第77話 猫谷さんのお母さん
ダイニングテーブルに座る。
隣にはニマニマした母さんがいて、正面には気まずそうな猫谷さんがいて。
そして、猫谷さんの隣には……。
「ごめんなさいね~、娘が迷惑をかけてしまって~」
「いやいや、瑞穂ちゃんは何も悪くないよ~。世間知らずなうちの息子が全部悪いんだからさ~」
「そんなことないわよ~。他人様の家でぐっすり寝ちゃう、もっと世間知らずなうちの娘が全部悪いわ~」
「いやいやいや、うちの息子が」
「いやいやいやいや、うちの娘が~」
「「…………」」
母親同士の話を黙って聞く子供の俺と猫谷さん。
猫谷さんの隣に座り、ずっと「ウフフ」な調子で微笑んでいるのは、ご想像通り猫谷さんのお母さん、猫谷真由子さんだ。
(猫谷さんに似てるな……猫谷さんをもっと穏やかにふわっとさせて、大人にしたみたいな感じだ)
つまり、めちゃくちゃ美人だってことだ。
そりゃそうだ。猫谷さんがこれだけ美人なのだから、そのお母さんも美人に決まっている。
「あなたが桐生くんなのね~」
猫谷さんのお母さんの照準が俺へと向けられる。
「は、はい」
「瑞穂から話は聞いてるのよ~? もちろん、お付き合いしてることもね~」
「挨拶遅くなってしまい、すみません」
「まぁ! 律儀ね~!」
「お母さん!」
な、なんだろう。
言葉にするのが非常に難しいが、とにかく気まずい。
「びっくりしたわ~。まさか瑞穂の彼氏さんが、同じマンションの三つ隣だったなんて~」
「私には言ってなかったよね? 旭?」
「言うタイミングがなくてだな……」
「へぇ?」
そのすべてを見透かしたうえでからかうことを決意した目、やめてくれ。
「それにしても~」
猫谷さんのお母さんが、じっと俺を見る。
「な、なんですか?」
しかし、黙ったまま見つめられ続ける。
息が詰まり、もう一度訪ねようとした――そのとき。
「桐生くん、カッコよすぎるわね~!」
「……え?」
予想の斜め上な言葉に、変な声が出た。
「テレビに出てくる俳優さんみたいだわ~。そのうえ勉強も学年一位なのよね~? 瑞穂からしつこく、熱心に聞いたのよ~?」
「えっと……ど、どうも」
「へぇ、学年一位だったんだ。私聞いてないなぁ~?」
母さん、その笑顔の裏にひそめた強烈なプレッシャーかけてくるのやめてくれ。
「しかも体育祭で大活躍したんでしょう~? 球技大会でも優勝に導いて、運動神経も抜群だなんて、きっと女の子にモテモテよね~?」
「そんなことは……」
「すごくモテてる」
「猫谷さん⁉」
「すごく、モテてる」
強調しなくても……。
「桐生くんの話、瑞穂から聞いてて~。知ってる~? そのときの表情ったらもう、珍しく恋する乙女のそれで~」
「お母さん⁉ ちょ、ちょっと何言ってるの⁉」
「事実を言ってるだけでしょ~? ここ最近の瑞穂、毎日のように桐生くん、桐生くんって~」
「うわぁあああっ!」
珍しく声を上げる猫谷さん。
顔はいつの間にか真っ赤で、両手で顔を押さえる。
「瑞穂ちゃん、ほんと可愛い……標本にしたい」
「急に怖いこと言うな」
カオスな状況の中、ずっと「ウフフ」な笑みを絶やさない猫谷さんのお母さん。
そのマイペースさや穏やかなところは、猫谷さんに通じている気がする。
なるほど、この強烈なお母さんから生まれたから、猫谷さんは猫みたいな性格になったのか。
「これまで瑞穂、男の子に全然興味なくてね~? 好きな男の子の話すら聞かなかったからちょっと心配してたのだけど、安心だわ~」
「私も同感だな~。旭、恋愛に関してあまりにも偏差値と言うか、勘が無さすぎるから」
「え? 偏差値?」
「ほら」
「まぁ、ほんとね~!」
「……え?」
「……確かに、それはそうかも」
猫谷さんまで、なんで納得してるんだ。
もしかしてついていけてないの、俺だけ?
「でもまさか、桐生くんみたいな素敵な男の子と付き合うなんて、瑞穂もやるわね~」
「っ! ……確かに、桐生くんは私にもったいないくらい素敵な人、だけど」
「っ! ……それを言うなら、猫谷さんだって俺にはもったいないくらい……」
恥ずかしくなって、俯きながら言う。
すると「ん?」と猫谷さんのお母さんが首を傾げた。
「どっちも猫谷さんだけど、どっちの猫谷さんかしら~?」
「え? それはもちろん……」
言いかけてやめる。
意識的に、というより無意識的に。
「どっちの猫谷さんかしら~?」
穏やかな笑みを纏いながら、視線を注がれる。
「ほら旭、答えなって~」
「っ!」
ここで引くほど、俺も甲斐性なしじゃない。
短く息を吐くと、正面に座る二人に向けて言った。
「瑞穂さん、です」
「っ!!!」
ビクッと体が反応する猫谷さん。
「ほら、瑞穂も続けて~?」
「え⁉」
「瑞穂ちゃん、どっちの桐生くんなの~?」
またしても母親ズから意味ありげな視線を向けられ。
猫谷さんは唇をきゅっと閉じ、照れながら呟いた。
「旭くん、です」
「っ!!!」
なんてことない名前なのに、これまでの人生のどの瞬間よりもインパクトがあって。
口を押える母親ズ。
「「初々しいぃ~~~~~~~~~~~~~~!!!!」」
な、なんだこれは!




