第2話 高層マンション
「ふぅ」
段ボールを積み上げ、一息つく。
遂にやってきた、これから母さんと二人で暮らす新居。
今日は初日から、荷物やら家具やらを引っ越し業者の人に運び込んでもらっていた。
しかし、母さんは絶賛お仕事中で、俺一人で荷物の運搬を見届ける。
そしてあっという間にリビングに積まれた、大量の段ボール。
そのほとんどが母さんの物で、俺のは段ボール二つだけだった。
「すみません、これで荷物の運び込みが完了しましたので、お知らせに……」
「ありがとうございます。すみません、荷物が多くて」
「い、いえ! それは……別に……」
視線を落とし、モジモジする引っ越し業者の人。
どうやらこの女性が、チーフらしい。
「…………」
「?」
視線をあたふたさせ、なかなか立ち去らない女性。
完了の報告をしに来たと言っていたが、それ以外にも何かあるのだろうか。
女性の言葉を待っていると、遠慮がちに口を開く。
「あ、あのぉ……お仕事、何されてるんですか?」
「え?」
「あっ、すみません。だ、大学生でしたか?」
「いや、高校生ですけど」
「高校生⁉」
驚いたように目を見開く女性。
そんなに大人びて見えただろうか。
どこからどう見たって高校生だと思うんだけど。
……なるほど、これが都会の“お世辞”ってやつか。
ばあちゃんから聞いたことあるぞ。
思わず上に見られて嬉しくなってしまった。
都会だと乗せられて、気づけば契約書にサインしちゃうんだよな。
注意しないと。ここは金の亡者集まる魔の東京だし。
「な、なるほど……高校生……でも、もはやここまでくれば逆にいいというか……ふふっ、危ない橋を渡ろうとしてる私……すごいスリル……フフフフフフ」
「?」
ボソボソとこもった声で呟くものだから、上手く聞き取れない。
首を傾げていると、女性が顔を上げ、俺をまっすぐ見た。
「あの! もしよかったらなんですけど……こ、これ」
「ど、どうも」
女性から渡される紙切れ。
そこには電話番号が書かれていた。
「む、無理にとは言いません。もしいいなと思ったらでいいので……で、でも私は遠慮なく来てほしいというか……むしろ、大歓迎です! 連絡、待ってます」
「は、はぁ」
理解できずに首を傾げていると、「チーフ! そろそろ撤収しますよ!」と玄関先で他の業者の人の声が聞こえてきた。
「ではこれで! お、お疲れさまでしゅたっ!!!」
ぺこりと頭を下げ、立ち去っていく女性。
最後、完全に噛んでたよな。
……というか。
「これって何なんだろう」
紙切れに書かれた電話番号をじっと見る。
もしいいなと思ったらって、どういうことだ?
でもこれ、引っ越し業者の人からもらった番号なわけだし……。
「何かあったら電話してってことなのかな、引っ越し関係で」
ただ、そういうのは紙切れで渡して来ないと思うけど、それくらいしか理由が見当たらない。
ってことはたぶん、緊急連絡先とか会社の電話番号とか、そんなところだろう。
「都会の人も親切なんだな」
都会に対する認識を改めた方がいいかもしれない。
そう思いながら、ふと窓の外を眺める。
見晴らしのいい景色。
高層マンションなため、景色を遮るものはなかった。
「これが東京か……」
やっぱり景色が全然違う。
雰囲気も全く異なるし、あの町の感覚でいたら痛い目に遭いそうだ。
でも、ちゃんといい人はいる。
さっきの女性がそうだったように、人の良し悪しはあまり場所に関係しないのかもしれない。
「よし、やるか」
そう呟くと、ようやく荷解きを始めた。
俺の段ボールがたった二つだけだったため、すぐに荷解きは終わり。
暇だったので散歩がてら髪でも切りに行こうと思い、家を出る。
高層マンションの場合、エレベーターがなかなか来ないことがネックの一つだが、今日はたまたますぐに捕まった。
誰も乗っていない箱に乗り込み、一階のボタンを押す。
ゆっくりドアが閉まろうとしていたそのとき。
「…………」
ちらりと見える、スマホを見ている女の子。
エレベーターに向かっているようで、俺はすぐに開くボタンを長押しした。
「…………」
艶やかで長く、黒に近い紫色の髪を揺らしながら歩いてくる女の子。
肌は陶器のように白くて滑らかで、切れ長の目も相まって猫みたいだなと思った。
(さすが都会。こんな美人が普通にいるんだな)
それこそテレビの中にいるような芸能人みたいだ。
今ここを歩いているということは、きっと俺と同じ階に住んでいるんだろう。
「……あ。…………む」
スマホを睨みつける女の子。
「な…………………………んぅ」
歩く速度が緩やかになり、
「……………ふぅん」
ふらつく足取り。
「……………………え。うーん……」
遂には立ち止まり、考え込んだ様子でスマホをじっと見る女の子。
どうやらこの子の意識は完全にスマホに持っていかれているらしい。
なんて自由人なんだ。
それに美人だからだろうか。スマホを見ているだけなのに、立ち姿が絵になっている。
……いや、そんなことより。
(全然来ないんだけど……)