第14話 【SIDE:セシル】手遅れだと知らないまま
春の催しが近いというのに、最近は面倒なことばかり増えていた。
返書だの確認だの、似たような紙が机の上へ次々積まれていく。
以前なら、こんなものはお姉さまと侍女が済ませていたはずだ。
なんで私がこんなことを見なくてはいけないのよ、とセシルは朝からむくれていた。
紙の上には、どれもこれも似たような文言が並んでいる。
どちらへ先に話を通すか。
どこまで確認が済んでいるか。
先に返すべきはどの件か。
──私が知るわけないでしょ、そんなもの。
そう思って紙を放り出したくなったところで、父に呼ばれた。
執務室へ入ると、父は機嫌の悪い顔で書類を広げていた。
母もその横に座っているが、こちらは苛立っているというより落ち着かない様子で、何度も同じ紙へ目を落としている。
「来たか」
父はそう言って、机の上の紙束を軽く叩いた。
「春の催しの返書が遅れている。寄付の名目整理も止まっている。グレンフォード公爵家から入るはずの支度金の件も、まだ話が進んでおらん」
「ですから?」
「ですから、ではない」
父の声が低くなる。
「お前も少しは中を見ろ。ヴァレントン伯爵家へ入るつもりなら、こうしたことも何も知らぬでは済まん」
「は?」
セシルは目を見開いた。
「どうしてわたくしが、そんな細かいことまで覚えなければならないのですの?」
「細かいで済ませるな」
「だってそうでしょう? そういうことは、下の者が整えて上へ持ってくるものではありませんの?」
「その整える者がいないから滞っているのだ」
「お姉様がいないから、とでもおっしゃるの?」
思わず、語気が強くなった。
「少し書類仕事ができたから何だというのです。そんなもの、誰かにやらせればいいではありませんか」
「誰かにやらせるにも、見て分かる者が要る」
「そんなの、わたくしの役目ではありませんわ!」
きっぱり言い切ると、父は深く息を吐いた。
まるで自分が物の分からない子供みたいではないか。
その反応が、セシルにはよけい腹立たしかった。
──少し書類仕事ができたからって、それが何なのよ。
そんなもの、必要ならまたやらせればいい。
セシルは苛立ったまま執務室を出て、自室へ戻った。
「お茶をお願い」
侍女へそう言いながら椅子へ腰を下ろすと、机の上へ視線を落とす。
まだ胸の内はむかむかしていた。
父の言い方も気に入らない。
まるで自分に、お姉様みたいな真似をしろと言っているようだった。
冗談ではない。
そんな細々したことに追われるために、フレデリック様の隣へ立つわけではないのに。
「……お姉様に書くわ」
ぽつりとそう言うと、侍女が目を上げた。
「お手紙でございますか」
「ええ。こういう時だけ知らぬ顔をされては困りますもの。もともとあの人が関わっていたことなのだから、少しは責任を持つべきでしょう」
そう。
それでいいのだ。
戻ってきたら、今度こそ勝手は許されないと分からせてやればいい。
家のためにきちんと働かせればいいのだ。
そうすれば、少しは反省もするだろう。
「セシル、いるの?」
返事を待たずに入ってきたのは母だった。
まだ少し疲れた顔をしていたが、先ほどよりは機嫌がましに見える。
「あら、お母様」
「聞いたわよ。リディアに手紙を書くのよね?」
侍女が気まずそうに頭を下げる。
セシルはむしろ、ちょうどよいと思って頷いた。
「ええ。このまま何もしないのも癪ですもの。少しは自分の立場を思い出していただかないと」
「そうね。……それなら、支度金のことも書いておきなさい」
「支度金?」
母はごく当然のように頷いた。
「そうよ。せっかく公爵家に嫁いだのだもの。エヴァンズ伯爵家の人間なら、家に利があるように働きかけるのが当然でしょう」
「それもそうですわね」
あまりにも当たり前のような口ぶりだった。
「支度金が入るんだからって、春の催し用に新しく一式あつらえてしまったのよ。どうせ入るはずのお金なのだからと、先に立て替えてもらったの。あまり遅れると利子が嵩むのよ」
「え? 借金してるんですの?」
「悪い? どうせ入るはずのお金なのだから、何も問題ないでしょう」
そう言われてしまえば、たしかにその通りなのかもしれなかった。
お姉さまなら、そのあたりもきちんと整えるはずだ。
セシルはそれ以上気にせず、素直に頷いた。
母はさらに便箋へ目を落としながら言った。
「変に下手へ出る必要はないわ。家のためなのだから当然のことよ」
「ええ」
「感情で拗ねている場合ではない、ときちんと書いておやりなさい」
「ええ、お母様」
母にそう言われると、ますます自分が正しいような気がしてきた。
やはり皆、心の底では分かっているのだ。
お姉様が勝手をして出て行ったから、こちらが余計な苦労をしているのだと。
ならば、少し厳しく言い聞かせるくらい当然ではないか。
セシルは便箋を広げ、迷いなく羽根ペンを取った。
『お姉様へ
いつまで意地を張っていらっしゃるの。
あなたが勝手なことをしたせいで、こちらがどれほど迷惑しているか少しはお考えになって。
支度金の件も、いまだに進んでおりません。
せっかく公爵家に嫁いだのだから、そのくらいはきちんと働いてもらわないと困ります。
もともとあなたが関わっていた話なのだから、責任を持って片づけるべきでしょう。
公爵家へ入ったからといって、実家への務めがなくなるわけではありません。
そろそろ気持ちの整理をつけて、早く戻っていらっしゃい。
いつまでも感情で拗ねていてよい立場ではないのですから。
妹より愛を込めて セシル』
書き終えるころには、胸のつかえが少し取れていた。
そうだ。
これくらいはっきり言わなければ、お姉様はいつまでも自分の都合ばかり優先するに決まっている。
少しくらいきつくても、それは家のためだ。むしろ、妹である自分が言ってあげるべきことなのだ。
「これを公爵家まで届けてちょうだい」
近くにいた侍女へそう命じる。
相手はほんのわずかにためらってから頭を下げた。
「……かしこまりました」
その間が少し気に障ったが、セシルは何も言わなかった。
これでよい。
これで少しは、お姉様も目が覚めるだろう。
家のためを思うなら、あの人にできることは一つしかないのだから。
***
──そうして届いた手紙を見て。
「……なんだ、これは?」
「その──なんでしょうね、これ」
私とアシュレイ様は、ただただ絶句していた。
最後まで読んではみたものの、感想らしい感想も出てこない。
ただ、ずいぶん堂々と都合のよいことが書いてあるものだと思っただけだった。
「えっと……、燃やしましょうか」
「ああ、そうだな。紙質は上等だ、よく燃えるだろう」
恥ずかしすぎて、身内のことだとは思いたくもなかった。
私は、そっと薪に手紙を放り込む。
……よく燃えた。
紙の端が黒く巻き、文字はすぐに潰れて見えなくなる。
あれほど好き勝手に書かれていたのに、灰になるのは驚くほどあっけなかった。
まるで、向こうがまだ握っていると思い込んでいる縁そのものみたいに。
「こんなものを寄越した時点で、向こうがどれだけ切羽詰まっているかよく分かるな。もう君は、あちらの都合で呼び戻せる相手ではないのに」
暖炉の火を見たまま、アシュレイ様が淡々と言った。
「表向きには取り繕えていても、婚約の扱いも、その後の運びも軽率だったからな。そこへ今さら君へこんな手紙を寄越せば、余計に印象を悪くするだけだ」
「……おっしゃる通りです。身内のことで恥ずかしい限りです」
──次からはアシュレイ様に見つかる前に、そっと燃やしてしまおう。
私はそう固く固く決意するのだった。
「…………こほん。こんなものより、明日の視察の件なのですが──」
「ああ、そうだな。リディア、あまり根を詰めすぎないように」
「根を詰めすぎてはいないです。でも、もう少しだけ確認しておきたくて……」
「そうか。ならもう一度説明すると──」
暖炉の中で手紙はあっけなく崩れ、私たちの話はもう明日の視察へ移っていた。
──その頃のセシルは、もう自分たちがまともに取り合われてもいないことを、まだ知らなかった。
支度金を当てにして金を使っていた母も、同じだった。
二人とも、本気でリディアが戻り、家のために働くものと信じていたのである。
エヴァンズ家は、そうと気づかぬまま、ゆっくりと後戻りのできないところへ向かい始めていた。
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