第79話 感謝と宣言
猫谷さんと家に帰ってくる。
もちろん頼まれたつまみを買ってきた。
あとついでに、俺と猫谷さんが食べたくなったお菓子も。
「おかえり~」
「わざわざありがとうね~」
相変わらず酔っぱらった様子の二人。
顔はほんのり赤く、ワイングラスは片手に持ったままだ。
「……ん?」
「……むむ」
母親ズが俺と猫谷さんを意味ありげにじっと見る。
「な、なんだよ」
「な、なに?」
訊ねるも、返答はなく。
よくわからない沈黙が数秒流れたあと。
「ちゅーでもした?」
「っ⁉ 何言ってるんだ!」
何を言うかと思えば、とんでもないことを言い始めた。
しかも猫谷さん、そして猫谷さんのお母さんがいる前で。
「でもなんか、そういう雰囲気を感じたっていうかさ~?」
「ちゅ~したのね~! まぁまぁ。ファーストキスよね~?」
「っ⁉ お母さんっ!」
猫谷さんが顔を真っ赤にさせる。
(き、キスなんて……)
猫谷さんの反応を見ていたら俺まで変に意識してしまい、顔が熱くなる。
やっぱり、この二人は自由すぎる。
普通、子供の前でそんなこと言わないだろ……。
「うふふ♡」
猫谷さんのお母さんはなんだか楽し気に微笑むのだった。
ほんと、なんなんだ俺たちの母親は……。
♦ ♦ ♦
翌朝。
いつも通りの時間に家を出ると、エレベーターの前で見知った人の姿が見えた。
その人も俺に気が付き、「まぁ!」と顔を明るくさせる。
「旭くんじゃない~!」
「ど、どうも」
「昨日はありがとうね~。すっごく楽しかったわ~」
「いえいえ、こちらこそです」
結局、あのあと日付が変わるくらいまで母親ズは飲んでいた。
猫谷さんは限界が来たのか、またしてもソファで寝てしまい。
寝ぼけた状態で帰っていったのを思い出す。
(猫谷さん、夜は弱いんだな)
そういえば、嵐の日も猫谷さんが先に寝ちゃったんだよな。
なんてことを思っていると、猫谷さんのお母さんがスマホを胸ポケットに入れる。
「昨日だけじゃなくて、ここ最近はありがとうね~」
「え? 俺何かしました?」
「してるわよ~。だって、瑞穂ととても仲よくしてくれてるでしょ~?」
エレベーターが一階からようやく動き出し、上がってくる。
「本当に嬉しいのよ~。瑞穂が誰かと、それも旭くんみたいな素敵な人と一緒にいることがね~」
うふふ、と微笑む猫谷さんのお母さん。
「瑞穂に聞いたかもしれないけれど、うちは幼い頃に離婚して、お父さんがずっといないのよ~。それに、私もちょうど仕事が忙しくなってね~。できる限り一緒にいたいと思ってたけれど、普通の家に比べたら少なくて、ずっと瑞穂には申し訳ないと思ってたわ」
「そう、なんですか」
嵐の日、猫谷さんが俺に話してくれたことを思い出す。
離婚する前、雷の鳴る日は父親に傍にいてもらったこと。
一人でいることが多くて、それがいつの間にか楽になっていたこと。
「やっぱり、家でもときどき寂しそうな顔してたし、内気で自分のことをあまり話すタイプじゃないから、心配で……母親としては、情けない話ではあるのだけどね~」
エレベーターがようやく到着し、二人で乗り込む。
一階のボタンを押すと、ゆっくりとドアが閉まり、下へと降りていった。
階数の表示がどんどん減っていく中、猫谷さんのお母さんが俺をまっすぐ見つめる。
「でも、旭くんと出会ってから、瑞穂はとても変わったわ~。もう寂しそうな顔はしてないし、家では私に旭くんの話ばっかりするようになってね~。うふふ、とっても可愛いのよ~?」
「あはは、なんだか想像できます」
猫谷さんが可愛いことも、もちろん。
「やっぱり、恋は女の子をガラッと変えるのね~。だから、旭くんにはとても感謝しているわ~。母親としてありがとう、旭くん」
「っ!」
猫谷さんのお母さんの言葉が、言葉以上に伝わってくる。
長い年月をかけて積もった思いや温もりも、全部。
「むしろ俺の方こそ、猫谷さ……瑞穂さんには感謝してます。色々なことを教えてもらってますし、こんな世間知らずで田舎者な俺が、上京したばかりなのにこんなに楽しいのは友達と、そして瑞穂さんのおかげですから」
「まぁ~! うふふ、そうなのね~」
嬉しそうに微笑み、手を合わせる。
「じゃあ引き続き、瑞穂のことお願いしてもいいかしら?」
その質問に対し、俺は真っすぐ答えた。
「はい。俺が絶対に、幸せにします」
「まぁ! まるでプロポーズみたいね~!」
「あははは……」
確かに、猫谷さんのお母さんに今、面と向かって言うことじゃなかったかもしれない。
けど、後悔は一つもなかった。
エレベーターが一階に到着し、エントランスを抜ける。
するといつもの場所に、すでに猫谷さんが立っていた。
「あ、おはよう、猫谷さん」
「っ! ……はょぅ」
「?」
体を小さくし、目をそらされる。
(あ、耳が真っ赤だ)
猫谷さんは照れているとき、耳が真っ赤になる。
ということは今、照れてるってことなんだろうけど……なんでだ?
首を傾げていると、猫谷さんがお母さんを睨みつける。
「っ……!」
猫で言うところの「シャー!」みたいな威嚇。
しかし、諸共せずに穏やかな笑みを浮かべる最強の母親。
「うふふ、じゃあ私は仕事に行ってくるわね~」
手をひらひらと振り、立ち去っていく。
姿が見えなくなると、猫谷さんはようやく警戒を解いた。
ふぅ、と一息つく。
「どうしたんだ?」
「っ! ……なんでもない」
「?」
なんでもないわけがない。
けど、猫谷さんが顔を真っ赤にさせている理由が全くわからなくて。
その日一日は、少し様子がおかしい猫谷さんだった。




