前編 《side:デイジー》
デイジーは鏡に映る顔をじっと見つめる。心持ちつり上がった濃褐色の瞳、低くてやや丸い鼻頭、薄く紅を乗せた小さな唇。そんな当たり障りのない、毎日見る顔へにこりと微笑むと赤みのあるブラウンの前髪を少し横に流して額を出した。
「うん、いい感じ」
「ええ、お嬢様。今日も可愛くあられますよ」
すっと鏡の前から顔を引くと、着替えを手伝ってくれた年配の侍女が後ろからそう声をかけてくる。この侍女は母にいつもついていてデイジーの乳母ではないがそれに近いくらい長く一緒にあった。そのためか身贔屓的な発言が多い。だからデイジーはほめ言葉についていつも半分くらいの気持ちで聞くようにしている。
なぜなら、ジンク子爵家の一人娘であるデイジーはこの家の中ではお姫様のような扱いを受けるが、我が家の君主制の下にある貴族階級は下から数えて二番目の爵位なのだ。そうと家庭教師より教わったときはがっくりと大きく落ち込んだ。
だから自身の評価が家の中と時折外で受けるものと変わることになかなか馴れなかったが、それも幼い日の話。今は子爵家を継ぐ者としての教育も受け始めているので、他人の大抵の言葉が建前なのだと心して耳を傾けるようにしている。
「デイジー、出かける準備は調ったかしら?」
「はい、お母様」
廊下からそんな声をかけながら侍女の後ろより姿を現したのは、デイジーの母だ。今日は母と共にお茶会に参加することとなっている。
もっとも、お茶会と言っても堅苦しい集まりではなく。
「今回はアルミーナム伯爵家での集まりだから、レイン君に会うのは二ヶ月振りね?」
「ええ」
月に一度、学生時代からの親友であるジンク子爵夫人とアルミーナム伯爵夫人がお茶をする。場所は交互にそれぞれの家で。
ジンク子爵夫人である母がにこにこと笑みを浮かべて「レイン君」と口にした名は、アルミーナム伯爵の二番目の子息でデイジーと同じ歳だ。
そしてデイジーの片思いの相手である。
母親同士のお茶会に便乗し、伯爵家での開催時でしか本人に会えていないが、それでも周りの協力を得て順調に交流を続けていた。
「あなたたちはあと半年で王都の学園に入学よ。そうしたらもう少し頻繁に会えるのではないかしら?」
その言葉にデイジーの脳裏に端整な横顔が思い浮かび、言おう言おうとしていたことを口に出す決心をする。
少し真面目な顔をして母親を見つめる。
「あの、お母様」
「なぁに、デイジー」
「……そのことで、ご相談があるんですけど。でもお父様にも聞いてもらいたいから、お茶会の後でもいいですか?」
「まぁ」
デイジーの言葉に母がまぁまぁとにんまり笑う。その様子だと娘が何を言おうとしているか予想できているのだろう。いいわよ、と頷いて側に立つ執事に父の予定を尋ねている。その会話を聞けば夜には時間が空いているらしい。
「旦那様に伝えておきます」
「お願いね」
そして馬車の用意ができましたと告げられて、母と娘は執事の手を借りて乗り込む。
「レイン君なら旦那様も許可してくださるわ」
「……そうだといいな」
デイジーは目元を赤らめ、小さな声でそう言いながら俯く。
レイン・アルミーナム伯爵令息。六歳で初めて出会ったときにプラチナブロンドの王子様然とした姿に、一目惚れをした。そのデイジーのレインに対する恋心は、お茶会に参加する双方の母親及び幼馴染みの少女に即露見してしまったが、早くから応援もあって、レインは伯爵夫人と幼馴染み、つまりレインの妹のピアニーにより参加するよう呼ばれお茶会の席に座っている。
無理矢理とも取れる行動だが、しかしレインが嫌がれば参加はしないー彼の兄のようにーはずなので、少なからずデイジーたちとお茶をするのを厭っているわけではないだろう。
だから、デイジーはそれにかける。
(……嫌われていないなら婚約の話をしたっていいよね)
この婚約の話はレインにだって利点はある。彼はどこかの家へ入ることができなければ、彼の兄が伯爵位を継ぐときには平民となってしまう。
ならばこちらは子爵家であるけれどデイジーは跡取り娘であり、今はデイジーの一方通行でしかなくレインにそういう感情が湧かなくとも、両家で話し合い婚約をして、学園で一緒に過ごす時間で恋となってその気持ちを育んでいけばいいのでは?と、そう思うのだ。
学園の教室内、制服姿で一緒に勉強する姿を妄想して、デイジーはひとりふふふと笑う。
貴族階級があるこの世界で生きていて、下の方にあるデイジーは叶わないものの方が多いことを学んだ。
それでも、この恋はいずれ成就できると信じていた。
そう、信じていたのだーーー
「いらっしゃい、小母さま。デイジー」
「こんにちは、ピアニー」
馬車が伯爵家に到着し侍女の案内を受けて客間へ向かえば、レインの双子の妹であるピアニーが立ち上がってジンク子爵家の母娘を迎える。
その隣には伯爵夫人が腰掛けていて、あちらとこちらに挟まれるような形で置かれた一人掛けのソファにデイジーの片思い相手であるレインが座っていた。
「ガーデンでお茶しようとお母様が言ったんだけど、まだ肌寒いから室内にしてもらったの」
ピアニーの言葉に頷きながら、デイジーはさりげなさを装ってレインの近くになる側へ腰を下ろす。
「ご機嫌よう、レイン様」
「ご機嫌よう」
挨拶をレインは伏せ目がちに返す。返事がそっけないのは昔からなので、デイジーは気にしない。そして気づかれないよう、俯き加減でちらちらとレインを見つめる。
レインとピアニーは双子の兄妹だ。異性の双子だからか、瞳の色は琥珀色と同じだが髪色はレインがプラチナブロンドでピアニーがダークブロンドと見た目が違い、黙っていれば年子の兄妹と間違えられそうである。
(見た感じ、レインは賢そうに見えるしピアニーは可憐って感じだものね……でも性格は寡黙なレインにあれこれ口に出すピアニーの方がお姉さんっぽいかな)
デイジーは内心でアルミーナムの双子をそう思いながら用意されたカップに口をつける。
お茶会はいつものようにアルミーナム伯爵夫人とジンク子爵夫人としての会話がしばらく続き、それが一段落したとき、デイジーの母が「学園の入学まであと半年ね」と話題を振った。
「そろそろ準備をしなきゃ」
「うちは二人同時だから量が多くていろいろ大変」
母親たちは準備が大変だと嘆いているが、手配はしても実際の対応は侍女らがするので言うほど大変ではないはずだ。
なのでデイジーとピアニーは学園生活が楽しみだと微笑みあう。ピアニーはとくにかっこいい人と出会いたいのだと今からそわそわしている。
「かっこいい人がいたらどうするの?」
「それは、まぁ、そんな人に学園で告白されてみたいなぁって」
デイジーの問いに、ピアニーは両方の掌を頬に当てて目を細め夢見るように言う。
しかしそれには彼女の母親である伯爵夫人がもうと言わんばかりに溜息を零す。
「まぁピアニー、恋愛も大事でしょうけどきちんと勉強もしなさいよ」
「……はーい、分かってますぅ」
デイジーは唇を尖らせて返事したピアニーにくすりと笑い、そしてここまで黙ったままクッキーを齧っていたレインへ尋ねる。
「レインはどう思う?」
「……ピアニーが起こす騒動に巻き込まれず過ごせればいいかな」
齧りながら呟くように言って、それにデイジーが反応する前に聞き捨てならないとピアニーが割り入ってきた。
「ちょっとレイン、それどういう意味よ」
「だって彼氏を作りたいってことだろ? でもピアニーが望むような相手には大抵は婚約者いるだろうし」
「な、私が望む相手って」
「母上に高位貴族の家へ嫁ぎたいってこの前言ってただろ。でも高位貴族の令息は特に嫡男だともう相手決まってるよ。兄上もそうだったし」
そう言ってからレインは欠片を飲み込むと、温くなったお茶を一息に飲む。ピアニーは返す言葉が見つからないのか、唇を噛み締めレインを睨みつけている。
そんな兄妹に止めなさいと止める伯爵夫人へ、デイジーの母がそれとなく尋ねた。
「ヘイル君は入学前に決められていたのね。じゃ、レイン君やピアニーさんは?」
「そうね……どうも婚約の打診は入っているらしいんだけど、うちの人教えてくれないのよねぇ」
母の問いに伯爵夫人が左手を頬に当てて何もないのに天井を見つめる仕草で返す。
すると不貞腐れていたピアニーの反応が素早かった。隣に座る伯爵夫人の腕を掴み、顔を覗き込む勢いで聞く。
「私に婚約の話がきてるの?」
「ええ、この前旦那様とヘイルがそんな会話をしていたのを耳にしたわ」
「えー、どんな人だろう。お父様に聞いたら教えてくれるかなぁ?」
「どうかしら……私たちにまだ言わないということはお相手の方を調査中かもしれなくてよ」
大人しくしていなさいと娘に言った伯爵夫人は、当然のようにデイジーたちの方へ話を振った。
「デイジーさんはどうなの? お婿さんを取ることになるわよね?」
問いかけに対してデイジーはちらりとレインを見て、何でもない顔をしてカップに口をつける。
口を開いたのは母だ。
「そうね、デイジーに婿をと考えているけれど……」
「ね、ね、ね。小母さま、デイジーのお婿さんにレインはどう?」
「ぴ、ピアニー」
母は言いあぐねていたが、ピアニーからの直球すぎる言葉にデイジーは慌てて手にしていたカップを下ろす。しかしこの発言に対するレインの反応が気になって、ピアニーとレインの顔を交互に見ることとなってしまった。
突然婿入りにどうかと名の上がったレインだが、話を振られても動揺するピアニーとは正反対の、とても冷静な態度で肩を竦めてみせる。
「あのな、ピアニー。ここでどうこう言ったって、貴族の婚約相手なんて大抵が当主である親が決めることだろ。兄上のときのように、僕のことだって父上が何かしているんじゃないの」
「は? それってレインの婿入り先をお父様がもう決めてるってこと?」
ピアニーの問いにさぁとレインはまた肩を竦めるのみ。その知らないと言いたげな仕草にデイジーはほんの少し寂しさを感じ、すぐにいやいやと頭を小さく振った。
この気持ちは伯爵夫人とその娘に気づかれているが、デイジーはまだレインに対して何の行動も起こしていない。なので婚約の打診が届いているらしいことに何か言える立場ではないのだ。
初動が遅れてしまったがレインの父親が打診してきた相手を調査をしている段階なら、ジンク子爵家からレインの婿入り話を持ちかけても候補の一つとして含めてくれるだろう。
(家に戻ったらさっそくお父様に話さなきゃ……)
デイジーは気合いを入れるようにぎゅっと拳を握りしめた。




