火神カドラ
体育館は、完全な戦場と化していた。
生徒たちが、神の力を使って争っている。
金色の光、赤い炎、紫の稲妻、緑の癒し、橙の略奪、黒い闇。
様々な力が飛び交い、悲鳴が響く。
「やめろ!」
蓮は叫んだが、誰も聞いていない。
柚木は、佐藤と戦い続けている。
しかし、佐藤の力は異常だった。
完全に戦の神に支配されている。
「蓮、逃げろ!」
柚木が叫んだ。
「もうすぐ、本体が来る!」
「本体?」
その瞬間──
体育館の天井が、割れた。
轟音と共に、瓦礫が降り注ぐ。
そして、そこから。
何かが降りてきた。
巨大な、赤い人影。
いや、人ではない。
人の形をした、炎と殺気の化身。
その存在感だけで、体育館中の空気が変わった。
重く、熱く、そして恐ろしく。
「これが…」
蓮は息を呑んだ。
「戦の神、【火怒羅】」
クヤの声が、震えていた。
「まずい。本当にまずい」
火怒羅は、体育館の中央に降り立った。
その足元の床が、熱で溶けていく。
生徒たちは、恐怖に凍りついた。
争いも、一瞬で止まった。
「我が器よ」
火怒羅の声が、体育館に響いた。
低く、轟くような声。
「よくやった」
火怒羅は佐藤を見た。
佐藤は膝をついた。
「火怒羅様…」
「褒美をやろう」
火怒羅が手を振った。
瞬間、佐藤の体が赤く輝いた。
そして──
佐藤の体が、変化し始めた。
筋肉が膨れ上がり、目が完全に赤く染まり、体中から炎が立ち上る。
「うおおおお!」
佐藤──いや、もはや佐藤ではない何かが、雄叫びを上げた。
「これが、完全な器だ」
火怒羅は満足そうに言った。
そして、蓮を見た。
「お前が、最厄の器か」
蓮の体が硬直した。
火怒羅の視線だけで、体が動かない。
「小さな器だな。だが、中身は本物だ」
火怒羅は一歩、蓮に近づいた。
床が、その足跡から燃えていく。
「最厄。出てこい」
火怒羅が命じた。
蓮の中で、クヤが答えた。
「…久しぶりだな、火怒羅」
クヤの声は、珍しく緊張している。
「貴様、まだ生きていたか」
「ああ。しぶとくてな」
「ならば、今度こそ消してやる」
火怒羅が手を振り上げた。
その手に、巨大な炎の剣が現れた。
「死ね」
炎の剣が、蓮に向かって振り下ろされた。
「蓮、動け!」
クヤが叫んだ。
蓮は反射的に横に飛んだ。
炎の剣が、蓮がいた場所を叩き割った。
床に、巨大な亀裂が走る。
「逃がすか」
火怒羅が再び剣を振るった。
蓮は転がって避けた。
「柚木、手を貸せ!」
柚木が蓮の元へ駆けつけた。
「分かった!」
柚木は蓮の腕を掴んだ。
「行くぞ!」
柚木の体が、風に包まれた。
瞬間、二人は高速で体育館を飛び出した。
自由の神の力、【風翔】。
「逃がすか」
火怒羅が後を追おうとした。
しかし、その瞬間──
「待て、火怒羅」
別の声が響いた。
金色の光が現れ、人の形を取った。
「創造神、【アルティス】か」
火怒羅は舌打ちした。
「貴様、邪魔をするのか」
「違う。ただ、今は時期ではないといっているのだ」
アルティスは穏やかに言った。
「最厄の器は、まだ力を使いこなせていない。今、追い詰めても、暴走するだけだ」
「それが何だ」
「暴走した最厄は、お前も、私も、すべてを消し去る」
アルティスの言葉に、火怒羅は黙った。
「…ちっ」
「時を待て。最厄の器が力を制御できるようになったとき、正々堂々と戦えばいい」
「…好きにしろ」
火怒羅は炎と共に消えた。
アルティスも、金色の光となって消えた。
体育館には、呆然とした生徒たちだけが残された。
7
校外。
柚木と蓮は、学校から数百メートル離れた路地裏にいた。
「はぁ…はぁ…」
蓮は荒い息をついた。
「助かった…」
「いや、まだ終わってない」
柚木は空を見上げた。
「火怒羅は引いたが、他の神々も動き出す」
「クヤ、どうすればいい」
蓮は心の中で呼びかけた。
「…逃げるしかない」
クヤの声は、重い。
「火怒羅だけじゃない。創造神のアルティス、強欲神、知恵神、混沌神。みんな、お前を狙い始めた」
「この世界のどこへ逃げても、無駄だ」
「じゃあ…」
「この世界じゃない場所へ逃げる」
クヤの声が、決意を帯びた。
「俺が、追放される前に住んでいた場所へ」
「追放される前…?」
「ああ。【虚無ノ境】」
クヤは続けた。
「そこは、何もない。ただの無が広がる大地だ」
「神々も、そう簡単には来られない」
「そこを拠点にする」
蓮は決断した。
「分かった。行こう」
「待て」
柚木が蓮の肩を掴んだ。
「俺も連れてけ」
「え?」
「お前一人じゃ、戦えない。俺も力を貸す」
柚木は真剣な目で蓮を見た。
「自由の神は、俺に言ってる。『お前の好きにしろ』って」
「だから、俺はお前についていく」
蓮は頷いた。
「ありがとう」
「じゃあ、行くぞ」
クヤの声が響いた。
「最後の力を振り絞る。耐えろ、蓮」
蓮の体が、激しく熱くなった。
胸の奥から、膨大な力が溢れ出す。
「うっ…」
「我慢しろ」
黒い光が、蓮の体を包んだ。
そして、柚木も一緒に。
「転移するぞ」
空間が、歪んだ。
蓮の視界が、真っ暗になった。
8
次に目を開けたとき。
蓮と柚木は、見たこともない場所に立っていた。
灰色の空。
灰色の大地。
地平線まで、何もない。
建物も、木も、水も、生き物も。
何もない。
ただ、灰色だけが広がっている。
「ここが…」
「虚無ノ境」
クヤの声が答えた。
「俺が、追放される前に住んでいた場所」
「何もないな…」
柚木が呟いた。
「ああ。だから、安全だ」
クヤは続けた。
「ここには、神々の力も届きにくい」
「そして、ここには何もないからこそ、お前たちが自由に作れる」
「作る?」
「ああ。拠点を。お前たちの勢力の拠点を」
蓮は周囲を見回した。
確かに、何もない。
でも、だからこそ。
「ここを、俺たちの場所にする」
蓮は決意した。
「クヤ、力を貸してくれ」
「ああ」
蓮は手を地面についた。
そして、力を流し込んだ。
黒い光が、地面に広がっていく。
すると──
地面が、変化し始めた。
灰色の大地が、少しずつ固まり、形を作っていく。
「すごい…」
柚木が驚いた。
壁ができ、屋根ができ、床ができた。
簡素だが、建物の形になった。
「これが…俺の力…」
「神を創る力は、物も創る」
クヤが説明した。
「お前は、ここに何でも創れる」
蓮は立ち上がった。
目の前には、小さな建物が一つ。
「まだ小さいけど」
「これから、大きくしていけばいい」
柚木が笑った。
「俺たちの拠点、完成だな」
「ああ」
蓮は空を見上げた。
灰色の空だが、不思議と落ち着く。
「ここから始めるんだ」
「俺たちの、反撃を」
クヤの声が、静かに答えた。
「ああ。お前なら、できる」
「七つの勢力に対抗する、第八の勢力を」
蓮は拳を握った。
「【蓮派】を作る」
柚木が頷いた。
「いい名前だ」
「じゃあ、まず何をする?」
「味方を集める」
蓮は答えた。
「大樹、美月、雅。まだ完全には救えてない」
「そして、家族も」
「でも、どうやって戻る?」
「クヤ、もう一度転移できるか?」
「…少し休めば」
クヤの声は疲れている。
「さっきの転移で、かなり消耗した」
「じゃあ、休もう」
蓮は建物の中に入った。
中は何もない。
ただの空間。
「ここで、一晩過ごすか」
「ああ」
柚木も入ってきた。
「食料とか、大丈夫か?」
「…あ」
蓮は気づいた。
ここには、何もない。
食べ物も、水も。
「大丈夫だ」
クヤの声が答えた。
「この場所では、お前たちは食べなくても生きられる」
「虚無ノ境には、時間の概念も薄い」
「便利なのか不便なのか…」
柚木が苦笑した。
「でも、まあ、いいか」
二人は床に座った。
「蓮」
「ん?」
「お前、すごいな」
柚木が言った。
「神を追い出して、転移して、建物作って」
「俺なんか、風で速く動けるくらいしかできないのに」
「そんなことない」
蓮は首を横に振った。
「柚木がいなかったら、俺、火怒羅にやられてた」
「ありがとう」
「…どういたしまして」
柚木は照れくさそうに笑った。
二人はしばらく、黙って座っていた。
「これから、どうなるんだろうな」
柚木が呟いた。
「分からない」
蓮は正直に答えた。
「でも、俺は諦めない」
「みんなを救う。そして、神々の戦争を止める」
「壮大だな」
「ああ」
蓮は笑った。
「でも、やるしかない」
「だな」
柚木も笑った。
二人は、灰色の空を見上げた。
ここから、始まる。
蓮派の、戦いが。




