責任
5
昼休み。
蓮は一人で屋上へ向かった。
朝からの出来事が頭から離れない。暴れた生徒。その背後に見えた赤黒い靄。頭の中で聞こえる声。
購買は避けた。人が多い場所に行きたくなかった。
屋上のドアを開けると、風が吹き抜けた。
空は重苦しい灰色。雨が降りそうだ。
蓮はフェンスに寄りかかり、深呼吸した。
「気のせいだ。全部気のせい」
体のだるさ。頭の中の声。赤黒い靄。
全部、疲れのせいだ。最近寝不足だし。
「そうだ。ちゃんと寝れば治る」
蓮は自分に言い聞かせた。
校庭を見下ろす。体育の授業が行われている。普通の光景。
「やっぱり気のせいだ」
蓮は少し安心した。
そのとき、屋上のドアが開く音がした。
蓮は振り返った。
生徒会長の神宮寺雅が立っていた。
「あ、すみません。先輩、屋上使います?」
蓮は慌てて言った。生徒会が何か作業するのかもしれない。
「いや」
雅は首を横に振った。
「ちょっと一人になりたくて」
「あ、じゃあ俺、降ります」
「いい。気にしないでくれ」
雅は蓮から少し離れた場所に立ち、空を見上げた。
沈黙が流れる。
蓮はどうしていいか分からず、ただ立っていた。
「…最近、おかしいと思わないか」
雅が突然口を開いた。
「おかしい、ですか?」
「街の雰囲気だ。学校も」
雅は遠くを見ている。
「些細なことで喧嘩が起きる。みんなイライラしている。朝、下駄箱が壊されていた。一時間目には生徒が暴れた」
「…そうですね」
蓮も感じていた。明らかに、何かがおかしい。
「原因が分からない。生徒会でも話し合ったが、誰も答えを持っていない」
雅は疲れた様子で言った。
「先輩も、疲れてるんですか?」
「ああ」
雅は自分の手を見た。
「最近、よく眠れない。変な夢を見るんだ」
「夢?」
「ああ。光と闇がぶつかり合う夢。そして、誰かが叫んでいる。『統治しろ』『支配しろ』と」
蓮の心臓が跳ねた。
「…夢、ですよね」
「夢だ。でも、妙にリアルで」
雅は首を振った。
「疲れてるんだろうな。最近、生徒会の仕事が立て込んでいて」
蓮は何も言えなかった。
雅も、何かを感じている。でも、それが何なのか分かっていない。
蓮も同じだ。
「君、確か名前は柊連君だったよな?」
「はい」
「君も、疲れているように見える」
「ちょっと寝不足で」
「そうか」
雅は少し考えてから、言った。
「無理はするな。最近の空気はおかしい。何が起きるか分からない」
「…はい」
雨が降り始めた。小さな粒が、二人の顔に当たる。
「戻ろう」
雅は屋上のドアへ向かった。
蓮も後に続いた。
階段を降りながら、蓮は思った。
雅は何も知らない。自分も何も知らない。
でも、確かに何かが起きている。
それが何なのか、まだ誰も理解していない。
6
五時間目。英語。
蓮は授業に集中できなかった。
雅の言葉が頭から離れない。
「変な夢を見る」「統治しろ、と誰かが叫んでいる」
蓮の夢も同じだった。光と闇。そして声。
偶然だろうか?
それとも。
「柊」
教師の声が聞こえた。
「はい」
「この文章を訳してくれ」
蓮は教科書を見た。文字が目に入らない。
「すみません、もう一度」
「ちゃんと聞いてるのか?」
教師の声が苛立っている。最近、教師たちもイライラしている。
「すみません」
「いいから、座ってろ」
教師は別の生徒を指名した。
蓮は小さくなって席に座った。
窓の外を見る。雨は強くなっている。
校庭には誰もいない。
ただ、雨だけが降り続けている。
そのとき、ふと視界の端に何かが映った。
校舎の影。
そこに、人影がある。
いや、人ではない。
黒い、靄のようなもの。
それは、ゆっくりと揺れている。
蓮は目を凝らした。
靄は、こちらを見ている気がした。
「…何だ、あれ」
隣の席のクラスメイトが、同じ方向を見ている。
「何か見えるか?」
蓮が聞くと、クラスメイトは首を横に振った。
「いや、何も」
見えていないのか。
それとも、蓮にしか見えないのか。
蓮がもう一度窓の外を見ると、靄は消えていた。
「…気のせいか」
蓮は目を擦った。
頭が痛い。体も重い。
早く家に帰りたい。
そう思った瞬間、チャイムが鳴った。
五時間目終了。
次は体育だ。
7
体育館。
今日はバスケットボール。
蓮は着替えて、体育館に向かった。
大樹もいる。しかし、その表情は暗い。
「大樹」
「ああ」
大樹は短く答えただけだった。
いつもなら冗談を言い合うのに、今日は違う。
「調子悪いのか?」
「ちょっとな」
大樹はそれ以上何も言わなかった。
チームに分かれて、試合が始まった。
蓮と大樹は同じチーム。
しかし、大樹の動きがおかしい。
いつもなら華麗にドリブルするのに、今日は荒々しい。
相手チームの生徒にぶつかる。
「おい、痛ぇだろ」
「悪い」
大樹は謝ったが、その目は険しい。
試合が進む。
蓮がボールを持つと、大樹が「パス!」と叫んだ。
蓮はパスを出した。
大樹はボールを受け取り、シュート。
しかし、シュートは外れた。
「ちっ」
大樹が舌打ちする。
「大樹、大丈夫か?」
「うるせぇ」
大樹の声は、冷たかった。
蓮は驚いた。大樹がこんな言い方をするなんて。
試合は続く。
しかし、大樹の動きはどんどん荒くなっていく。
相手にぶつかり、押し、肘を使う。
「おい、やめろよ」
相手チームの生徒が文句を言った。
「は?」
大樹が睨む。
その目が、一瞬赤く光った気がした。
「大樹!」
蓮が叫んだ瞬間、大樹が相手の胸倉を掴んだ。
「てめぇ、何か言ったか?」
「やめろ、大樹!」
周りの生徒たちが止めに入る。
教師も駆けつけた。
「木下!何やってるんだ!」
しかし大樹は聞いていない。
その目は、完全に赤く染まっていた。
そして、大樹の背後に、あの赤黒い靄が見えた。
蓮の体が凍りついた。
「大樹…お前、何が…」
大樹は蓮を見た。
その目には、憎悪が宿っていた。
「お前のせいだ…」
「え?」
「お前のせいで…俺の中に…何かが…」
大樹は頭を抱えた。
そして、その場に崩れ落ちた。




