第76話 寝起きのジャブ
母さんがニヤニヤと俺のことを見る。
猫谷さんは俺の体に寄りかかり、気持ちよさそうに寝息を立てたままで。
血の気がサーっと引いていく。
(や、やってしまった……)
まさかそのまま寝てしまうなんて。
あまりに猫谷さんといるのが楽しくて、完全に気を抜いていた。
「昨日の夜、しつこく何時に帰ってくるのか聞いてたのはそういうことだったのかー。ふーん、なるほどね~」
「うぐっ」
何も言い返せない。
「彼女連れ込んで、しかもリビングのソファでイチャイチャとは……旭もやるようになったじゃん?」
「やるようになったって……」
「もう都会に染まったの~? ねぇねぇ~?」
俺の頭を突くなからかうな!
「染まってなんかない。ただまぁ、恋人ができただけで……」
「恋人、ねぇ」
母さんの視線が、俺の隣で寝ている猫谷さんに移る。
「……それにしてもさ」
「な、なんだよ」
母さんが猫谷さんをじっと見る。
「…………この子、可愛すぎない?」
人は本当に驚いたとき、大きなリアクションができない。
全くその通りで、母さんは恐ろしいものでも見るかのように、小刻みに震えていた。
「んぅ……」
規則的な寝息が聞こえてくる。
俺の体にもたれかかっている猫谷さんの、艶やかな髪は乱れていて。
寝顔は神聖不可侵さを感じてしまうほどに、もはや神々しい。
というか、なんならキラキラと輝いていた。
「激しく同意だ」
猫谷さんの綺麗と可愛いが同居した寝顔は、テレビを含めて俺が見たどの人より魅力的だ。
(一生をかけて、守りたい……)
なんて突拍子もないことを思ってしまうくらいに、今の猫谷さんは美しい。
「息子の彼女がここまで可愛いと私、どうしていいかわからないんだけど……ってかこの子、芸能人? アイドル? モデル?」
「いや、一般人だ」
「このレベルの女の子、野良に放っちゃダメでしょ」
「野良って……」
確かに、母さんの言うこともよくわかる。
俺も初めは、絶対に芸能人だと思ったから。
「んっ……」
もぞっ、と猫谷さんが体を動かす。
やがてゆっくりと目を開けると、俺を見上げた。
「……おはよぅ、桐生、くんぅ」
「お、おはよう」
明らかに寝ぼけた様子の猫谷さん。
どうやらこの状況に気が付いていないらしく、「んーっ」と大きく伸びをする。
「ふはぁ、気づいたら寝ちゃってた……ね?」
目の前の母さんと目が合い、瞬きを三回。
「……え?」
窓の外を見て、視線を母さんに戻し、瞬きを五回。
「えぇ⁉」
声を上げる猫谷さん。
母さんはニヤッと口角を上げると、猫谷さんに顔を近づけた。
「初めまして、旭の母でーす! お義母さんって呼んでもいいよ~?」
「おい。初っ端からなんてこと言うんだ」
「こういうのは第一印象が大切だからね」
今の母さんだと、この状況を楽しんでるフランクな人って第一印象だろうけど、それでいいんだろうか。
猫谷さんに対してどういうイメージを与えたいのか、全くわからない。
「お、お義母さん……」
「うんうん、その響き最高だねぇ」
どうやらご満悦らしい。
思えばいつもより二段階ぐらいテンションが高い気がするし。
そもそも、普段から人よりテンションが高いのに。
「お名前は?」
「ね、猫谷瑞穂、です」
「旭とはどういう関係なのかな~?」
「え、えっと……」
スカートの裾をきゅっと掴む猫谷さん。
俺の方とちらりと見て、顔を真っ赤にさせる。
「…………お、お付き合いしてます」
「っ!」
「たはーっ!!!」
どういう反応だそれは。
こっちは猫谷さんの発言で、ツッコむ余裕すらないのに。
「す、すみません。寝てしまって……」
「いいのいいの。こういうのは全部男の子が悪いから」
「めちゃくちゃな意見だな」
でも、この場合は確かにそうかもしれない。
俺が猫谷さんを家に誘っておいて、俺も一緒に寝てしまったのだから。
「ごめん、猫谷さん」
「ううん、私こそごめん。つい気持ちよくなって……寝ちゃってた、から」
「……なにこれ、めっちゃ初々しいんだけど」
「母さん!」
ダメだ。
ここに母さんがいることが、圧倒的にアウェーすぎる。
ひとまず諸々の説明は後にして、猫谷さんを家に帰さないと思ったそのとき。
「あっ」
猫谷さんのスマホに電話がかかってくる。
画面に表示されている名前は『お母さん』だった。
「もしもし」
『やっと繋がったわ~。今どこにいるの~? 家に帰ったら瑞穂、どこにもいなかったから心配したのよ~?』
「ご、ごめん。ちょっと、色々あったら遅くなって……」
『色々ってなぁに~?』
「っ! その、えっと……」
ちらりと俺の方を見る猫谷さん。
こうなったのも全部、俺の責任だ。
心配させてしまったのだし、猫谷さんのお母さんにも、俺の口から説明して謝罪を……。
「うん、ちょうどいい機会だねぇ」
「……え?」
母さんがニヤリと笑い、猫谷さんに手を伸ばす。
「瑞穂ちゃん、私に代わってもらってもいい?」
「は、はい」
反射的にスマホを母さんに手渡す。
その瞬間、嫌な予感がした。
いや、母さんがニヤッと笑ったあたりから、もうすでにわかっていたのかもしれない。
「もしもし? すみません、瑞穂ちゃんから代わりました、桐生旭の母です~。あのぉ……」
この感じ、やっぱり嫌な予感は当たってそうだな……。




