中編 Ⅰ 《side:デイジー》
「その件は無理だ」
食事を済ませ別室で話を聞こうと言う両親と共に執務室へ移動し、そこで何度も頭の中で繰り返したデイジーの希望を、子爵家当主である父は間髪を容れずに退けた。
その、迷う素振りもなかったことにデイジーは思わず立ち上がって声高に聞き返す。
「な、なぜですか。レインは伯爵令息ですが上に嫡子のヘイル様がいるので外に出してもいいはずですよね?」
貴族として残れるという悪い話ではないならば、下の爵位であるが子爵家の婿になりませんかと話を振っても問題無いはず。それをせずにただ「無理」の一言で終わらせるなんて、と肩を怒らせ立つ娘に父親は冷静な表情でじっと見つめ返したのち、考えるように目を伏せふうと息を吐く。
「……無理とした理由を言わねばお前は納得しないのだろうな」
「あ、当たり前です」
「……そうか」
父親は静かな声で座りなさいとデイジーへ着席を促す。その声かけで自分が随分感情的になってしまったことに、少々恥ずかしく思いながら座り直す。
そして落ち着くように一つ深呼吸して、尋ねた。
「どうして無理なんですか? もしかして伯爵が下位の貴族はならぬと拒否なさっているとか?」
「いや、そうではない」
そう返す父親の歯切れが悪い。その様子にデイジーだけでなく、隣に座る母親も心配そうに見つめる。そんな二人からの視線を受け、やがて父親は大きく息を吐くと重々しく口を開いた。
「アルミーナム伯爵令息……レイン殿についてはお前たち、夫人と娘同士で正しく交流していると確認できてからその身内ならばと婿候補には入れていた。彼個人の調査を入れ、人柄も含め何ら問題は無いと確信できたので、実は三年前に伯爵へお伺いを立てている」
「え?」
知らないところでそんなに早く婚約はいかがかと申し込んだなんて、と驚いて口を掌で覆うデイジーだったが、しかしそんな話は結果も含めてデイジーだけでなく母親も聞いていない。
父親が何も言わなかったということは……自ずと悪い返事が予想できて、デイジーは口を覆う覆っていた手をぎゅっと握りしめ膝の上へ置く。
その手を包み込むように母親の手が重なった。まるで娘の心痛を慰めるかのように。
「今からお前たちに話すことは他言無用だ。絶対に外へ漏らすな」
「は、はい」
そう切り出した父親の険しい目と厳しい声にデイジーは反射的に頷く。
「レイン殿には既に婚約者がいる」
「……え?」
デイジーは思わず呆けた声が漏れてしまった。そして耳に届いた言葉がすんなりと理解できない。
(え? だって小母さまは打診がきている段階だと言っていたのに……それが決まったとは言わなかったし、レインだって言及しなかった……いや)
レインは婚約者がいるとは言わなかったが、婚約は家同士の決め事だと言っていた。だが。
呆けたままのデイジーに代わり、母親が横から尋ねる。
「レイン君はどちらへ婿入りされるの?」
「婿入りかというと、そうであってそうではない」
「ど、どういう……」
「彼はファイン殿下との婚約が内定していると、アルミーナム伯爵から聞いたのだ」
「え?」
まさかの相手にデイジーは再び呆けた声が出てしまった。
ファイン殿下は我がオーア王国の第二王子だ。黒髪金眼の王家の色を持つ美丈夫で現在の年齢は二十五歳。それはレインとピアニーの兄、ヘイルと同じ歳。
そして王太子妃殿下が第二子を妊娠中で、御子様がお生まれになられたら臣籍降下なさるのだと貴族たちには伝わっている。
(レインが、王族と婚約?)
いや、それよりも。
「え、同性同士で婚約が成り立つんですか?」
「それが王国法には同性同士の婚約及び婚姻は不可と載っていないそうだ。あと過去の事例として、王族であっても子を生さぬためという理由で結ばれた話もあったようだ」
そんなことが、とデイジーは呆けたまま呟く。
王族であっても貴族であっても後継の問題は大事なこと。無用な争いを避ける意味で作らないと決めることもあるのだろう。
その場合、異性が相手であると良からぬ話が広がりかねない。ならば同性同士でとなり、王国法でも相手の性を記載しないという形で認めた訳で。
デイジーは国が同性同士を認めている事情は把握した。けれど到底納得はできない。
「でもそれは第二王子殿下の事情で、その相手がレインである理由はないはずです。どうして、レインが」
「そこまでは伯爵から聞かされなかった。だが……」
言葉尻にやや迷いを滲ませた父親だったが、涙目になりつつあるデイジーの目をしっかりと見つめ。
「デイジー、覚えておきなさい。おおよそ王家の取る行動には必ず意味があることを」
「意味、ですか?」
「そうだ。今回レイン殿が同性である殿下と婚約まで成ったのは、殿下が後継争いを避けようと考えておられたかもしれない。だが私は」
いったん黙し、少し声を落として続ける。
「私は、王家が彼をどこにも渡せないから成ったのだろうと推測している」
真剣な顔をして低い声でそう言った父親へ、デイジーは意味が分からず首を傾げる。
「どこにも、渡せないとは?」
「少なくとも我が子爵家へ婿入りはさせられないと思われたということだ。……それが彼を保護するためなのか、彼の監視のためなのかは分からないが」
そんな、と小さな唇が動いたがその声は掠れており両親の耳に届いたかどうか。
その後のデイジーの記憶は曖昧だ。両親に退室の挨拶をしたかどうかもぼんやりとしながら、足元をふらつかせつつもなんとか自室に戻る。
入るなり閉じた扉にもたれるようにして立ち、やがて強く唇を噛み締めて俯く。
(……レインと結婚できると簡単に思っていた)
母親同士仲が良く、子供同士だって不和ではなく。
デイジーの家の方が爵位が低いけれど、でも一人娘である自分と結ばれればレインは苦もなく貴族のままでいられる。
もしどこの貴族家へも婿入りできなければ平民となり、平民になるなら手に職を、例えるなら文官や騎士を目指すなどやることが多岐にわたることを学ばなければならない。
……などと、いろいろ利点を並べてアルミーナム伯爵に了承してもらう予定だったのに、まさか話を持っていくことさえできないなんて。
「ううっ……」
デイジーの俯き強く目を瞑る端からあたたかいものが流れ落ちる。
もっと早くから、それこそ出会ったときにレインと結婚したいと言っていれば今頃婚約者として仲睦まじく過ごせていただろうか。
(……いいえ)
デイジーは父親の言葉を思い出して大きく首を振る。
(王子殿下が婚約者となるくらいだもの。レインの持つ事情がゆえに、婚約解消となって私の相手を挿げ替えときっとなったでしょうね)
貴族階級のある世界で、ジンク子爵家は下から二番目と低い地位であり最上位に位置する王家に直接物申せる立場にない。
だから何年も前に決まっているレインと第二王子殿下の婚約だって黙って受け入れるしかない。
でも。
それでも。
「好きなの……レインが好き、なのっ」
デイジーは小さく呟き、嗚咽だったものがやがてどんどんと大きくなっていく。
(好きだったのにっ)
告白する前に形にすらならなかったこの恋を悲しみ、デイジーはたくさん、たくさん涙を流した。
翌日。
昼を過ぎても沈んだ気持ちのままのデイジーへ、一通の手紙が届いた。
「……ピアニー?」
それは昨日会ったばかりのピアニーからで、そもそもピアニーがデイジーに手紙を出すのは初めてのこと。
それに昨日の今日でいったい何を話すことがあるのか。そう思いながら届いた手紙を読む。
『デイジーがレインと婚約できるよう協力したい。その話し合いを伯爵家でしましょう?』
この文面を見る限り、おそらくアルミーナム伯爵家でもピアニーの婚約話からレインの話に移って、そこでレインの婚約について知らされたのだろう。
「レインと、婚約……」
このとき、きちんとデイジーは分かっていた。公表していないだけであり、結ばれた王家との婚約をレイン……というか伯爵家側から解消することなどできないことは。
それでもデイジーはこの恋を諦めきれない気持ちから、ピアニーからの提案に縋りたいと思ってしまった。
ーーー縋った結果、更なる悲しい現実へと導かれることとなってしまうとも知らずに




