第62話 色んな優しさ
再び伊澄さんと目が合う。
俺たちの間には、何とも言えない雰囲気が流れていた。
わずかに沈黙の時間が流れ、先に口を開く。
「こんなところで会うなんて奇遇だな。伊澄さんも買い物?」
「そ、そうですけど」
ちらちらと隣の猫谷さんを見ながら伊澄さんが言う。
猫谷さんは俺の腕の締め付けを少しだけ強くした。
俺と伊澄さんを交互に見る。
そうか、猫谷さんは伊澄さんのことを知らないのか。
「あ、ごめん。この人は伊澄美波さん。園芸部で、中庭の花壇を育ててるんだ。前に猫谷さんとも見たと思うけど」
「あー、最近よく見てるって言ってたあの」
「そうそう」
「そこでちょっと話すようになったんだ」
「伊澄、美波さん……どうも」
「っ! ……どうも」
伊澄さんが猫谷さんの視線を受けて、顔を強張らせる。
「それで伊澄さん、この人は俺の……」
伊澄さんにも紹介しようとした――そのとき。
「それはいいですッ!」
勢いよく遮られる。
「もう、わかったんで」
「そ、そっか」
「……それじゃ」
視線を斜め下に落とすと、伊澄さんが歩き始める。
声をかける隙もなく、伊澄さんはいなくなってしまった。
元々伊澄さんは波留みたいなタイプではないけど、最近は友好的に話してくれていた。
それゆえに、今の伊澄さんの反応が引っ掛かった。
なんだか、大事なことを見落としている気がする。
伊澄さんがいなくなった方を見ながら考えていると、「桐生くん」と声を掛けられる。
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
「……伊澄さんとは仲いいの?」
「え?」
「どうなの?」
「まだ話し始めたばかりだし、仲がいいまではいかないと思うけど」
「ふぅん、そっか」
そう言って、猫谷さんはそっぽを向いてしまう。
腕に抱き着いたまま、視線は合わず。
明らかに思うところがある様子の猫谷さん。
こんな猫谷さんを見るのは初めてだった。
でも、どこか既視感がある。
それはもしかしたら、俺も同じ感情になったことがあるから?
何はともあれ、彼女に引っかかりを持たせたらダメだ。
色んな可能性をグルグルと考え、必死に頭を回し。
あ、とようやく気が付く。
「伊澄さんとはそういう感じじゃないよ?」
「っ! ……わかってるよ」
「俺は猫谷さんに一途だから。言葉じゃ上手く説明しきれないけど、今まで出会ってきた人の中で猫谷さんはすごく特別な存在だし、この先も、俺の人生ごと一緒にいてほしいって思うくらいに大好きな人で……」
「そ、そこまでっ!」
顔を真っ赤にした猫谷さん。
すっかりあの浮かない表情はなくなっていた。
「もう……桐生くんは人目とか気にしないの? ここ、私と桐生くんだけの空間じゃないんだよ?」
「わ、悪い」
「……嬉しかった、けど」
きゅっと俺の腕に抱き着く猫谷さん。
その表情からも、本当に嬉しかったことが伝わってくる。
「でもね、私が本当に言いたいことは違うの」
「本当に言いたいこと?」
「そう。私はね? 桐生くんは、その……私を寂しくさせないって約束してくれたから、大丈夫だと思ってる」
「あぁ、絶対に寂しくさせない」
「人目!」
あ、ごめんなさい……。
「私が心配してるのは、あの子のこと。伊澄さんのこと」
猫谷さんの顔つきが変わる。
「たぶん桐生くんは誰に対しても同じで、とっても優しいと思うし、それがいいところだなって私は思うよ? でも……あの子にとっては、そうじゃないかもしれないから」
猫谷さんは、あくまでも明言を避けた。
それゆえに、逆に伝わるものがある。
伊澄さんにとって、俺の優しさが毒になりうること。
最近、猫谷さんと付き合い始めたのもそうだし、周りの俺に対する印象がだんだん正しく理解できるようになっていた。
以前、猫谷さんにもお墨付きをもらっていたし。
だからこそ、自惚れた仮説が思い浮かんでしまう。
「優しさにも色々あるから、気を付けてね」
「……わかった。ありがとな」
「うん、どういたしまして」
猫谷さんと歩き出す。
俺は言葉を遮った伊澄さんの表情を思い出していた。
――もう、わかったんで。
あの言葉と表情の意味。
(やっぱり、難しいことだらけだな)
♦ ♦ ♦
※伊澄美波視点
月曜日。
今日は花壇の土を入れ替える日で、部室から土の入った袋を運ばなきゃいけない。
とんでもなく重いのに、相変わらず台車が壊れたままで最悪だ。
ほんとに、最悪だ。
「……はぁ」
脳裏によぎってしまうのは、こないだの休日のこと。
「桐生、旭……」
やっと思い出した。
どこかで名前を聞いたことがあると思ったら、最近転校してきたらしい一個上の先輩だ。
カッコよくて勉強もできて、スポーツもできる。
一年の間でもかなり有名で、大人気で。
教室で先輩の名前が飛び交っていたから知っていたんだ。
それに、桐生先輩の隣にいたのはあの猫谷先輩。
入学して間もない私でも知ってる、涼川高校に通っていて知らない人はいない、超有名人だ。
(きれいな人だったな)
そりゃ、桐生先輩も好きになる。
誰だって好きになるに決まってる。
そう思えば楽になると思ったのに、余計に辛くなってくる。
「……重い」
腕も痛くなってきて、立ち止まる。
すると背後から足音が聞こえてきた。
やがて私の近くで止まる。
「手伝おうか?」
その声に、思わず振り返る。
そこにはあの日と同じように手を差し伸べてくるあの人がいた。
「桐生先輩……」




