第90話 ※ニヤニヤと糖分に注意
人のいない、孤立した岩場で。
俺のすぐ目の前で、黙って上着のジッパーを降ろしていく猫谷さん。
徐々に上着で隠されていた白い肌が露わになっていき、思わず目を奪われていた。
(なななんだこれは⁉)
全く予想だにしていなかった猫谷さんの行動に、頭が真っ白になる。
何故か猫谷さん、喋んないし。
ジッパーを降ろして、今にも脱ぎそうだし。
というか肌が眩しいくらいに白いし、人の気配もないし……。
(え……え⁉)
ダメだ。正常に頭が回ってくれない。
本当に動揺しているときは、言葉が出てこないもので。
口をパクパクさせることしかできない田舎者が出現。
「よいしょっ」
声を漏らし、ジッパーを降ろしきる猫谷さん。
上着で隠されていた猫谷さんの体が露わになって……。
「……あ」
上着の前が開き、見えたのは――水着。
白を基調としており、部分部分に髪の色と同じ紫の模様が入っている。
下はスカートっぽいデザインになっていて、上品ながらも可愛らしかった。
「ね、猫谷さん?」
「……まだ」
呟くと、遂には上着を脱ぎ、地面に置く。
「なっ……」
上着など何も羽織っていない、水着姿になる猫谷さん。
雪のように真っ白な肌がこれでもかというくらいに露出していて。
ふっくらとした太ももも、滑らかなおなかも、女の子らしい華奢な肩も。
すべてが今、俺の目の前で輝いていた。
(な、なんだこれは……)
猫谷さんの水着姿が放つ破壊力。
普段、絶対にここまで露出することがない猫谷さんだからこそ、見ちゃいけないものを見ている気分になる。
でもここは海で、しかも水着という事実がどこかそれを許してくれていて。
その絶妙なバランスが俺の脳を破壊していた。
(こ、言葉が出てこない……)
これは動揺なんかじゃない。
なら感動か?
いやいや、恋人の水着を見て感動するなんて、そんな気持ちの悪い人間になった覚えはない。
猫谷さんが視線を斜め下に落とし、もじもじする。
「その……こんなに見えちゃう状態でみんなの前に出るのは恥ずかしくて……だから上着を着てたの」
「そ、そうだったのか」
なるほど。
だから猫谷さんは海に出てきたとき、様子が少し変だったのか。
「でも、えっと……やっぱり、桐生くんには見て……もらいたかったから……」
「っ!」
水着と言葉のダブルパンチがあまりにも効きすぎる。
危うく意識が飛ぶところだった。
うん、十分気持ち悪い人間だった。
「私、桐生くんに見てほしいって思って、水着……選んだの。でも、やっぱり恥ずかしくて……」
「猫谷さん……」
「でも、犬坂さんたちの水着姿、とっても可愛くて……変なのかもしれないけど私、負けてられないって思って」
猫谷さんが瞳を揺らしながら言う。
「桐生くんの一番は、渡したくなかったから」
「ッ!!!」
……なんだよ、それ。
俺に水着を見せたかった理由とか、全部……。
「ど、どう、かな?」
ちらりと俺の様子をうかがってくる猫谷さん。
言いたいことはたくさんあったけど、全部をまとめるとあの言葉になった。
「最高に可愛いよ、猫谷さん」
「っ!!!」
顔を真っ赤にする猫谷さん。
そうか。あのとき、赤羽さんたちが言っていた“褒める”ってこういうことだったのか。
そりゃそうだよな。
女の子が水着で砂浜にやってきたら、男には褒める義務がある。
都会田舎関係なく、全人類に共通することだ。
「そっか……ふふっ、そうなんだ……ふふふっ」
笑みをこぼす猫谷さんを見て、抱きしめたい衝動に駆られる。
それでも抱きしめなかったのは、さすがに水着だったからで。
(ほんと、可愛いな)
俺もニヤケそうになってしまうのをこらえる。
「なぁ、こっちになんかあるぞ!」
「「っ⁉」」
近くから声が聞こえてくる。
しかも砂を踏む足音はどんどん近づいていた。
別にやましいことなんて何もしてない。
けど、本能的にこの状況を誰かに見られるのはマズいと俺も猫谷さんも思った。
「っ!」
――その結果。
「っ……!」
猫谷さんが咄嗟に俺の方に体を寄せ、密着する。
きっと猫谷さんは慌てていて、自分が水着であることを忘れていたんだと思う。
でも、俺は忘れることなんてできないわけで。
(あぁあああああああああ!!!)
水着姿の猫谷さんと体が触れ合う。
もちろん俺も水着なので、肌と肌が重なっていた。
滑らかな肌も、何とは言えないが柔らかな感触も確かに感じる。
心臓がドクドクと色んな意味で鳴っていて、もっと正常じゃなくなる。
「猫谷さ……」
しかし、俺も猫谷さんもあまりの突然なことに体が固まっていた。
動けないまま、密着したまま。
足音は近づき、そして――
「やっぱなんもねーわー」
その声を皮切りに、足音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなると、二人同じタイミングで「ふぅ」と息を吐いた。
「「よかったぁ……」」
「「…………」」
「「…………あ」」
目が合い、お互いにみるみるうちに顔が赤くなる。
「「っ!」」
反射的に離れ、そっぽを向き合う俺たち。
「ご、ごめん」
「い、いや……」
その後、俺たちの間に特に会話はなく。
「あ、やっと戻ってきた」
「おーい! 何してたんだよー!」
「「…………」」
「ん? どうしたんだあの二人」
「さぁ?」
みんなのところに戻っても、しばらくは変に意識してぎこちない俺たちだった。
……でも、こればっかりは仕方がない。
だっていつまで経ってもあの匂いと温度と、そして感触が忘れられないのだから。
(やっぱり、都会ってとんでもないな……)
都会なんて関係ないし、そもそもここは都会ではないのに、そう思わないと正気を保てない田舎者(小心者)な俺だった。




