第46話 恋
「猫谷さん……」
もはや無意識に、勝手に体は動いていて。
ゆっくり、ゆっくりと猫谷さんの方を見る。
猫谷さんは俺の右半身に体を預け、そして……。
「……んぅ」
「…………って、寝てるな」
胸を上下に動かし、寝息を立てている猫谷さん。
俺の名前を呼んだのも、どうやら寝言だったらしい。
(なんだ、寝てたのか)
映画ではとっくにキスシーンは終わっていた。
そりゃそうだ。
何を期待していたんだ、俺は。
というか、期待ってなんだよ。
猫谷さんが映画みたいにキスを待ってくれているとでも思ったのか?
「何考えてるんだ、俺は」
さっきから、本当におかしい。
変なことばかり考えている。
そう思っているのに……。
「っ!」
猫谷さんの寝顔を見て、思わずドキッとしてしまう。
長いまつげに、白くて柔らかな頬。
可愛い、綺麗という言葉だけじゃ足りないほどに猫谷さんは美しかった。
無防備に、俺に体を預けて寝ている猫谷さん。
なんだか目を奪われたみたいに逸らせなくて、じっと見てしまう。
「はっ!」
我に返り、慌てて顔を背ける。
やっぱり変だ。
どうしたんだ俺は。
確かに深夜、猫谷さんが隣で寝ているという状況そのものは変だけど。
知らない自分が急に顔を覗かせているみたいで恐ろしい。
(とにかく、寝れてよかったな)
一息ついて、もう一度猫谷さんを見る。
雷が怖いと言って、眠れないと言って俺の家にやってきた猫谷さん。
しかし、今は気持ちよさそうに寝ている。
それはつまり、俺が目的を達成したということだ。
「んっ……すぅ」
「……赤ちゃんみたいだな」
普段は大人っぽくて、どこか神秘的な雰囲気を纏っている猫谷さんだが、寝ている姿だけは何も知らない赤ん坊のように見える。
そのギャップに、思わず頬が緩んでしまう。
心の底からよかったと思える。
猫谷さんが安心して眠ることができて。
「おやすみ、猫谷さん」
さっき猫谷さんが喜んでいたことを思い出して、頭を優しく撫でる。
猫谷さんは寝ているにもかかわらず、撫でると頬を緩ませた。
ド田舎にいた頃、野良猫を撫でたときに見せてくれた、とろけるような表情をふと思い出す。
本当に猫みたいだ、猫谷さんは。
そしてやはり、どうしようもなく可愛い。
じっと見すぎるのも悪いと思い、テレビに視線を戻す。
しばらくは映画を見ていたのだが、どうしても気になってしまった。
「…………」
猫谷さんに触れている右半身に意識が集中する。
お風呂に入ったばかりだからだろうか。
いつも以上に猫谷さんの甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
――ドクン、ドクン。
またしても鳴り始める心臓。
なんなんだ、これは。
どんどん鼓動が速くなっていく。
以前もあったけど、猫谷さんが家に来てからその回数があまりにも多すぎる。
本当に何かしらの病気になってしまったのだろうか。
『やっぱり、君といると楽しいな』
『っ! ……俺も、楽しいよ』
映画の中で、主人公とヒロインが向かい合っている。
主人公は胸を押さえ、顔を赤くしながらヒロインを見ていた。
『(胸が苦しい……ドクンドクンって、うるさいくらいに鳴ってる)』
(え? 俺と同じだ。俺も今、胸が苦しい)
恋愛映画に出てくる主人公と俺が同じ?
それってどういう……。
ヒロインを見つめる主人公。
『(でも、彼女から目が離せない。離したくない)』
それも何故か共感できる。
主人公がヒロインに抱くのと同じように、俺も猫谷さんに感じているから。
『(他の男と話してるところも見たくない。それはたまらなく嫌なんだ。だって辛いから。苦しいから)』
主人公の言葉が、俺の中にあるものと重なる。
俺は嫌だったのか?
嫌なわけがないのに。むしろ猫谷さんにとっていいことなのに。
――まぁさ、旭は嫉妬するようなことじゃないって口では言ってても、本心からは違かったりするもんだろ? それが人の心ってもんだ。単純じゃないんだよ
急に秋斗の言葉を思い出す。
あのときは絶対に違うと思っていたのに、突然腑に落ちてしまう。
そうなんだと思わされてしまう。
『(もっと話したい……そして触れたい。彼女に、一番近いところで)』
ドクンドクンと、胸の鼓動の音が強くなっていく。
映画の中と同じように、うるさいくらいに響いてくる。
なんだ、これは。
目が離せない。
モヤモヤが急に晴れて、答えが目の前に現れてくる。
まさか。いや、でも……。
これまであった、猫谷さんとの出来事を思い出す。
初めて会って、誤解されて。
不良を追い払って、そこで初めて言葉を交わして、わかり合えて。
たまに話すようになって、深夜に二人で歩いて帰って。
体育祭で頑張れって言ってもらって、そしたらほんとに頑張れて。
気づけば猫谷さんのことばかり考えるようになっていた。
いつの間にか猫谷さんを目で追うようになっていた。
ドキドキして、可愛いなと思って。
胸が苦しくもなって、モヤモヤもして。
猫谷さんに頼られたことが嬉しくて、手を繋ぐと心地が良くて。
……そうか。
『(俺、彼女のことが――好きだ)』
主人公の力強いモノローグ。
それと同時に、テレビの白い光を受けながら思ったのだった。
――これが恋なのか。
辻褄が合う。
俺が猫谷さんにモヤっとするのも、触れたいと思うのも。
今こうして、ドキドキしっぱなしなのも。
触れたいという衝動と、愛おしいという強い感情。
さすがの俺でも気が付いた。わかってしまった。
俺は猫谷さんが――好きなんだ。
――上京したばかりの田舎者、都会で大人気な美少女に恋をする。いや、恋をした。




