罠
10
闘技場の中央。
蓮と炎将が対峙していた。
炎将の巨体からは、灼熱の気が立ち上っている。
その存在感だけで、蓮の体が汗だくになった。
「クヤ、こいつの総合値は?」
蓮は心の中で問いかけた。
「…おそらく400を超えている」
クヤの声は、緊張していた。
「お前の現在の総合値は、俺の力を借りても350程度だ」
「つまり、真っ向勝負じゃ勝てない、ってことか」
「ああ」
蓮は冷や汗を流した。
炎将が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
一歩ごとに、床が溶けていく。
「どうする、蓮?」
「…考える」
蓮は後ずさった。
炎将が腕を振るった。
炎の剣が現れ、蓮に向かって振り下ろされた。
「っ!」
蓮は横に飛んで避けた。
剣が地面を叩き割る。
轟音と共に、炎が噴き上がった。
「速い…」
あの巨体で、この速さ。
蓮は息を呑んだ。
炎将が再び剣を振るった。
今度は横薙ぎ。
蓮は地面に伏せて避けた。
しかし、炎の刃の熱波が蓮の背中を焼いた。
「熱っ!」
「蓮、避けるだけじゃ時間の問題だ」
クヤが警告した。
「分かってる!」
蓮は立ち上がり、走り出した。
闘技場の端まで走る。
炎将が追ってくる。
「クヤ、この闘技場の構造を教えてくれ」
「構造?」
「ああ。何か利用できるものはないか」
クヤは少し考えてから答えた。
「…闘技場の床下には、結界を維持するためのエネルギー供給路がある」
「供給路?」
「ああ。炎のエネルギーが、地下から流れ込んでいる」
「それを破壊したら?」
「結界が弱まる。そして、炎将の力も弱まるだろう」
「よし」
蓮は走りながら、床を見た。
ところどころ、床に亀裂が入っている。
その亀裂から、赤い光が漏れている。
「あれが供給路か」
「おそらくな」
蓮は炎将の方を振り返った。
炎将は、ゆっくりと追ってくる。
急がない。
余裕の表情だ。
「こいつ、俺を舐めてる」
「それを利用しろ」
クヤが助言した。
蓮は再び走り出した。
今度は、亀裂の多い場所へ向かって。
闘技場の北側、床が最も痛んでいる場所。
炎将が追ってくる。
蓮は亀裂の前で止まった。
そして、振り返った。
「来いよ!」
蓮は挑発した。
炎将が、初めて速度を上げた。
巨体が、地面を揺らしながら突進してくる。
「今だ!」
蓮は横に飛んだ。
炎将は、勢い余って亀裂の上を踏んだ。
その瞬間──
蓮は手を地面につけた。
「クヤ、力を貸せ!」
黒い光が、蓮の手から放たれた。
光が、亀裂に流れ込んだ。
そして──
地下の供給路が、破壊された。
轟音と共に、闘技場全体が揺れた。
「何っ!?」
火怒羅が驚いた声を上げた。
炎将の体を覆っていた炎が、弱まった。
「効いてる!」
蓮は立ち上がった。
しかし、炎将はまだ健在だった。
力は弱まったが、まだ強い。
「まだ足りないか」
「ああ。供給路は複数ある」
クヤが答えた。
「全部破壊しないと、完全には止まらない」
「分かった」
蓮は再び走り出した。
炎将も追ってくる。
しかし、さっきより遅い。
蓮は闘技場の東側へ向かった。
そこにも、亀裂がある。
炎将が追いつこうとする。
剣を振るった。
蓮は避けながら、亀裂に近づいた。
そして、再び手を地面につけた。
黒い光が、亀裂に流れ込む。
二本目の供給路が破壊された。
炎将の炎が、さらに弱まった。
「くっ…」
炎将が初めて、苦しそうな声を上げた。
「いいぞ、蓮!あと二本だ!」
蓮は南側へ向かった。
炎将が追ってくるが、明らかに動きが鈍い。
南側の亀裂。
蓮は手をついた。
三本目、破壊。
「はぁ…はぁ…」
蓮の体が悲鳴を上げていた。
クヤの力を使いすぎている。
「蓮、限界が近い」
「分かってる…あと一本だ」
蓮は最後の供給路へ向かった。
西側。
しかし、炎将が道を塞いだ。
「行かせるか」
炎将が剣を構えた。
まだ、戦える力が残っている。
「どうする…」
蓮は考えた。
真っ向から突破するのは無理だ。
ならば──
「クヤ、あの黒い人影、覚えてるか?」
「訓練で使った、あれか?」
「ああ。あれを、ここで作れるか?」
「…できるが、お前の体が持たないぞ」
「一体でいい。囮に使う」
「…分かった」
蓮は力を解放した。
黒い光が集まり、人の形を作る。
黒い人影が、完成した。
「行け」
蓮が命じると、黒い人影が炎将に向かって走った。
炎将は、黒い人影に剣を振るった。
黒い人影が消えた。
しかし、その一瞬の隙に──
蓮は炎将の横を駆け抜けた。
「させるか!」
炎将が振り返り、蓮に向かって剣を投げた。
炎の剣が、蓮に向かって飛んでくる。
「くっ!」
蓮は地面に伏せた。
剣が、蓮の頭上を通り過ぎた。
そして、西側の亀裂に突き刺さった。
「…これは」
蓮は気づいた。
炎の剣が、亀裂を広げている。
地下の供給路が、むき出しになった。
「ありがとう」
蓮は立ち上がり、供給路に手を突っ込んだ。
「最後だ!」
黒い光が、供給路を破壊した。
轟音。
闘技場全体が揺れた。
そして──
炎将の体を覆っていた炎が、完全に消えた。
「うっ…」
炎将が膝をついた。
鎧も消え、中から普通の人間の姿が現れた。
「こいつ…人間だったのか」
蓮は驚いた。
「ああ。戦神の完全な器だ」
クヤが説明した。
「もう、戦えない」
炎将──いや、器となった人間は、床に倒れ込んだ。
「勝った…のか?」
蓮は信じられない様子で呟いた。
「ああ。お前の勝ちだ」
クヤが答えた。
闘技場の外から、拍手が聞こえた。
火怒羅が、拍手していた。
「見事だ、最厄の器」
火怒羅は満足そうに笑った。
「力で劣る相手に、知恵で勝った」
「約束通り、雅を返す」
火怒羅が手を振ると、雅を繋いでいた鎖が解けた。
雅は、床に崩れ落ちた。
蓮は雅に駆け寄った。
「雅!大丈夫か!」
「…蓮」
雅は虚ろな目で蓮を見た。
「助けに…来てくれたのか」
「当たり前だろ」
蓮は雅を抱き起こした。
「さあ、帰ろう」
しかし、その瞬間──
火怒羅の笑い声が響いた。
「ハハハハハ!」
「…何が面白い」
蓮は火怒羅を睨んだ。
「お前は、まだ分かっていないのか」
火怒羅は雅を指差した。
「あいつは、もう手遅れだ」
「手遅れ…?」
「ああ。あいつの中には、もう統治の神アルティスがいない」
「何?」
「俺が、アルティスを追い出した」
火怒羅は不敵に笑った。
「そして、代わりに俺の力を植え付けた」
「まさか…」
蓮は雅を見た。
雅の目が、ゆっくりと赤く染まっていく。
「雅!」
「…すまない、蓮」
雅の声が、変わっていく。
低く、重く。
「俺は…もう…」
雅の体が、炎を纏い始めた。
「これで、俺の器が増えた」
火怒羅が高笑いした。
「ありがとう、最厄の器」
「お前が雅を連れて帰れば、俺の器が一人、お前たちの拠点に潜り込める」
「貴様…!」
蓮は怒りに震えた。
「罠だったのか、最初から!」
「ああ。お前は見事に引っかかった」
火怒羅は満足そうに言った。
「さあ、雅よ。お前の新しい仲間を殺せ」
雅が立ち上がった。
その目は、完全に赤く染まっていた。
手に、炎の剣が現れた。
「蓮…逃げろ…」
雅の声は、かすかに自我が残っていた。
「俺は…もう…止められない…」
そして、雅は蓮に向かって剣を振り下ろした




