第36話 スポットライトの中で
夕陽が差し込み、オレンジ色に染まった教室。
浮世離れした美しさを放った猫谷さんと目を合わせる。
猫谷さんの切れ長な目がわずかに揺れた。
「どうして猫谷さんがここに? だいぶ時間遅いけど」
「スマホ無くなっちゃって。探してたの。桐生くんは?」
「俺は、その……閉会式の後に写真撮影してて」
「あぁー、なるほど。桐生くん人気だもんね」
「そんなことないよ」
本当に人気者なのは、秋斗や波留たちだと思う。
俺と同じように写真撮影を色んな学年の人から求められ、そのすべてに頼む方も心地いい対応をしていたから。
一方俺はあまりに困惑しすぎて、等身大パネルみたいになってたし。
「でもそっか。スマホがないのは大変だな。心当たりはないのか?」
「それがないんだよね。今日の記憶が全然なくて」
「それはスマホがなくなった事より重大な問題な気が……」
苦笑いしていると、猫谷さんが「あ!」と俺を見る。
「桐生くんは気にせず打ち上げ行っていいよ? どこかのお店貸し切ってやってるんだよね?」
「あぁ、秋斗が予約してくれて。でも……」
「桐生くんは主役なんだから。私のことは気にしなくて大丈夫だから」
猫谷さんが視線を戻し、机の中を覗き込む。
(私のことは気にしなくて大丈夫だから、か)
一人で探し始める猫谷さん。
俺は一歩を踏み出し、猫谷さんの席付近を探し始める。
「桐生くん?」
「二人で探した方が早く見つかるだろ? だから俺も探させてくれ」
「でも……」
「それに猫谷さんのことは俺、気になるから」
「っ!」
慌てて顔を伏せる猫谷さん。
その動きは、警戒した野良猫が、人が近づいた瞬間に逃げる行為に近い。
俺、変なこと言ったかな。
今日一日を通じて、心当たりのない反応されることが多いんだよな。
「……ありがとう」
猫谷さんがボソッと呟く。
「それは見つけてからな」
こうして、猫谷さんとスマホを捜索し始めた。
「全然見つからない……」
さっきから教室中を探しているが、一向に見つかる気配がない。
他の場所は探したと言っていたし、教室にある可能性は高いと思うんだが。
「あ、そうだ。俺が猫谷さんに電話をかけて、その着信音で見つけられるんじゃないか?」
「っ! 桐生くん、物探しの天才……?」
「あはは……そんなことないけど」
目をキラキラと輝かせる猫谷さんからの視線を受けながら、猫谷さんに電話をかける。
「静かに」
着信音を拾おうと必死に耳を澄ませる。
「…………」
「…………」
…………。
「…………あ、今聞こえたかも」
「ほんとか?」
「うん、たぶん……」
猫谷さんが疑いながらも、真っすぐロッカーに向かう。
ロッカーを開くと、着信音がより鮮明に聞こえた。
「あ!」
ロッカーから制服を取り出し、スカートのポケットからソレを取り出す。
「あった! あったよ桐生くん!」
「よかった……スカートに入ってたんだな」
「たぶん、今朝着替えたときにそのまま入れっぱなしにしてたんだと思う」
「なるほどな」
猫谷さんもやはり、抜けているところが……。
「ん? 今朝から?」
「うん。思えば今日一日、スマホ触ってなかった。なんで気づかなかったんだろう……」
うーん、と考える猫谷さんを見て、思わず吹き出してしまう。
「ぷっ、あはははは!」
「……ふふっ、あはははははっ」
猫谷さんもそれにつられて笑い始めた。
放課後の誰もいない教室で二人、何気ないことで笑ってしまう。
傍から見ればおかしな状況でも、今の俺たちにとっては替えが効かないくらい面白かった。
「ありがとね、桐生くん」
「こちらこそだよ」
「こちらこそ?」
首を傾げる猫谷さん。
「え、何が?」
「心当たりないのか……」
今日の猫谷さんにはものすごい感謝がある。
もちろん、いつも田舎者の俺と話してくれてありがとうと思ってるけど。
「今日の組対抗リレーのとき、猫谷さん俺のこと応援してくれただろ? がんばれって」
「……そういえばそうかも」
「なんで記憶があやふやなんだ」
相当印象的なシーンだったと思うんだけど……そこは猫谷さんらしいってことで。
「あれに俺、すごく救われたんだ。正直あのとき、結構場の重圧とか視線に呑まれちゃってて……勝てないって、諦めかけてたんだ」
あのときのことを鮮明に思い出す。
猫谷さんが視界に入って、がんばれの言葉をくれて。
湧き上がってきた、特別な力。
「でも、猫谷さんががんばれって言ってくれて、全部吹き飛んだんだ。それはたぶん、猫谷さんだったからなんだろうな」
「え? 私だから?」
「あぁ。優劣はないけど、猫谷さんのがんばれが俺の中ですごく特別だったんだ。それはきっと、俺が猫谷さんを特別だと思ってるからだと思う」
「…………へ?」
思えば都会に来て、初めて話した同級生って猫谷さんだったよな。
あのときの衝撃は今でも忘れないし、一生忘れないだろう。
「ありがとう、猫谷さん。俺に力をくれて」
「っ!!!」
猫谷さんが慌てて俺に背中を向ける。
「ね、猫谷さん?」
「…………」
黙ってしまう猫谷さん。
さっきまで和気あいあいとしていた放課後の教室に、謎の緊張感が漂う。
(……あ、あれ? また思ってた反応と違う?)
冷や汗が出てくる。
またしても間違えたのか? 俺は。
ド田舎と都会とじゃお礼の伝え方にも色々と違いあるかもしれないしな……。
ひ、ひとまずどうしよう。
何とか挽回しなければ……。
「…………どういたしまして」
「え?」
「ど、どういたしまして!」
猫谷さんは俺に背を向けたまま、言葉を剛速球で投げてきた。
驚いてしまって、「あぁ……」としか言えない。
でも、どういたしましてってことは間違えてはない、のかな。
思えばお礼に間違いないとかなさそうだし。
猫谷さんが嫌な気持ちになっていなければ、一安心だ。
……それにしても。
(耳が真っ赤な気がするけど……夕陽が当たってるだけだよな。あのクールな猫谷さんが照れるほどのこと言ってないし)
ひとまず、猫谷さんのスマホが見つかってよかった。
時間的にもあれだし、そろそろ打ち上げ会場に向かった方がいいだろう。
「猫谷さん、俺そろそろ会場行くけど」
猫谷さんが顔を半分だけ見せてくれる。
耳だけじゃなくて、顔も真っ赤。すごいな夕陽。
「私はいいよ。たぶん、一人でいるだけだから。体育祭も別に活躍してないし」
猫谷さんがスマホをポケットにしまう。
遠慮がちな猫谷さんの言葉に、あの日の言葉を思い出した。
――でも、今日は楽しかった。桐生くんとばっかり話しちゃったけど、同級生四人で何か食べるなんて、初めてだったから
猫谷さんのどこか遠くを見て、物寂しそうな顔も同時にフラッシュバックする。
「だから桐生くんだけで……」
「――猫谷さん」
気づけば俺は動き出していて。
「え?」
猫谷さんの左手をとると、ほんの少しだけ手を引いた。
「大丈夫だから、一緒に行こう」
「っ⁉」
今日、待機場所で一人でいる猫谷さんを見て沸き起こった衝動に突き動かされる。
柔らかな猫谷さんの手のひら。
離さないようしっかりと握り、歩き始める。
「ききき桐生くん⁉」
「安心してよ猫谷さん」
「何が安心してなの⁉」
そのまま猫谷さんの手を引いて、歩き出す。
猫谷さんの体は軽やかで、俺の後ろをついてきてくれた。
やっぱりそうだ。
本気で嫌なら、これくらいの力だったら抵抗する。
けど、それが全くなかった。
大人しく、引かれるがままなのが猫谷さんの返事だ。
「き、桐生くん」
「少し行くだけでもいいから。何かあったら責任取るし」
「桐生くん」
「大丈夫だよ。上手く言えないけど、必ず……」
「――桐生くん!」
猫谷さんが立ち止まる。
振り返ると、猫谷さんは斜め下に視線を落としながら言った。
「せ、せめて制服に着替えさせて……」
「……あ」
そういえば俺も着替えてなかった。
「ご、ごめん」
「……うん」
ここで失敗する辺り、さすが俺だな……。
普通に恥ずかしい。いや、めちゃくちゃ恥ずかしい。




