第54話 ダメだ、可愛すぎる
最寄り駅からマンションまでの道のり。
ド田舎とはまるで違う景色が広がっている。
けれど、上京して二、三か月が経ち、少しはこの道も見慣れたものになっていた。
「…………」
「…………」
猫谷さんと二人、歩幅を合わせて歩いていく。
見慣れたと思っていたけど、今はどこか違うように思えてしまう。
それはそうか。
だって今、俺の隣を歩いているのは……。
「今日はすごく楽しかった」
「俺もだよ。初めてちゃんと都会回ったしな」
「桐生くん、行くとこ全部に感動してたもんね。ふふっ、はしゃいでる子供みたいだった」
「あはは……」
実際、柄にもなくはしゃいでいたことは確かだ。
その要因が見たこともない都会の景色だけではないけれど。
「……ほんとに、すごく楽しかった」
微笑みながら呟く猫谷さん。
きっと今、猫谷さんと俺は同じ気持ちを共有している。
そんな気がした。
「初めて猫谷さんと会ったとき、まさかこうなるとは思ってなかったな」
「初めて会ったとき?」
「マンションのエレベーターでさ。ほら、猫谷さんが一風変わったゲームしてて」
「あー。……む、一風変わってないよ」
広告ゲームは一風変わってると思うけど……猫谷さんが言うなら認識を改めよう。
「あのときは衝撃的だったけどね。都会に来たばかりで、こんなに綺麗な人がいるのかってさ」
「っ! あ、ありがとう……」
「?」
なんでお礼を言われたのかはわからないが、気にしなくていいか。
「その後、色々あったけど、まさかあの人が俺の恋人になってくれるなんて」
「あの人って、目の前にいるんだけど?」
「ごめんごめん。俺にはそれくらい、夢みたいな話なんだよ」
本当に、今がまるで夢のようだ。
不意に目が覚めて、夢だったと気が付いても何ら不思議じゃない。
「私もだよ。誰かと付き合うなんて想像もしてなかった。桐生くんと出会う前は、ね」
「猫谷さん……やっぱり、都会には夢が詰まってるんだな。もちろん、田舎にも夢はたくさんあるけど」
「ふふっ、何それ」
クスっと笑う猫谷さんを見て、俺も頬が緩んでしまう。
「ねぇ、桐生くん。手、つなぎたい」
猫谷さんが甘えるように俺の服の袖を掴む。
「もちろん」
快く受け入れると、猫谷さんは自ら俺の手を握った。
指と指が絡み合い、簡単には離せないくらいにしっかりと繋ぐ。
「桐生くんの手、温かい」
「猫谷さんって、案外甘えん坊だよな」
「そう?」
「あぁ。そういうところもほんと、可愛いと思う」
「っ!」
猫谷さんの手がビクッと震える。
なんだろう。
猫谷さんの可愛いところを一つ思いついたら、どんどん言いたくなってしまう。
これが恋の病か。
でも、別に言ったらダメなんてことはない。
だって猫谷さんは……俺の恋人なんだから。
「猫谷さんって、本当に可愛いよな」
「桐生くん⁉」
「猫みたいに気ままだけど、こうやって甘え上手で。一つ一つの表情が可愛いし、心を開いてくれてるんだってすぐにわかるところとか、案外素直なところとか」
「き、桐生くん……」
「全部全部、日本の宝なんじゃないかって思うくらいに可愛い。そういうところが好きだなって、心の底から思うよ」
「――桐生くんっ!」
猫谷さんは斜め下に視線を落とし、絞り出すように呟いた。
「それ以上は……どうにかなっちゃう、から」
「っ! ……可愛いな」
「も、もうっ!」
猫谷さんがもう一方の手で俺の肩をぽかぽかと叩く。
しかし、全然痛くない。
もはや気持ちよさすらあった。
やっぱり可愛いなと思っていると、猫谷さんが手を繋ぎながら体を密着させてくる。
くっつく腕と腕。
ふんわりと猫谷さんのいい匂いがして、お互いの体温すらもわかってしまう。
「猫谷さん?」
「……やっぱり、私甘えたがりみたい」
俺たちの横を一台の車が通り過ぎていく。
「だから、寂しい思いさせないでね?」
とろんとした瞳で、俺をじっと見る。
「もちろんだよ」
俺が答えると、猫谷さんがふにゃりと頬を緩ませた。
「ふふっ、好きだよ」
「……え?」
「好き」
「っ! あ、ありがとう」
あまりの不意打ちに動揺してしまう。
いや、不意打ちじゃなくても動揺していたに違いない。
「……こういうのはちゃんと、頻繁に交換したい、です」
「わ、わかりました」
思わず変に敬語になってしまい、お互いにぷっと吹き出して笑い始める。
もはや俺の腕の中には抱えきれないくらいの幸せがあって。
一つも取りこぼしたくないと大切に抱きしめて、二人で歩いていくのだった。
「ただいまー」
リビングに入ると、ソファーに座って晩酌をしている母さんがいた。
どうやらリラックスタイムらしい。
「おかえり~」
母さんがちらりと俺の方見て、そのまま固まる。
「どうした?」
「……なんかいいことあったでしょ」
「え? なんで」
「だってすっごいニヤニヤしてるから」
「っ!」
すぐに自分の頬を触り、確かめる。
……確かに、ニヤニヤしてたかもしれない。
今度は母さんがニヤニヤすると、
「……彼女でもできた?」
ほんと、エスパーかこの人は。
「まぁな」
「やるじゃーん! あ、もしかしてこないだウチに連れ込んでた子?」
「……へ?」
な、なんでそれを母さんが知ってるんだ?
絶対からかわれると思って言わなかったのに。
「私を舐めないでくれる? 匂いですぐにわかるのよ~」
「あははは……」
やはり母さんには敵わないらしい。
「ま、息子がまた一つ男になったってことで、おめでとう」
「あぁ、ありがとう」
「……ちゃんと避妊しなよ?」
「何言ってるんだ!」
逃げるようにリビングを出て、自室のドアを閉める。
「ったく、母さんは……」
部屋の電気をつけ、ブレザーをハンガーにかけているとスマホが振動する。
どうやら猫谷さんからメールが来ていたようで、心躍る気持ちを押さえながらアプリを開く。
『瑞穂:今日はありがとう。おやすみ』
「っ!」
たったそれだけのささやかなメール。
「……はぁ。ほんと、猫谷さん可愛すぎるだろ」
きっと、今の俺はだらしないくらいにニヤついてるに違いない。




