ」


 その言い方があまりにも静かで自然で、不思議なほど安心した。


「ありがとうございます」

「礼は見てからでいい」


 馬車が止まり、扉が開く。

 薬草と消毒液の匂いが、今日も変わらず鼻をかすめた。




***


 事務室へ入ると、最初に目に入ったのは机の端へ重ねられた新しい帳面だった。


 以前より薄く、どことなく整理されている印象を与えた。

 よく見ると試験用と分かる印がついている。


「お待ちしておりました、リディア様、公爵様」


 迎えてくださったイルゼは、前回より柔らかな表情をしていた。


「本日もよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。お時間をいただき、ありがとうございます」


 机の横には、備蓄庫の担当者も立っていた。

 相変わらず愛想のよい顔ではないが、前回のような露骨な刺々しさはない。


「その後、いかがですか」


 私がそう尋ねると、イルゼは新しい帳面へ手を置いた。


「まだ数日ですので、確かなことは申せません」

「ええ、もちろんです」

「ですが……急ぎの情報は、ちゃんとここに集まるようになりました」


 私は思わず帳面へ目を落とした。


「うまくいっている、ということですか?」

「はい、急ぎの情報を見る場所がすんなりと決まる──緊急の時には、かなり助かりそうです。リディア様のご提案のおかげです」

「皆さまが動いてくださったからですわ」


 イルゼは小さく首を振った。


「まさかこのような小さな工夫で、ここまで見違えるとは思っていませんでした」


 そう言ってから、帳面を開いて数枚の控えを見せてくださる。


「急ぎの時は、どうしても書き漏れは出ています。それでも以前と比べれば、皆さんの意識も変わったように思うのです」

「……意識?」

「はい。後でやればいいではなく、たとえ雑でもその場で残そうとする意識です。それだけでこちらの手間は、段違いです。これもやってみて分かったことですね」


 少なくとも、現場の空気は変わり始めているらしい。

 制度を整えただけのつもりだったから、それは嬉しい誤算だった。



「イルゼさん! 三番病棟の包帯布が──」


 ──その時、若い看護役の女性が事務室に飛び込んできた。

 そこまで言って、彼女は私たちに気づき、はっと口を閉じた。


「も、申し訳ございません」

「構いませんわ。どうなさいましたの?」

「あの、包帯布の残りが少なくて……追加をお願いしたくて」


 イルゼは新しい帳面へ目を落とした。


「包帯布は、まだ余裕がありますね。追加で四束までなら出せます」

「ありがとうございます!」


 イルゼが、新たに用意された帳簿を指差し、看護役の女性に示した。

 そのまま看護役の女性は帳簿に何かを書き込み、ぱたぱたと走り去っていった。


「いずれは私を介さずに、一目で分かる形にしたいところです」

「そうですわね。なら、大きな板を一枚置いて、主要な備品の在庫だけでも常に分かるようにするとかは?」

「いいアイディアだと思います。でも油断すると、また備品とのずれが出てしまいそうですね」

「もっともな懸念ですわ。なら──」


 現場にいるイルゼだからこそ、見えているものがあるのだろう。

 気がつけば私は、その場でイルゼと次の案を話し始めていた。


「──っ、申し訳ありません、アシュレイ様。すっかり話し込んでしまって……」

「構わない。君が動くところを近くで見られて、私も楽しかった」


 イルゼの微笑ましいものでも見るような視線が刺さった。


「もう、またそのようなことをおっしゃる……」


 私は小さく唇を尖らせた。

 


 昼前、私とアシュレイ様はイルゼの案内で病棟をひと回りした。


 廊下は相変わらず静かとは言い難い。

 診察を待つ人の声、器具の触れ合う音、誰かを呼ぶ足音。


 忙しさそのものは何も変わっていなかったけれど、働く人の表情はどこか明るくて。


「リディア奥様! この間の新しい記述式、慣れるととても便利そうです」

「ぜひ、他の薬品にも広げていきたいです!」


 そんな風に声をかけられ、思わず胸が熱くなった。


「まだ慣れない者もおりますけれど、それは時間が解決してくれると思います」


 イルゼが隣で言う。


「これが全て上手く回っていけば、きっとこの医療院はもっとよくなります」

「私の提案は、ちょっとした工夫です。大げさですわ」

「リディア様、そのちょっとした工夫こそが大事なんです」


 イルゼは、そう言って心から安堵したように微笑んだ。


 ──それだけで十分だった。


「少しは、お休みになれましたか?」

「一昨日は、久しぶりに寝台へ入ってすぐ眠れました。……お恥ずかしい話ですけれど」

「お疲れだったのでしょう。恥じることはありませんわ」


 私がそう口にすると、イルゼは一瞬だけ目を見開き、それから小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


 そう言って、イルゼはほんの少しだけ笑った。

 初めて見る、力の抜けた笑みだった。


 ああ、と私は小さく息をついた。

 私が動いたことで、イルゼの肩の力が少しでも抜けたのだと分かって、それだけで十分うれしかった。



 帰り際、事務室の前でヴェルナー院長とお会いした。


「リディア様、公爵様」


 院長は足を止め、私たちへ向き直る。


「本日も見ていただき、ありがとうございました」


 院長の視線はまず私へ向き、それからアシュレイ様へ移った。


「こちらこそ、途中で何度もお邪魔して申し訳ありません」

「いいえ。リディア様には感謝しかありません。いつでも歓迎します」


 そう言ってから、ヴェルナー院長は一度だけ帳面の方へ目を向けた。


「こちらが長く手をつけられずにいたものが、こうも簡単に動き始めるとは」

「いいえ、まだ解決はしていませんわ」

「ですが、動きだした。それが大事なのです──これもリディア様のおかげです」


 その言葉に、私はすぐ返事ができなかった。


 過大評価がすぎる。

 私が照れを隠すようにアシュレイ様に視線を送ると、


「これが君の成し遂げたことへの言葉だ。きちんと受け取っておくといい」


 そんなことを言いながら頷いたため、


「……行きましょう」


 私は表情が崩れないように務めるのに精一杯だった。




***


 屋敷へ戻り、私はアシュレイ様と執務室に向かう。

 医療院ではずっと近くにいたのに、屋敷に戻って向き合うと、ようやく肩の力が抜けた。


「君はどう見た」

「大成功と申し上げるには、まだ早いです。ですが動き出しております」


 私は、今日見たことを順に振り返る。


 包帯布の追加がすぐ通ったこと。

 薬液の流れが見やすくなっていたこと。

 イルゼの負担が、ずいぶん軽くなっていたこと。


 話しているうちに、自分でも分かるくらい声に熱が入る。

 それは確かな変化だった。


「……そうか」


 アシュレイ様は短くそうおっしゃった。

 けれど、その目は静かにやわらいでいた。


「はい。まだほんの少しですけれど」

「それでも十分だ。ヴェルナー院長があそこまで素直に人を褒めるのは珍しいぞ」

「……皆さん、大げさなんですから」


 真っ直ぐな褒め言葉には、未だに慣れなかった。


「君はもっと胸を張っていい。あれは、君でなければ形にできなかった」


 その言葉に、私は視線を落とした。

 うれしいのに、どう返せばよいのか分からない。


 机越しに、アシュレイ様の手がそっと伸びてくる。

 指先が触れるだけの控えめな動きなのに、それだけで胸の奥がじんわり熱くなった。


「今日は、よく眠れそうか」


 低い声でそう問われて、私はようやく小さく笑う。


「……たぶん」

「それはよかった」

「アシュレイ様こそ、ご報告を聞いて少しは安心なさいましたか」


 アシュレイ様は、私の指先を包んだまま、わずかに目を細めた。


「した」

「でしたら、よかったです」

「……それだけか?」

「え?」


 顔を上げると、視線がまっすぐ重なる。



「私は、もう少し喜んでもいいと思っているが」


 何のことかすぐには分からなかった。

 けれど、その声の低さと目元の熱に気づいて、ようやく意味を悟る。


「……急にそういうことをおっしゃるのは、ずるいです」

「そうかもしれないな」


 その返しが静かな分だけ、余計に落ち着かなくなる。


「でも」

「うん?」

「少しくらい、褒められてもよろしいかもしれません」

「そのつもりでいた」


 次の瞬間、額へそっと口づけが触れた。

 それだけなのに、胸の奥までやわらかく熱くなる。


「……そんなふうに言われたら、困ってしまいますわ」


 小さくそう言うと、アシュレイ様の指先がわずかにやわらいだ。


「もう、アシュレイ様は時々意地悪ですわ」

「嫌か?」

「……もう、分かっていらっしゃるくせに」


 思わず少しだけ口を尖らせると、アシュレイ様がわずかに目を細めた。


「……わたくしも、これからも隣にいたいですわ」

「ああ。これからも頼らせてほしい」


 その言葉が、胸の奥に静かに残った。



 ──返したいと思えるものがあって、それを受け取ってくれる人がいる。

 それだけのことで、明日が少し楽しみになる。

 少し前の私なら、きっと想像もできなかった。

これにて2章完結です!


3章からは、いよいよ実家が失ったものの代償が表に出てきます。

お楽しみに!


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