第64話 ハグ
放課後。
秋斗と波留は先に帰り、俺は進路相談室に呼び出されていた。
そこで進路についての話を担任とし、帰ろうとする頃には校内はあっという間に部活ムードに。
校内の穏やかさと、校庭の活発さ。
妙なコントラストを感じながら、廊下を歩く。
下駄箱に到着し、自分のクラスの列にやってくると人影が見える。
その子は俺のクラスの下駄箱に寄りかかり、天井を見上げてボーっとしていた。
そんな姿さえも絵になっていて、思わず目を奪われてしまう。
固まっていると、その子が俺に気が付き、「あ」と声を漏らした。
「桐生くん」
「猫谷さん。もしかして待ってくれてた?」
「うん、一緒に帰りたかったから」
「……そっか。嬉しいよ、ありがとう」
「っ! き、桐生くんはすぐそういうこと言う……」
「そういうこと?」
そういうことがどういうことなのか、皆目見当もつかない。
「そ、そういうこと!」
話は終わり、と言わんばかりに言い切り、猫谷さんが下駄箱から体を離す。
「帰ろ、桐生くん」
斜め下を見ながらそう言う猫谷さんに、思わずテンションが上がった。
二人並んで帰り道を歩く。
今日は学校を出てすぐに猫谷さんが手を繋いできた。
ちなみに何も言わず、ノールックである。
……やっぱり、猫谷さんは何があっても守ろう。
この命に代えても、だ。
「ね、桐生くん。公園寄らない?」
指さす方には、人気の少ない公園があった。
芝生の公園で遊具は少なく、ベンチが等間隔に置いてある。
そういえばいつもこの公園の前を通っていたけど、一度も寄ったことがなかった。
「いいよ」
「ふふっ、やった」
嬉しそうにはにかむ猫谷さん。
ダメだ、やっぱり可愛い。
猫谷さんと二人でベンチに腰掛ける。
二人だとかなり余裕のある大きさだったが、猫谷さんは俺にピタリとくっついていた。
「今日の猫谷さんはいつになく甘えん坊だ」
「そ、それは……だめ?」
「ダメじゃない。むしろ嬉しいというか、なんというか……甘えられて嬉しいって、変か?」
「変というか、私はすごく嬉しい。それで桐生くんも私に甘えてくれたらいいなって思う。甘え合うの」
「あはは、甘え合う、か」
聞いたことのないフレーズだ。
でも、猫谷さんはまるで渾身のワードを残したと言わんばかりで、思わず頬が緩んでしまう。
「それに……今日は桐生くんに甘えたいから」
猫谷さんが俺の肩に頭をちょこんと乗せてくる。
艶やかな髪が肩から腕にかけてかかり、相変わらず甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
それでも猫谷さんは俺の手を握り、もたれかかったままで。
目の前の空に一羽の鳥が現れて、悠々と空を横切っていく。
さらにもう一羽あとから追ってきて、二羽とも消えていった。
ゆっくりと時間が流れる。
「ねぇ、猫谷さん」
「なに?」
「もしかして今日の昼休み、花壇の近くにいた?」
「っ⁉」
ビクッと反応する猫谷さん。
それはもはや言葉を必要としない、紛れもない答えだった。
「やっぱり。なんとなくそんな気がしたんだよね」
「……き」
「き?」
「桐生くんが鈍感じゃない……」
「え、鈍感?」
「いや、やっぱり鈍感かも」
「?」
首を傾げていると猫谷さんが小さく笑う。
笑っている姿を見て安心しながらも、俺はしっかりと言わなければいけなかった。
間違いなく猫谷さんに不安な思いをさせてしまったから。
「ごめん、猫谷さん。伊澄さんのこと放っておけなくて……猫谷さんがどう思うか、わかってたのに」
「……ほんとだよ。私ちょっと、その……し、嫉妬しちゃったし……」
頬を赤らめながら言う猫谷さん。
「本当にごめん」
「……でも、もし桐生くんが見て見ぬふりしてたら、ちょっと悲しかったかも」
「え?」
想定もしていなかった言葉が返ってくる。
「私もね? よくわからないこと言ってるなって思うし、桐生くんが困っちゃうくらいめんどくさいこと言ってるかもしれないけど……と、とにかく! 私が言いたいのは、その……」
唇をきゅっと結び、黙り込む猫谷さん。
俯き、やがて顔を上げると。
視線をあたふたさせ、赤くなった耳に零れ落ちた髪をかけて小さく呟いた。
「そんな桐生くんが……す、好きだから…………」
「っ!!!」
咄嗟に体が動く。
気づけば俺は猫谷さんを抱きしめていた。
小さくて柔らかな体が、腕の中におさまる。
「き、桐生くん⁉」
「世間知らずで、色んな事を他の人より知らない俺だけど、猫谷さんは絶対に幸せにするから」
「へ⁉」
「誰よりも猫谷さんが好きだ。いや、大好きだ」
「き、桐生くん……」
少し強く猫谷さんを抱きしめる。
今は猫谷さんに触れて、確かに俺たちが存在することを確かめたかった。
そして、証明したかった。
「…………うん」
猫谷さんが小さくうなずき、俺の背中に手を回す。
お互いに抱きしめ合い、ふたりだけの世界に包まれる。
あまりにも心地よくて、幸せという何かが間違いなく空間を、心を満たしていた。
やっぱり、この子だけは何としてでも守りたい。
守るだけじゃなくて、幸せにしたい。
そう心の底から思うのだった。
それがどうしようもなく、恋だった。




