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妹に婚約者を奪われたので譲りますが、後始末はお断りです~今さら家族ぶられても、こちらから願い下げです~ 【連載版】  作者: アトハ
2章 役に立てる場所

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題13話 止まらない場所のために

読みやすさのため、章分けしてみました!

※ 本編に変更はありません

「これ以上、帳面を増やす余裕はありません」


 備蓄庫の担当者が、ぴしゃりとそう言った。

 事務室の空気が、一気に張り詰める。



「増やすつもりはありません。書く手間は、むしろ減らせると思います」


 私がそう言うと、相手は怪訝そうに顔を上げた。


「書く手間を減らす。そのようなことが可能なのか?」

「はい。不可能ではないと思っております」


 私は紙を広げて説明を始める。


「まずは、急ぎの情報だけが集まる帳面を一つ用意したいのです。増やすと言っても、複雑なものではありません」

「……結局、帳面を増やそうというのか。何のためだ?」

「緊急時の流れを、あとから無理なく辿れるようにしたいのです」


 私の説明に、備蓄庫の担当者は渋い顔をしていた。



「……そんなことが可能なのですか?」


 一方、イルゼの問いには、さきほどまでとは違う熱があった。

 疑うというより、確かめずにはいられないという響き。


「今は、病棟で残る記録と、備蓄庫で残る記録と、事務で拾う記録が、それぞれ別の形になっていますよね」

「ええ、その通りです」

「ですから急ぎのときは、あとから記録を戻す形になるせいで、それぞれが綺麗に揃わないまま進んでいた。それをイルゼさんが、一つずつ突き合わせて申請書にまとめていらした。そうでしたわよね?」


 イルゼが、小さく頷く。


「……記録そのものより、あとから合わせ直す手間の方が、今は重くなっているように見えました」

「ええ。否定はできません」

「ですから、その役目を少し軽くしたいのです」


 私は、紙の上を指先で押さえる。


「急ぎのときに先に物を動かすのは当然です。そこを止めるつもりはありません。ただ、後で帳面へ戻すときに、戻す先を一つにしたいのです」

「なるほど……、戻す先を」

「はい。そこだけ見れば最低限の流れが追えるようにしたいのです」


 イルゼが納得したように頷いた。

 一方、備蓄庫の担当者が腕を組んだまま不機嫌そうに言った。


「事情は納得しました。イルゼ殿の手間が減るのは結構です。ですが、そのために今度はこちらが書きものに追われるのでは意味がない」

「もっともですな」


 ヴェルナー院長が頷いた。


「今の形も、好きでこうなったわけではない。そこまで手が回らないから、どうにかこの形で繋いできたのです」


 私はそのまま言葉を継いだ。


「最初に説明した通りです。書く量はほとんど増えません」

「……だが、新たな帳簿を増やすという話だろう。その書き方を覚える手間だけで、明らかに現場の負担になる」

「そこはおっしゃる通りです。ですが最小の情報だけを記す帳面があれば、今ばらばらになっている書き方も、少しずつ揃えていけるはずです。そうなれば、いずれは手間も減らせると考えております」

「たしかに、一理ありますな。どうしても帳簿には、それぞれの担当者ごとに癖が出ておりましたからな……」


 私の言葉を受けて、ヴェルナー院長がそう苦笑した。


「最小の情報だけを記した帳面を作ることで、いずれは医療院全体の帳面も簡略にしていく。そういうことですかな?」

「理想としては、そうできればと思っております」


 ヴェルナー院長は、なにかを考え込むように顎に手を当てた。


「最小の情報というのは?」

「たとえば、品目名と数、それに時間です。それだけでも、何がどれだけ動いたかは追えます」

「だがそれだけでは、取り扱う上での注意が伝わらないではないか」

「薬品なら担当者が見れば十分に伝わります。大切なのは余計な情報を増やすことではなく、必要な情報が散らばらないこと──後で追うには、その方がずっと都合がよいのです」


 私はそう断言する。

 帳簿を合わせる側から見れば、それだけでも十分に意味がある。


「なるほど。たしかに興味深い」


 けれどヴェルナー院長は、そこで頷いて終わらなかった。


「ですが……、仮に採用するとして、どうしても混乱は避けられますまい」


 今度の問いは、先ほどよりも真っ直ぐだった。



「ですから最初から全部は動かしません。まずは一部の薬液と包帯布から導入してみたいのです」

「……なぜ、その二つを?」

「一番動きが多く、揺れも出やすいからです。そこが回れば、他へ広げる目安になります」

「なるほど。それなら筋は通りますな」

「無理が出るようなら、そこで止めます。方法を見直すべきです」


 たしかに今の言葉は、届いている手応えがあった。


「……理屈は分かります」


 そう切り出したのは、備蓄庫の担当者だった。

 けれどその顔には、まだ完全に納得した色はない。


「ですが、大きくやり方を変えることになります」

「……」

「こういうものは、始めるより止められる時の方が厄介です。上が否と言ったら、その混乱を引き受けるのは我々です」


 その言葉に、ヴェルナー院長も小さく頷いた。



 ──そこを案じられるのは、当然ですわね。

 私は一度だけ息を整えた。ここで言葉を濁せば、ほどけかけた空気は、また固まってしまう。


「この件は、すでに公爵様にもお話ししております」


 その瞬間、備蓄庫の担当者の目がわずかに見開かれた。

 ヴェルナー院長も、はっきりと顔を上げる。


「公爵様に?」

「はい。まずは一部の薬液と包帯布から試してよいと、お許しもいただいております」


 事務室が静まり返る。

 先ほどまで渋い顔をしていた備蓄庫の担当者も、今度は何も言わなかった。


「万一、問題が出た場合は、わたくしが責任をもって間に立ちます」

「奥様が、ですか」


 備蓄庫の担当者が、腕を組んだまま低く問う。


「現場の不都合まで?」

「そのために、先にお話ししたのです」


 私は静かに答えた。


「いくら良くしたいと思っていても、それが現場の重荷になるのであれば間違っています。ならば、そこはわたくしが引き取らねばなりません」

「……」

「皆さんに強要するつもりはありません。ですが力を貸していただけると嬉しいです」


 そうして私は、真っ直ぐに頭を下げた。



 深々とした沈黙が広がる。


「そんな──やめてください、次期公爵夫人ともあろう方が」


 最初に口を開いたのは、イルゼだった。


 ヴェルナー院長と改めて目があった。

 その目つきは、先ほどまでよりずっとやわらいでいた。


「……まったく、リディア様には叶いませんな」


 ぽつりと、ヴェルナー院長が言った。


「え?」

「普通なら医療院の帳簿を眺めて、予算を削るか増やすか命じて終わりでしょう」

「……」

「ですが、あなたは違った。現場を見たうえで、どこが重く、どこなら変えられるかを考えておられる」


 思いがけない言葉だった。

 イルゼが、小さく目を伏せる。


「わたくしも、そう思います」

「イルゼさん……」

「最初は、また外から帳簿だけ見て、増やせ、減らせと言われるのだと思っておりました」

「……そのような無責任なことは、いたしません」

「ええ……。まさか、そこまで見てくださる方がいるとは──正直に申しますと、少しほっといたしました」


 ヴェルナー院長も、おもむろに口を開く。


「そこまで話が通っているのなら、こちらとしても反対ばかりはできませんな」

「ありがとうございます」

「……ただし、面倒が増えたと思えば、その時ははっきり申し上げます」

「ぜひそうなさってください。そのための期間ですから」


 ヴェルナー院長は深く頷いた。



「分かりました。では、まずはその二つだけ試してみましょう。一部の薬液と包帯布から。戻す先は一つにし、書き方はリディア嬢の示した形に揃えること」

「ありがとうございます。無理が出ましたら、どうか遠慮なくご相談ください」


 ようやく事務室の空気が少しやわらいだ。

 そうして今後の方針が決まり、今日は解散となった。



「リディア様」


 人がいなくなったあと、イルゼが小さく頭を下げた。


「ありがとうございます。……正直に申しますと、このやり方は、どこかで限界がくるとは思っておりました」


 その静かな言葉が、かえって胸に落ちた。

 

「ですから、今回のお話は……ありがたかったです」

「そう言っていただけたなら、よかったです」


 イルゼはそこでようやく、少しだけ肩の力を抜いた。

 その様子を見て、私はもう厄介な部外者ではなく、同じ問題に向き合う相手として受け入れてもらえたのだと感じた。


「イルゼさんは、グレンフォード公爵領に必要な方です。これからもよろしくお願いします」

「そのお言葉だけで、今夜は少し眠れそうです」


 そう言葉を交わし、私は医療院をあとにした。

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