中に潜むもの
昼休み。
蓮は大樹と一緒に購買へ向かった。今日のメニューは焼きそばパンとカレーパン。いつも通りの選択肢。
「最近、なんか疲れね?」
パンを頬張りながら、大樹が言った。
「ん?お前が?」
「いや、なんかさ。みんな。クラスの雰囲気っていうか」
言われてみれば、確かに教室は少しピリピリしている気がする。ちょっとしたことで言い合いになったり、誰かの機嫌が悪かったり。
「気のせいじゃね?」
「そうかなぁ」
大樹は首を傾げたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「まあいいや。放課後、サッカーしようぜ」
「お前、部活あるだろ」
「そっか。じゃあ週末な」
他愛もない約束。
教室に戻ると、窓際で数人の女子が何かを見ながら騒いでいた。
「ねえ見て、これ」
「え、マジ?」
スマホの画面を覗き込む。SNSのニュースフィード。
『都内某所で大規模な乱闘騒ぎ、十数名が病院搬送』
『専門家「集団心理の異常か」原因は不明』
「怖いよね」
「うち、あの辺通るんだけど」
女子たちの声が不安げだ。
蓮は自分の席に戻った。窓の外、空は相変わらず青い。
しかし、その青さが何となく不自然に見えた。まるで、作り物のような。
「…気のせいか」
蓮は目を擦った。
4
五時間目の体育。
グラウンドでサッカーをすることになった。大樹は部活があるため別メニューだが、蓮のチームは適当にボールを蹴り合っている。
「蓮、パス!」
声が聞こえて、蓮はボールを蹴った。しかしタイミングがずれて、ボールは明後日の方向へ。
「おい、何やってんだよ」
チームメイトが苛立った声を上げた。
「悪い」
蓮は謝ったが、体が重い。さっきから動きが鈍い。
「ちゃんとやれよ」
「だから悪いって」
「お前のせいで負けたらどうすんだよ」
クラスメイトの声が、やけに攻撃的に聞こえた。普段ならこんなことで怒らない相手なのに。
「おい、そんな言い方ないだろ」
別のクラスメイトが仲裁に入る。
「は?何お前、関係ないだろ」
「関係あるだろ、同じチームだし」
雰囲気が悪くなっていく。
蓮は黙ってその場を離れた。ベンチに座り、水を飲む。
体のだるさは消えない。むしろ、重くなっている気がする。
「大丈夫か?」
美月が心配そうに声をかけてきた。女子は別メニューでバレーをしていたはずだが、蓮の様子に気づいたようだ。
「ああ、ちょっと体調悪いだけ」
「保健室、行く?」
「大丈夫」
蓮は笑顔を作った。美月は少し迷ったようだったが、「無理しないでね」と言って戻っていった。
グラウンドでは、さっきの口論が収まっていた。しかし、みんなの表情がどこか硬い。
空を見上げる。
青い空。白い雲。
でも、何かが違う。
蓮は目を閉じた。頭の奥で、かすかに声が聞こえた気がした。
「……すまない」
5
放課後。
蓮は図書室へ向かった。今日は部活もないし、特にやることもない。静かな場所で少し休みたかった。
図書室は人が少ない。窓際の席に座り、適当に手に取った本を開く。文字は目に入るが、内容が頭に入ってこない。
時計を見る。午後四時半。
外は少しずつ暗くなり始めている。
ふと、視線を感じた。
顔を上げると、本棚の影から、誰かがこちらを見ていた。
生徒会長の神宮寺雅だ。
整った顔立ちと、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ三年生。成績優秀、スポーツ万能、生徒会長として学校を完璧に運営している。誰もが一目置く存在。
蓮とは接点がない。というか、話したこともない。
なのに、なぜこちらを見ている?
目が合った。
雅の目は、金色に光った──ような気がした。
いや、気のせいだ。照明の反射だろう。
蓮がそう思った瞬間、雅は踵を返して図書室を出ていった。
「…なんだったんだ?」
蓮は首を傾げたが、すぐに本に視線を戻した。
しかし、文字はもう全く頭に入らなかった。
6
帰り道。
商店街を通ると、昼間元気だった八百屋が店を閉めていた。シャッターに『本日体調不良のため臨時休業』と貼り紙がある。
「珍しいな…」
その先の路地で、子供たちの声が聞こえた。
近づくと、小学生くらいの男の子三人が、何かを囲んで騒いでいる。
「やばくね、これ」
「誰がやったんだよ」
「知らねーよ」
蓮が覗き込むと、そこには猫が倒れていた。
茶色い毛並みの、野良猫。脇腹に傷があり、呼吸が浅い。
「…おい、動物病院連れてかないと」
蓮は猫を抱き上げた。子供たちは「触って大丈夫なの?」と不安そうだ。
「大丈夫だから、お前らは家帰れ」
蓮は近くの動物病院へ走った。
7
「最近、こういう怪我をした動物が増えてるんですよ」
獣医の先言葉に、蓮は驚いた。
「増えてる…んですか?」
「ええ。原因は分からないんですが。虐待とも違う。まるで、何かに怯えて自分で怪我をしたような」
獣医は首を傾げた。
「この子は大丈夫そうです。数日預かりますね」
「お願いします」
治療費を払い、蓮は病院を出た。
空はすっかり暗くなっていた。街灯が灯り始める。
家へ向かう途中、ふとスマホを見ると、ニュース通知が入っていた。
『全国各地で同時多発的なトラブル、専門家も原因特定できず』
『「まるで空気が変わった」市民の声』
蓮は立ち止まった。
全国各地で。同時多発的に。
何かが、起きている。
でも、何が?
「…考えすぎか」
蓮はスマホをポケットにしまい、歩き出した。
8
夕食。
家族四人、いつもの食卓。
しかし、雰囲気がどこかぎこちない。
「ねえ、お父さん」
妹の葵が口を開いた。
「ん?」
「今日、学校で先生が怒鳴ってたの。すごい怖かった」
「…そうか」
父親は何も言わず、箸を動かし続けた。
「あなた、最近疲れてない?」
母親が父親に声をかける。
「別に」
「でも、顔色悪いわよ」
「大丈夫だって」
父親の声が、少し苛立っているように聞こえた。
母親は何も言わず、味噌汁を啜った。
蓮は黙って食事を続けた。
家の中まで、この空気。
蓮は箸を置いた。
「ごちそうさま」
自分の部屋に戻る。ベッドに倒れ込むと、体の重さが一気に押し寄せてきた。
「…やっぱり風邪かな」
目を閉じる。
しかし、眠れない。
頭の奥で、何かがざわざわしている。
まるで、誰かが囁いているような。
蓮は目を開けた。
部屋の隅を見る。
そこに、影があった。
ただの影ではない。濃い、黒い、まるで生きているような影。
蓮は息を呑んだ。
影は、ゆっくりと揺れている。
「…気のせい」
蓮はそう呟いたが、影から目を離せなかった。
そして。
影の中から、声が聞こえた。
「……すまない」
蓮の心臓が跳ねた。
「誰だ!」
影は答えない。
ただ、静かに揺れ続けている。
蓮は震える手で、部屋の電気をつけた。
明るくなった部屋。
影は、消えていた。
「…夢、か?」
蓮はベッドに座り込んだ。冷や汗が背中を伝う。
時計を見ると、午後十時。
「寝よう…」
蓮は布団に潜り込んだ。
しかし、その夜、蓮は一睡もできなかった。




