第21話 猫谷さんが家に来た
体育座りをしている猫谷さんが俺を見る。
しんと静まり返った一角には俺と猫谷さんしかいなかった。
「何してるんだ?」
「家の鍵、忘れちゃって」
「そうなんだ……でもここまでは入ってこれてるよな?」
「誰かがエントランスを潜った隙に、こっそりと」
「な、なるほど」
猫谷さんが隙を見てエントランスに入っていく姿を想像して、少し笑いそうになる。
意外に大胆な行動するんだな、猫谷さんって。
「家の人は?」
「たぶん20時くらいに帰ってくると思う」
「20時か……ん? もしかして、それまでずっとここで待ってるのか?」
「そのつもり」
今は16時半くらいだから、20時まではあと3時間半。
ドアの前で座って待ってるのは、さすがの猫谷さんでもキツくないか?
いくら苗字に負けないくらい猫に似てるとはいえ。
「ラウンジとか、それこそ外の店で待ってればいいんじゃないか? さすがにここでずっとは厳しいだろ」
「ラウンジはなんか……意識高い社会人が、自慢げにマッ〇ブックかたかたさせながら電話してるのが見てられなくて」
「めちゃくちゃ辛辣だな」
そういえば、前に興味本位でラウンジに行った時に、そんな人がいたような気がする。
見てられないって感覚、俺だけじゃなかったのか。なんだか少しほっとする。
「それに、家の鍵はいつも財布に入れてるんだけど、財布ごと家に忘れたから……何もできないの」
「八方ふさがりすぎるな……というか、財布も忘れてたならそもそも今日、学食も食べられなかったんじゃ……」
「はっ!」
大きく目を見開く猫谷さん。
「た、確かに……」
どうやら今の今まで気づいていなかったらしい。
猫谷さんも結構抜けてるところあるよな。
だからなのか。猫谷さんに親近感を抱いてしまうのは。
「……うぅ」
「猫谷さん……」
項垂れる猫谷さん。
さすがに可哀そうだ。
しかし、猫谷さんは俺を見ると、気丈な笑みを振る舞って言った。
「桐生くんは気にしないでいいから。よくあることだし」
「よくあることなのか……」
「うん、だから大丈夫」
そう言う猫谷さんだったが、さすがにこのまま「はいわかりました」と言って俺だけ家に帰るようなことはできない。
「あのさ、猫谷さん。もしよければなんだけど、俺の家来る?」
「え?」
「家の人が帰ってくるまでさ」
「さすがに悪いよ。それに……」
「?」
猫谷さんが何か探るように俺をじっと見る。
きょとんとしていると、猫谷さんは視線を緩めた。
「いや、桐生くんのことだし……うん」
「え?」
「とにかく、大丈夫だから」
猫谷さんはそう言って、俺から視線をそらした。
白くて細い腕で膝を抱え、体を小さくする。
「いや、でも……」
やっぱり放ってなんかおけない。
猫谷さんの方に一歩踏み出し、説得しようとした――そのとき。
――ぐぅ。
静謐な空間に響く、間の抜けた音。
「っ!」
一瞬何の音かわからなかったが、お腹を押さえる猫谷さんの真っ赤な顔を見てすぐにわかった。
「い、今のは……」
「……ぷっ、あははははっ」
思わず吹き出して笑ってしまう。
「き、桐生くん?」
猫谷さんは少し怒ったように俺を睨んだ。
「ごめんごめん。でも、なんだかおかしくて」
「お、おかしくない……私のじゃないし、別に」
「じゃあなんでお腹押さえてるんだ?」
「それはお腹が減って……っ! ……桐生くん、前世で取り調べしてたでしょ」
「誘導尋問してないから」
俺がすごいというより、猫谷さんがあまりにもチョロすぎたという方が正しいだろう。
「でも、そりゃそうだよな。朝から何も食べてないってことだし」
「……私じゃないから」
「それはもう無理だ」
「うぐっ。……はぁ。さ、最悪」
この上なく恥ずかしそうにする猫谷さんが、遂に観念する。
俺としては、猫谷さんのお腹が鳴ってしまうのは恥ずかしいどころか可愛いとすら思うのだが……女の子だし、思うところがあるんだろう。
「なおさら俺の家来たら? ちょうど何か作ろうと思ってたし」
「……いいの?」
「いいよ。猫谷さんがよければだけど」
俺の言葉に、猫谷さんが黙り込む。
やがて考えはまとまったのか、視線を落としながら言った。
「じゃあ、お願いします」
ドアを開け、家に上がる。
「……お邪魔します」
猫谷さんが俺の後に続いて、家に上がった。
ドアが閉まり、猫谷さんがビクッと反応する。
「どうした?」
「いや、別に……あ、人の家の匂いだ」
くんくんと匂いを嗅ぐ猫谷さん。
余計に猫に見えてきた。
靴を脱ぎ、リビングに入る。
一か月以上過ごし、最近は慣れてきた新居。
やはり母さんと二人で暮らすには余分なほどに広い。
「へぇ」
猫谷さんが俺の家をキョロキョロと見渡す。
俺はなんだか頭の中を見られているような、妙に気恥ずかしい気持ちになった。
それに、猫谷さんが俺のプライベートな空間にいるというのも、不思議でたまらない。
異質というか、猫谷さんの存在が浮いて見えるというか……とにかく、落ち着かない感じだ。
「思えば私、男の子の家に上がるの初めて」
「そうなんだ。まぁ、男の子って言っても俺だけど」
「? 桐生くんも男の子でしょ?」
「そ、それはそうだけど」
何かおかしなこと言ってる? とでも言わんばかりに俺を見てくる猫谷さん。
「そういえば、他の人は? お仕事?」
「あぁ、母さんと二人暮らしなんだけど、まだ仕事してるからいないんだ」
「私と同じだね」
「猫谷さんもお母さんと二人暮らし?」
「うん、そう」
「へぇ」
なんてことない話をしながら、ふと思う。
今、この家には俺と猫谷さんしかいない。
つまり、俺は誰もいない家に猫谷さんを誘ったことになる。
(……これって、都会で言うところのチャラ男の所業に当たるんじゃ)
別にそういう意図は全くなかったけど、そう思われても仕方がない状況だ。
……いや、考えすぎか。
ド田舎ではこんな状況よくあったし、俺と猫谷さんだし。
変に気にしすぎるのもよくない。
「適当に座ってて。簡単に作るから」
キッチンに向かいながら猫谷さんに声をかける。
「さっきも気になってたんだけど、桐生くんが作ってくれるの?」
「簡単なものだけど」
手を洗い、エプロンを身に着ける。
猫谷さんは興味深そうにキッチンの前に立った。
「そんなに期待しないでほしいんだけど……ほんと、軽いものだから」
ド田舎にいたときにちょっと料理していた程度で全然腕はない。
ばあちゃんには教えてもらってたけど……ほんと、そこら辺の男子高校生とレベルは変わらないだろう。
ただ……。
「桐生くんが料理……気になる」
あの……猫谷さん。
変に期待した目で見るの、やめてくれません?
ほんと、普通なので……。




