後編 Ⅰ 《side:デイジー》
ピアニーから届いたお茶会の誘いは長く実現しなかった。なぜならその翌日にアルミーナム伯爵より父親宛に「我が娘の教育不足のため」させられないと知らせが届いたからだ。
(確かに伯爵令嬢として上の方々にお会いする際、あれは大丈夫なのかと思う仕草はちょこちょこあったけど……)
今まで注意された様子はなかったのに、どこかの家で失礼なことをしたのだろうか。
そして教育は進んでいないのか、翌月ジンク子爵家で開かれたお茶会に見えたのは伯爵夫人の小母さまのみで、ピアニーはいなかった。レインが子爵家に来ないのは当然でもピアニーがついて来なかったのは初めてのことだ。
「主人が、礼儀作法を覚え直すまで屋敷の外に出さないって」
「まぁ、どちらかのお茶会で失礼があったとか?」
ピアニーはどうしたのという母親の問いに、伯爵夫人は曖昧な笑みを返してくる。言いたくない、つまり深掘りしてくれるなということだろうか。
「……小母さま、あの、レインのことでお聞きしたいことが」
「あら、先月ピアニーが口にした婚約の話かしら? ごめんなさいね、その件は今はヘイルの方を優先したいからって主人が」
デイジーは勇気を出してレインの婚約事情を問おうとしたが、またも『伯爵家当主』の存在を前面に出して踏み込ませないようにされてしまう。
(お父様の話が正しいなら箝口令を敷かれているはずの小母さまから聞けそうにないわね……)
ーーーその発表は唐突だった。少なくともデイジーにとっては。
父親に呼ばれ入室したデイジーに、腰掛けたと同時に新聞が渡された。
「ファイン殿下と彼の婚約が発表された」
「え?」
季節は薄着でも外に立てばうっすらと汗をかき始める頃、学園入学まで二ヶ月半を切ろうというときだった。
どうしてこの時期に発表を……と思いつつ、そう言われて差し出された新聞をデイジーはいったん躊躇し、しかし震える手で受け取る。
テーブルへ広げた一面に大きく書かれているのは王太子殿下ご夫妻に第二子が誕生したことだった。その四分の一の紙面で、誕生した王子殿下が五歳を迎えたら王太子殿下の弟君でいらっしゃるファイン殿下がプラティナム太公を賜ること。そしてファイン殿下と教会より『魔法士』と認められたレイン・アルミーナム伯爵令息との婚約及び、大公となったと同時に婚姻する旨の発表が記載されていた。
「……『魔法士』?」
「要は魔法使いのことだな。貴族の中にはそうした力を持った者がいて、昔は聖人や聖女と呼ばれていたと聞く」
「レインが、その魔法使いということですか?」
デイジーは伯爵家の兄妹たちと長く交流してきたが、初めて聞く話に驚いていた。
「うむ、教会が認めているのだから嘘偽りではあるまい」
「でも、レインは一度もそんな力を出したことはないかと。見たことも聞いたこともないですし」
デイジーの言葉に否定的な響きを感じたのか、父親は首を横に振って娘へ諭すように話す。
「見世物でもないのに、月に一度の数時間顔を合わせるだけの場で力を行使することは無いだろう。あと教会と繋がりがあるのなら滅多なことで使わぬよう言われているはず」
「……それは、そうですが」
「昔は崇める存在としていたようだが、今はそこまでではないのだろう。とはいえ異能を持つからと狙われ奪われては不都合。教会か王家のどちらで保護するかの話し合いをして、最終的に殿下の婚約者として庇護下に置かれたと言う形か」
父親の状況説明にデイジーも納得する。
ただ納得はできても、行き所のなくなったこの恋心は燻ったままーーー
ピアニーは父親である伯爵に何と言ってお茶会の開催を許されたのだろうか。
デイジーはほんの少し不安を抱きながらアルミーナム伯爵家までの道のりを馬車の中で考える。気がかりながら到着したところ、案内されたのはどこかの部屋ではなく日除けの幕を張った庭に揃えられた一式のところであった。
しかしまだ誰もいない。
「お呼びしてまいります」そう言って頭を下げ、下がっていく背をじっと見つめる。
(……ピアニーに待たされるのはいつものことだもの)
「いらっしゃい、デイジー。先月は会っていないから二ヶ月ぶりね」
「ええ……お招きありがとう、ピアニー」
デイジーが腰掛けて十分くらい経っただろうか。
教育の成果か、静々と歩み寄ってくるピアニーにデイジーも挨拶を返す。
そして上から下まで眺め……確かに歩き方、姿勢は随分と鍛えられたようで以スキップするような動きは無くなっている。だからといってこれでようやく伯爵令嬢として出発点に立てただけで、例えばレインの婚約者である第二王子殿下と会うようなことになるのなら、まだまだ足りない作法だろう。
「こうしてお招きいただけたということは小父さまの許可が出たのね」
「ええ。私が本気を出せば、二ヶ月もあれば十分成果が出せるわ」
「……そ、そう」
ピアニーはふふんと自慢げに胸を張っているが、デイジーはいつもこの自信はどこからくるのだろうかと思っていた。
例外なく今日も同じ疑問を抱きつつ、曖昧に頷いておく。
「ねえ、号外の新聞見た?」
「王太子殿下ご夫妻に王子殿下が誕生なさったことなら」
珍しく堅い声で尋ねられてデイジーがそう答えると、バンっとデーブルから大きな音が鳴った。両手で力一杯テーブルを叩きつける、そんな不躾なことをしたのは教育をし直したはずであるピアニーだ。
「違うわよ、レインの婚約の件っ」
その顔の表情は冷静であろうとしているが、じゃっかんこめかみをひくひくさせており怒りを隠しきれていない。
ピアニーは一呼吸置こうとしたのか、カップの紅茶を飲み干すと背筋を伸ばした。
「私、思ったの。幼い頃からずっとレインを想っていたデイジーが可哀想って」
「……でも仕方がないわ。レインは王家に保護される理由があるんだもの」
「それ、でも本当かしら? 妹である私は一度も見たこと無いのよ?」
「教会が認めているじゃない」
「ううん、教会は勘違いしているのよ。ぜったい」
「……ピアニー」
さすがにそれは無いと続けようとしたが、ピアニーの一人芝居は続く。
「そうよ、きっと私の力だったのをレインが奪ったんだわ」
「ええ?」
「だって私たち双子なのよ? レインが持っているものは私だって持っているはず……でも私に無いのなら、お母様のお腹にいるときにあいつが私の分を全部奪ったのよ」
(……ピアニーはどうしてここまでレインにこだわるのかしら?)
ずっと見てきたが、ピアニーは双子の兄であるレインに関心が向けられることを異様なほど許さない。今回のことで言えば、『魔法士』として認められて王子殿下の婚約者となったことに苛立っている。
こうなるとピアニーは誰の声も耳に入らない。一人で妄想劇を始めるのだ。
デイジーは、だったらレインに負けないよう様々なことを頑張ればいいのにと思っているのだけれど。
「ね、デイジー。いきなりレインの婚約者が王族って納得できないよね?」
「……できなくても、諦めるしかないわ」
貴族であるならばどうしようもない決まり事なのだ。
あとはデイジーがゆっくりと気持ちを解消していくだけ……と考えていると、ピアニーは「大丈夫よ」とにこりと微笑む。
「私、いい考えが浮かんだの」
「いい考え?」
デイジーは不審そうに聞き返す。
「そう。この婚約って、レインが問題を起こせば破棄になるわよね?」
「なっ、ピアニーそれは駄目よっ」
まさかの発言に驚愕して慌てた声が出てしまった。
「ん? 大袈裟ねぇ。問題って言っても醜聞程度に収めるから。そこで、デイジーの協力が必要なの」
「私はレインの評価を蔑めるような協力はできないわ」
「それが、デイジーの協力があればなんとかなると思うの。ね、ね?」
首を横に振ってできないと返しても、納得しないピアニーは自分の顔の前で両手を合わせてお願いとポーズを取る。
その仕草にデイジーは何度目かの溜息を吐いて、仕方なく、まず話を聞くことにした。
「……問題って、何を考えたの?」
「教わったことなんだけど、男女が部屋に二人っきりでいるだけで不貞になるんですってね」
「……そうならないよう気をつけるよう言われたわ」
そう話し始めたピアニーの意図が分からず、とりあえず教わったことを返す。
「だからデイジーがレインと二人っきりで一晩いればいいんじゃないかって」
「ピアニー?」
「レインの寝室でそんなところを私が見つける……何もなかったにしても問題になるわよねぇ?」
「ピアニー、それは」
「王族の婚約者がそんなことしたら不貞の醜聞となって婚約破棄になる。そしてデイジーはその醜聞を逆手にとって責任取ってもらう形で婿入りする。どう? いい方法じゃない?」
レインへ気持ちが残ったままなデイジーであったが、流石にピアニーが言っている作戦は駄目だと分かる。
「ぜんぜんよくないわよ。王族との婚約破棄だなんて、ピアニーはアルミーナム伯爵家を潰したいの?」
「それは婚約者の交代で免れることができるわ」
「は?」
ピアニーの妄想発言に、デイジーは淑女として嘆かわしいが開いた口が塞がらない。
「殿下は王子なのだから血は残すべきだと思うのよね。それにレインは貴族の婚約は親同士が決めるものって言ってたじゃない? だから問題を起こしたレインの責任を取って妹の私が嫁ぎますってお父様が殿下へ言ってくれたら、伯爵家も安泰だと思うの」
「……そんなの無理よ」
「無理じゃないわ。だって双子なのよ、レインから力を返してもらえば私だって殿下に嫁ぐ権利があるわっ」
酷くなる妄想に、デイジーは付き合いきれないと首を横に振る。
ピアニーは分かっているだろうか。自分の言っていることが無茶苦茶なことを。
「ね、私とレインが交代すればデイジーの望みも叶うのよ」
「……すぐに答えは出せないわ」
ピアニーの作戦はぜったいに成功しない。それは分かっている。でもここでどれだけ無理だと言い張っても納得しないのが彼女だ。
それに。
まだ心の底に残る諦めきれない恋心が、この案をこの場で拒絶することを躊躇ってしまった。
そんな心の内を知ってか知らずか、ピアニーはデイジーの言葉にふうんと鼻を鳴らしつつ一定の理解を示す。
「そう、仕方がないわね。でもぜったいに私たちにとって良い話だから、答えは間違えないでね?」
その客人は、ピアニーとお茶会をした翌々日にジンク子爵家を訪れた。
訪問者は王妃殿下の実弟である侯爵家当主で、お供なのか一人の成人男性を連れていた。
しかし今までその侯爵家と我がジンク子爵家との繋がりはなく、しかも話をするのに当主である父だけでなく、なぜかデイジーも同席するよう言われてしまい不安が頭をもたげる。
「彼は侯爵家の遠縁となる子爵家の三男で、学園を卒業したばかりなんだ。三男だからと文官を目指していて頭の良さは保障するよ」
雑談から始まった会話はやがて本題に入り、連れてきた成人男性を紹介されるとさすがのデイジーもこれは婿入りの斡旋なのだと理解する。
デイジーは突然降って湧いた縁談の話になんとか断ってほしいと目線で父親へ訴えた。
「……ありがたい話ですが、娘はまだ学園へ入学もしておらず」
「うん、だから彼も領地経営についてこれから学んでいけば十分間に合うと思うよ」
格上の相手に父親はそれらしい理由を述べていったん逃れようとしたものの、相手にあっさり逃げを封じられる。
デイジーの父親として、娘の政略結婚は望んでいない。なので断るためにも時間を稼ごうと考えたが……
そもそも、こたびの話は断ることなどできなかった。侯爵家から持ち込まれた話であることもだが、その侯爵家が王妃の実家であり、ということはこの縁談に王家が関わっているということだ。なのでこの話は『王命』に近しい。
娘がかの次男に近づけないようにと手を回されたかと、気づいた父親はがくりと肩を落とした。
「うん、当主はこの話の意味を理解してくれたようだ……が、ご令嬢は納得していなさそうだね」
冷めた眼差しに、デイジーは何も言えなくなる。
「いいんだよ、君が修道院へ行きたければこの話を断ってくれて構わない」
「し、修道院?」
「先日アルミーナム伯爵令嬢と君で何やら相談をしていたそうじゃないか」
デイジーは交わしていた会話を思い出してどきりとする。
「そ、相談って」
「その相談をね、実行に移される前にこうして提案させてもらった」
「え?」
あのときピアニーと二人っきりのお茶会だったはずだ。誰か……伯爵家の者が聞いていて密告したのだろうか。
デイジーの疑問はあっさり解けた。
「かの伯爵令嬢の声はよく通るね。外だから聞かれないと思っていたのかな?」
「ピアニー……」
「アルミーナム伯爵家はあの妹くんだけが宜しくない。貴族としての学びを放棄して、それなのに身分を笠に着る。そんな存在が殿下の婚約者である彼の側にあるのは問題だと監視がが付いていたんだよ」
「監視、が」
「そう。それで兄に取って代わろうなんて馬鹿馬鹿しい話をしだしたからね、妹くんを早急に伯爵家から出すことを殿下が命じられた」
「え?」
「そして君にも釘を刺したいと仰せでね」
「く、ぎ?」
「君はまだ何も起こしていないけれど、万が一を考えて王宮より縁談を薦めることとなった。その相手がこの男だ」
ここまで言われて、デイジーはようやくこれが絶対に断れない縁談なのだと気づく。
「ジンク子爵、そういうことだからよろしく頼むよ」
「……はい。よろしくお願いします」
子爵家当主の父親が小さく頭を下げる。そうして婚約に関する正式な書類はまた後日と、今日は仮りを済ませて二人は帰って行った。
改めて母親を交え、デイジーは執務室で頭を下げるデイジー。
「申し訳ありません、お父様」
「……アルミーナム伯爵令嬢はなんと?」
「レインと立場を代わりたいから、レインに汚名を着せようと言って、私と共に部屋へ一晩閉じ込め婚約破棄を狙うと」
「なんと浅はかな」
父親はいきり立ったが、すぐに嘆かわしいと言わんばかりに額に手を当てる。
「ごめんなさい。一晩一緒に部屋に閉じ込められれば責任を問えると、それを盾に話を進めればって。ピアニーには無理って言っても聞いてくれないから、考えるって言って逃げたの」
「なるほど……お前がその場で拒否できていればこの縁談は上がらなかっただろうが、王家はお前がまだ未入学でありまた動かなかったことで手打ちとしたのだろうな」
デイジーはしゅんと肩を落とす。王家に、ファイン殿下にお茶会での会話が知られてしまった以上、もうどうすることもできないのだ。
ーーーレインとの決別が決定的となった瞬間だった。




