第45話 ロマンチックな
テレビの光だけが部屋を照らしている。
俺と猫谷さんは依然としてソファに二人で座っていた。
手はやんわりと繋がれていて、もはやこの状況に慣れてきている。
滑らかですべすべで、柔らかな猫谷さんの手。
猫谷さんの不安を紛らすために握っているも、正直俺が離したくないという気持ちが強くなっていた。
ずっとこうしていたい。
なんて馬鹿げたことを考えてしまう。
『ほら、行くよ!』
『なっ、ちょっと待ってよ』
映画の中では、主人公とヒロインを含めた男女四人が出かけており、主人公とヒロインがお互いを意識しているというシーン。
前後や全体の流れがあいまいなのはきっと、猫谷さんと手を繋ぐことにどうしても意識が向いてしまっているからだろう。
「桐生くんの手、すごく安心する」
猫谷さんが脈絡もなく言う。
「ならよかった」
「まだ雨止まないね」
「風も強いしな」
窓に打ち付ける雨の音。
まだまだ嵐が過ぎ去る気配はないらしい。
「ふはぁ」
猫谷さんがあくびをする。
眠れないと言っていた猫谷さんが、だ。
「眠くなってきたのか?」
「うん、そうみたい。そもそも、普段は12時くらいに寝ちゃうから」
とっくのとうに12時は過ぎている。
いつもなら寝ている時間なんだろう。
「よかったよ。眠れないのが一番辛いからな」
「ありがとね」
「あぁ」
猫谷さんが少しだけ強く俺の手を握る。
その小さな動きが、今の俺にとっては大きかった。
「なんか、思い出しちゃうな」
「何を?」
「……お父さんのこと」
猫谷さんが俯いて続ける。
「雷の日は必ず思い出すんだ。遠い昔、お父さんに手を握ってもらって、子守唄を歌ってもらって。それで寝かしつけてもらったこと」
「……そうだったのか」
「でも、小学校に上がるタイミングで離婚しちゃったから、もうあんまり覚えてないんだけどね」
離婚、か。
俺と同じだ。
無意識のうちに、少しだけ強く猫谷さんの手を握る。
『ねぇねぇ! あそこ行ってみようよ!』
『いいなそれ!』
『私も賛成ー!』
映画では、男女四人が楽しそうに笑い声を上げていた。
猫谷さんがぼんやりと視線をテレビに向ける。
「……私ね、昔から一人だったの。お母さんは仕事が忙しかったから、家で一人でいることも多かったし、元々内向的な性格だったし。それに小学生の頃、親が離婚したことを周りにからかわれたりして」
小学生というのは残酷だ。
無邪気な心で、悪意だと自覚していない悪意を振りかざしてくる。
「そういうのが嫌で一人でいたら、一人でいるの楽だなーって思って、気づいたら一人に慣れてたの。一人でいれば傷つけられることも、傷つくことないから」
猫谷さんはこれまで孤高の存在として、周囲に認識されていた。
それは転校してすぐに秋斗と波留から聞いていたし、実際に猫谷さんを見ても同じ印象を持った。
だけど、ほんとは違っていた。
孤高の存在なんて、聞こえのいいものじゃなかったのだ。
「……でも、どこかずっと誰かと一緒にいたいって気持ちはあったの。それを私、桐生くんに叶えてもらったんだよ?」
「え、俺が?」
「うん、桐生くんが」
猫谷さんの瞳が俺をまっすぐとらえる。
「俺は大したことしてないよ。というか何もしてない」
「ううん、そんなことない」
猫谷さんが首を横に振る。
「桐生くんは私にとって、日陰から連れ出してくれたヒーローだよ」
「っ!」
あまりにも混じりっけのない言葉に、胸を貫かれる。
――ドクン。
今までに感じたことがないような、血液が沸騰したみたいだった。
「そ、そっか」
「ふふっ。うん、そうなの」
猫谷さんが微笑んで、テレビに視線を戻す。
俺は猫谷さんを直視できなくて、思わず俯いた。
なんだ、これ。
あらゆるものを感情が追い越していくような、天地がひっくり返ったような錯覚に陥る。
嬉しいのに苦しくて、何かが内側から突き破ろうとしてくる。
この感情は一体なんだ。
これも都会の病なのか?
というかそもそも、都会の病ってほんとにあるのか?
あんなに信じ切っていたものが揺らいでいる。
それほどに俺は今、動揺していた。
心の色んな境界線があいまいになる中、猫谷さんと繋がれた手だけは確かで。
視野が狭まっていく気がして、心を落ち着かせようとゆっくり呼吸をする。
沈黙が流れて少し経ち。
気を紛らわせようとテレビを見る。
映画では主人公とヒロインが見つめ合っていた。
ゆったりとした音楽が流れ、ロマンチックな雰囲気が醸し出される。
(まさか……)
そのまま二人はゆっくりと顔を寄せ、やがて唇を重ねた。
「っ!」
またしても心が跳ねる。
いけないものを見ているような気分だ。
「…………」
もはや不可抗力的に、二人を俺と猫谷さんに重ねてしまう。
(って、何想像してるんだ俺は!)
慌てて首を横に振る。
今の俺は明らかにおかしい。
やっぱり都会の病か?
それとも嵐の病?
いや、絶対病気だ。
これは絶対……。
――ぽすっ。
不意に右肩に重みを感じる。
温かくもあって、それが猫谷さんの頭だと気が付くのに時間はかからなかった。
「っ!」
体が熱くなる。
目の前のテレビではキスシーンが流れていて。
猫谷さんが俺に体を預けている。
「桐生、くん……」
甘い呟き。
「猫谷さん……」
猫谷さんの方を見たらダメな気がするが、体は無意識のうちに動いていて。
俺はゆっくり、ゆっくりと首を動かし、隣の猫谷さんの方を……。




