第6話 学校に行く
ベッドから抜け出し、リビングに出る。
香ってくるのはパンの焼けた香ばしい匂い。
ダイニングテーブルからはコーヒーの湯気が立ち上っていて、いかにも朝らしい光景が広がっていた。
冷蔵庫をガシャンと閉める音が聞こえる。
キッチンの方を見ると、すでにスーツ姿に着替えていた母さんがバターを取り出していた。
「おはよう、母さん」
「ふはぁ、おは~」
なんとも軽い返答。
しかし、この息子にも友達のように接するフランクさこそが俺の母親、桐生明美なのだ。
途中から俺も手伝い、ダイニングテーブルに朝ご飯を並べていく。
ちなみに朝ご飯は昔からしっかり食べる派である。
一日の始まりは朝。肝心なのはスタートダッシュというのが、もはや桐生家の家訓ですらある。
「「いただきます」」
テレビから朝の情報番組が流れてくる。
大きな窓からは新鮮な朝の光が差し込んでいた。
やはり都会だと朝の雰囲気も少し違う。
なんだかよりキラキラしているというか、オシャレというか。
ド田舎にいた頃は辺り一面「自然、自然、自然!」という感じだったが、都会はそうではない。
「ビル、ビル、ビル!」である。
それも間違いなく田舎とは違う朝の光景に一役買っているだろう。
「今日から新学期?」
母さんが味噌汁を飲み、訊ねてくる。
ちなみに桐生家の朝はパン、サラダ、味噌汁、コーヒーという気持ち悪いラインナップだ。
「うん。母さんは今日も帰り遅くなるの?」
「たぶんねぇ~。こっち戻って来てから、ほんっとやることいっぱいで」
ため息をつきながら言う母さん。
母さんは住んでいる高層マンションぐらい立派なビルが本社の総合商社で働いている。
「旭に手伝ってもらいたいくらいだもん。ってかたぶんできるでしょ、旭なら」
「できるわけないだろ」
俺を何だと思ってるんだ。
「そういえば、アンタの部屋にあったマフラーとかハンカチとか、誰からもらったの」
「紗枝さんとか香奈さんとかだけど」
「……ふぅん、なるほど」
「な、なんだよ」
「やっぱヤバいな、私の息子、ってね?」
「?」
母さんがニコッと笑って、コーヒーを一口。
なんだか楽しそうだ。
「ほんと、どんどん父親に似てきたというか、性格も含めてまんまというか……」
「なに?」
「や、なんでもない。今日から新学期なんでしょ? ならここで、お父さんをよく知ってる私から一つ忠告」
ビシッと俺を指さす母さん。
「女の子、泣かせるんじゃないよ?」
母さんの言葉がイマイチ響いてこない。
泣かせるって、普通泣かせるわけないだろ。
俺が女の子をいじめるとでも思ってるのか?
のほほんとした、平和そのものの田舎で育って、いじめの「い」の字も知らない俺が。
むしろ泣かせられる方だろ、都会の女の子に。
「泣かせるわけないだろ? むしろ泣かされないように気を付けるつもりだよ」
俺が味噌汁を飲んで言うと、母さんが「たはぁ」と盛大にため息を吐いた。
「そういうところまで父親似というか……世間をちゃんと教えるべきだったかー」
「え?」
「……ま、面白いしいっか」
そう言うと、母さんはパンにかぶりついた。
さっきから全然母さんと会話が噛み合ってない気がする。
けど、俺の母さんとはそういうものだ。
昔からとにかく自由人で、母親感がほとんどない人。
(変わってるな……俺の母さんは)
そう思いながら、俺もパンをかじった。
姿見の前でネクタイをしっかりと締め、最後の確認をする。
これから通うことになる、新しい高校の制服。
ド田舎は学ランだったが、今はブレザー。
なんだか新鮮で、じっと見てしまう。
(変……じゃないよな。髪型もミサミサさんに教えてもらったようにセットできたし……うん、都会に馴染んでるはずだ)
ド田舎感が強すぎると絶対に浮いてしまうし。
そして今一度、上京してきたときに誓ったスローガンを思い出す。
「身の程をわきまえて、所詮自分は田舎者」
できる限り悪目立ちせず、多くは望まず。
平穏な二年間を過ごそう。
「よし」
鞄を持って、部屋を出る。
上手く馴染めればいいけど……。
マンションを出て、高校に向かって歩く。
またあの猫みたいな女の子と会えるかもしれないと期待していたが、遭遇できなかった。
そのときはこないだのことを謝ろうと思っていたが、まだ先になりそうだ。
なんてことを考えながら、何度か迷いながらもスマホの地図アプリを駆使して向かう。
徐々に同じ制服を着た生徒たちが道に増えてきて、俺はほっと息をついた。
(早く出ておいてよかった)
あとは周りの人たちについて行けば大丈夫だろう。
安心していると、ふと視線に気が付いた。
それも同じ制服を着た生徒たちからで、ヒソヒソと噂されていた。
「ねぇ、見てよあの人」
「あんな人いた?」
「新入生なんじゃない?」
「超カッコいいよね……!」
「絶対芸能人でしょ!」
「嘘、カッコいい……!」
主に女子からの視線。
しかし、俺の耳に彼女たちの噂話は入って来ていなかった。
なぜなら、俺は……。
(都会ってこんなに生徒いるのか⁉)
生徒の数に驚き、動揺していた。
俺が今まで通っていた学校は、同級生が二人だけという超少数精鋭。(二人しかいないだけ)
それゆえに、都会の人の多さに完全にやられていた。
「でも新入生にしては大人びてない?」
「じゃあ転校生なんじゃね?」
「そういえば、今年二年に転入試験全教科満点の奴が来るって……」
「はぁ⁉ 満点⁉ 転入試験ってめっちゃむずいんじゃないの⁉」
「都内有数の進学校だぞ、うち」
「さすがにイケメンで勉強もできるっていう二刀流はないだろ。願望も含め」
「そうだとしたら神様の評価ガタ落ちだわ」
「なわけなわけ」
生徒たちの視線が俺に注がれる。
しかし、俺は周りが見えなくなっていた。
半端なく緊張していたのだ。
そんな調子で歩き続け、遂に高校に到着する。
さらに人が多くなって委縮しきっている俺の視界に映る、大きなボード。
そこに生徒たちが群がっていた。
「ま、マジか……」
ここはフェス会場か?
「クラス何だった⁉」
「私A!」
「同じだ!」
「マジか、俺一人じゃん」
「一緒だ! よろしくー!」
声を聞く限り、どうやらクラスが書かれているらしい。
(クラス、か。……心配だ)
お願いします、神様。
どうか田舎者に優しいクラスに振り分けられますように……。