覚醒
1
水曜日の朝。
蓮は、予想以上によく眠れた。
夢は見なかった。あるいは、覚えていないだけかもしれない。
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
時計を見ると、午前六時。
「早いな…」
ベッドから起き上がり、窓を開ける。
外は晴れていた。雨は完全に上がり、青空が広がっている。
「…始まるんだな」
蓮は深呼吸した。
今日から、神々の戦争が本格的に始まる。
自分の周りの人間を観察し、誰が器になりかけているか見極める。
そして、味方を作る。
「できるのか、俺に」
不安が押し寄せてくる。
しかし、やるしかない。
蓮は顔を洗い、制服に着替えた。
鏡を見る。
顔色は、昨日よりマシだ。
「よし」
自分に言い聞かせるように頷いた。
2
朝食。
家族四人、食卓を囲む。
しかし、雰囲気は昨日より重い。
父親は新聞を読んでいるが、その手は震えている。
母親は味噌汁を作っているが、動きがぎこちない。
妹の葵は、スマホを見つめたまま固まっている。
「…葵、大丈夫か?」
蓮が声をかけると、葵はビクッと肩を震わせた。
「あ、うん。大丈夫」
でも、その目は虚ろだ。
蓮は集中した。
クヤが言っていた。神の力が見えるはずだ。
葵を見つめる。
すると──
葵の背後に、かすかに緑色の靄が見えた。
「緑…調和神派」
蓮は息を呑んだ。
葵も、狙われている。
母親を見る。
母親の背後にも、同じく緑色の靄。
「癒しの神…か」
父親を見る。
父親の背後には、紫色の靄。
「紫は…知恵神派」
蓮の拳が震えた。
家族全員が、神々に狙われている。
「蓮、食べないの?」
母親の声が聞こえた。
「あ、ああ。食べる」
蓮は慌てて箸を取った。
しかし、喉を通らない。
家族を守らなければ。
そう思うと、胸が苦しくなった。
「行ってきます」
蓮は急いで家を出た。
3
通学路。
いつもの場所に、大樹はいなかった。
当然だ。昨日、病院に運ばれたのだから。
蓮は一人で歩き出した。
商店街を通る。
八百屋は、まだ閉まっている。
「おじさん…」
蓮は心配になった。
その先を歩いていると、前方で声が聞こえた。
「おはようございます」
「おはよう」
普通の挨拶。
しかし、蓮には見える。
挨拶を交わした二人の周りに、靄が漂っている。
一人は赤色。もう一人は橙色。
「戦神派と強欲神派…」
蓮は立ち止まった。
街中の人々を見回す。
みんな、何かしらの靄を纏っている。
赤、金、緑、紫、橙、黒。
様々な色。
「こんなに…」
蓮は愕然とした。
神々の侵食は、思っていた以上に進んでいる。
「急がないと」
蓮は走り出した。
4
学校。
校門をくぐると、すぐに異変を感じた。
生徒たちの様子がおかしい。
みんな、どこか虚ろな表情をしている。
そして、ほとんどの生徒の背後に、靄が見える。
「やばい…」
蓮は呟いた。
下駄箱へ向かう。
すると、前方で生徒会長の雅が立っていた。
「先輩」
蓮が声をかけると、雅は振り返った。
その背後に、金色の靄が濃く漂っている。
「柊…」
雅の声は、昨日よりも冷たい。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
雅は蓮をじっと見つめた。
その目は、どこか遠い。
「柊、君は…」
雅が何か言いかけた瞬間、雅の体が震えた。
「っ…」
雅は頭を押さえた。
「先輩!」
「大丈夫だ…ちょっと、頭が…」
雅は苦しそうに呟いた。
蓮には分かった。
雅の中で、統治の神が力を増している。
「先輩、保健室に」
「いや、大丈夫だ」
雅は顔を上げた。
その目は、一瞬金色に光った。
「柊。君は、今日一日、生徒会室に来い」
「え?」
「命令だ」
雅の声が、変わった。
低く、威圧的。
「君を、監視する」
蓮の背筋が凍った。
これは、雅の意志じゃない。
統治の神が、雅を通して命令している。
「…すみません、用事があるので」
蓮は断った。
雅の顔が、歪んだ。
「断るのか」
「はい」
「…そうか」
雅は一歩、蓮に近づいた。
「なら、力づくで連れていく」
雅の手が、蓮の腕を掴んだ。
その力は、異常に強い。
「っ!」
「抵抗するな」
雅の目が、完全に金色に染まった。
蓮は焦った。
このままでは、本当に連れていかれる。
「クヤ!」
心の中で叫んだ。
すると、胸の奥から熱が湧き上がってきた。
「力を使え。少しだけでいい」
クヤの声が聞こえた。
蓮は集中した。
胸の奥の熱を、腕に流す。
すると──
雅の手が、弾かれるように離れた。
「っ!?」
雅は後ずさった。
「何だ…今の」
雅は自分の手を見た。
蓮も驚いていた。
自分の腕から、かすかに黒い光が放たれている。
「これが…俺の力」
「よくやった。だが、長くは使うな。体が持たない」
クヤの声が警告した。
蓮は力を引っ込めた。
黒い光が消える。
雅は混乱した表情で蓮を見ていた。
「君は…何者だ」
「ただの高校生です」
蓮は嘘をついた。
「そんなわけがない。今の力は…」
雅が言いかけた瞬間、チャイムが鳴った。
「失礼します」
蓮は走って、その場を離れた。
5
教室。
蓮は自分の席に座り、荒い息をついた。
「危なかった…」
雅を傷つけずに済んだのは幸いだった。
しかし、これからどうする?
雅は、統治の神に完全に支配される前だ。
まだ、救える。
でも、どうやって?
「蓮くん」
美月の声が聞こえた。
「おはよう」
「おはよう」
蓮が振り返ると、美月が心配そうな顔で立っていた。
「昨日、木下くんのこと聞いた?」
「いや、まだ」
「私、病院に電話したの。意識は戻ったって」
「本当か!」
蓮は立ち上がった。
「うん。でも、まだ入院してるみたい」
「そっか…」
安心と同時に、不安も残った。
大樹の中の戦の神は、どうなったのか。
「お見舞い、行く?」
「ああ、放課後行こうと思ってる」
「私も一緒に行っていい?」
「もちろん」
美月は笑顔を見せた。
しかし、その背後に、緑色の靄が見える。
「美月も…」
蓮は唇を噛んだ。
美月も、癒しの神に狙われている。
ホームルームが始まった。
担任の黒木先生が入ってくる。
その背後には、紫色の靄。
「知恵神派…」
蓮は教室を見回した。
ほとんどのクラスメイトの背後に、靄が見える。
赤、金、緑、紫、橙、黒。
「こんなに…」
絶望的な状況だった。
「えー、今日は特別に、生徒会長からお話があります」
黒木先生が言った。
教室のドアが開き、雅が入ってきた。
蓮は身構えた。
雅は教壇に立ち、クラス全体を見渡した。
その背後の金色の靄は、さらに濃くなっている。
「皆さんに、重要なお知らせがあります」
雅の声は、冷たく、機械的だった。
「本日より、新しい校則を施行します」
「全生徒は、生徒会の指示に従うこと」
「違反者には、厳正な処分を下します」
教室中がざわついた。
「何それ」
「急すぎるだろ」
しかし、雅は表情を変えない。
「これは、秩序を守るための措置です」
「皆さんの安全のため、協力してください」
雅の目が、蓮を見た。
「特に、柊蓮」
蓮の心臓が跳ねた。
「君は、放課後、生徒会室に来ること」
「これは命令です」
クラス中の視線が、蓮に集まった。
「…分かりました」
蓮は仕方なく答えた。
断れば、ここでまた騒ぎになる。
「よろしい」
雅は満足そうに頷き、教室を出ていった。
ざわめきが収まらない教室。
蓮は窓の外を見た。
空は青いのに、何かが暗い。
「やばいな…」
蓮は呟いた。
状況は、刻一刻と悪化している。
「放課後までに、何か手を打たないと」
しかし、何をすればいいのか。
蓮には、まだ分からなかった。
6
昼休み。
蓮は再び屋上へ向かった。
一人で考える時間が必要だった。
屋上のドアを開けると、誰かがいた。
見知らぬ男子生徒。
三年生だろうか。背が高く、痩せている。
その背後には、靄がない。
「お前…」
蓮は驚いた。
靄がない生徒は、初めて見た。
男子生徒は蓮を見て、小さく笑った。
「やっと見つけたよ、最厄の器」
蓮は身構えた。
「誰だ」
「俺?俺は誰でもないよ」
男子生徒は肩を竦めた。
「ただの、無所属の神の器さ」
「無所属…」
「ああ。俺の中には『自由の神』がいる」
男子生徒は屋上のフェンスに寄りかかった。
「安心しろ。お前を襲うつもりはない」
「じゃあ、何の用だ」
「忠告だよ」
男子生徒の目が、蓮を見つめた。
「この学校は、もう終わりだ」
「終わり…?」
「ああ。創造神派、戦神派、強欲神派。みんな、この学校に器を送り込んでる」
「明日か明後日には、全面戦争が始まる」
蓮の血の気が引いた。
「全面戦争…」
「そう。神々の代理戦争。人間同士が、神の力を使って殺し合う」
男子生徒は淡々と続けた。
「お前の友達も、先生も、家族も。みんな、器になって戦うことになる」
「そんな…」
「止めたいなら、今すぐ動け」
男子生徒は立ち上がった。
「お前の力なら、できるはずだ」
「どうやって」
「神の力を剥がせ。器になりかけてる奴らから、神を引き剥がすんだ」
「でも、どうやって」
「お前の中のクヤに聞け。あいつなら知ってる」
男子生徒は屋上のドアへ向かった。
「待ってくれ、名前は」
「名前?」
男子生徒は振り返った。
「柚木だ。また会おう、柊蓮」
そして、去っていった。
蓮は一人、残された。
「クヤ」
蓮は心の中で呼びかけた。
「聞いてたか」
「ああ」
クヤの声が聞こえた。
「あいつの言う通りだ。時間がない」
「神の力を剥がす方法、教えてくれ」
「…分かった」
クヤは少し間を置いてから、続けた。
「お前の力を、直接相手に流し込むんだ」
「流し込む?」
「ああ。お前の手を相手に触れさせ、力を送る。そうすれば、神の力を押し出せる」
「でも、リスクがある」
「リスク?」
「お前の力は膨大だ。制御を誤れば、相手を殺す」
蓮は息を呑んだ。
「そして、お前自身も傷つく。最悪、死ぬ」
「…それでも、やるしかない」
蓮は決意した。
「大樹を救う。雅も、美月も、家族も」
「…分かった。なら、訓練だ」
「訓練?」
「ああ。今から、力の制御を教える」
「放課後まで、時間がある。それまでに、最低限の制御を身につけろ」
蓮は頷いた。
「よし、やろう」
「いい返事だ」
クヤの声に、かすかな笑みが混じった。
「じゃあ、始めるぞ」




