第15話 氷解
猫谷さんがクスクスと笑っている。
俺を見つけたら、逃げるように避けていたあの猫谷さんが、だ。
しかもさっきまでヤンキーにしつこく絡まれていて、今ようやく俺が何とか追い払えたという状況にもかかわらず。
「えっと……え?」
困惑するあまり、言葉が出てこない。
今俺、面白いことしたか?
っていうかそもそも面白い状況か? これ。
「ふふふふっ」
まだ笑い続ける猫谷さん。
頭にはてなマークを浮かべまくる俺をちらりと見て言った。
「桐生くんって、私が想像してたような人じゃないのかも」
「ど、どういうこと?」
ますます訳が分からない。
「だって、あの人たちがいなくなってすごく安心してる。よかった、なんて心の声まで漏れちゃってるし」
「そりゃ安心するだろ。猫谷さんの前で言うのもあれだけど、喧嘩になってたら絶対勝てなかった。あっちの方が明らかに強かったし、ヤンキーって種族に初めて会ったし……」
「ぷっ……ヤンキーの……種族……!」
輪をかけて猫谷さんが笑い始めたんだけど?
俺の発言のどこに笑いのツボを射抜く要素があったんだ。
全くわからない。
「桐生くんって不思議な人」
「それ猫谷さんが言う?」
「桐生くんの方が断然不思議。普通もっと自信満々というか、桐生くんみたいに腰低くない」
「え? どういうこと?」
「ふふっ、そういうところだよ」
「?」
楽しそうに小さく笑う猫谷さん。
思えば東京に来て、話が全くかみ合わないことが多々あったことを思い出す。
もしかして俺……ずれてるのか?
現に猫谷さんの発言が全く理解できない。
なんで笑ってるのかすらもわからないし。
(でも、いいか)
人が楽しそうに笑っていて、不幸せなことなんてない。
それも俺で笑顔が生まれているなら、その事実だけで十分だ。
「ほんと、桐生くんって変わってる。さっきもそうだし……あ。私のスマホのぞき見するし、よくわからないことで笑うし……」
猫谷さんが以前のように俺を警戒し始める。
マズい、やっといい感じになってきたのに。
「待ってくれ猫谷さん! あれに関してはほんと、申し訳ないと思ってて……悪気はないんだ! ほんとに、心の底から」
「……それは、わかるけど」
弁明するなら、謝罪するなら今しかない。
俺は猫谷さんを見て、全身全霊で謝った。
「あのときはごめん! ずっと謝りたいと思ってて……ほんとに、すみませんでした!」
俺の誠心誠意の謝罪が響き渡る。
猫谷さんは驚いたように目を見開き、首を傾げて言った。
「……意外に桐生くんって真面目?」
「ふ、不真面目に見えてた?」
「うん」
「クソ真面目なんだけど……」
優しいじいちゃんとばあちゃんに育てられたんだ。
二人を裏切るような不真面目な行動は絶対に取らない。
「……でも、それだけ顔がいい人はいつもチャラチャラしてるし、だから警戒してたけど」
猫谷さんがボソボソと呟く。
「え?」
「…………」
首を傾げる俺に対し、猫谷さんは俺をじーっと見た。
見定められているような気分になる。
やがて査定が終わったのか、頬をほんのりと緩めて言った。
「桐生くんって、ほんと不思議な人」
猫谷さんの綺麗な瞳が俺をとらえる。
ふっと心が軽くなるような、そんな気がした。
「えっと……許してもらえる、と?」
「許すも何も、別に怒ってない。ただ自分の身を守るために、生存本能で逃げてただけだから」
「それならまだ怒ってるの方がよかった……」
猫谷さんにとって俺は生命を脅かす危険な存在だったのか。
普通にショックだ。平穏そのものな、ただの田舎者なのに。
「あ、そうだ」
ふと思い出し、ポケットからスマホを取り出す。
あるアプリを開くと、その画面を猫谷さんに見せた。
「これ」
「……? あ、これ!」
「実は俺も入れたんだ、ラス〇ウォーサバイバル」
「え⁉ 私以外にやってる人初めて見た……何かと揶揄されがちな広告ゲームなのに」
「あはは……まぁ、普段ゲームとかやらないんだけど、猫谷さんがやってたから」
「私?」
「誤解解きたくて、話すきっかけになればなって、思って……」
話している途中で自分が妙に恥ずかしくなって、尻すぼみになってしまう。
俺がやってることって、まるで好きな人の気を引くために同じ本を読むとか、それと同じことじゃないか。
しかもそれを恥ずかしげもなく、意気揚々と話すなんて……。
自分の軽率さが恨めしい。
言った事、やった事を激しく後悔していると、猫谷さんが「ぷっ」と吹き出した。
「ふふふっ……あはははははっ」
再びツボり始める猫谷さん。
今も笑うところあったか?
もしかして猫谷さん、追い込まれると笑っちゃうような友情、努力、勝利の少年漫画の主人公なのか?
それにしてはやけに美人すぎるというか、不思議な人すぎるというか……。
「ほんと、桐生くんって面白い」
「???」
俺はそんなに面白い人ではない。
むしろ他の人に比べたら反応とかも薄いし、つまらない人間だ。
なのに猫谷さんの笑いのツボを、知らず知らずのうちにしっかり押さえられてる自分が怖い。
「あ、そういえば言い忘れてた」
思い出したように顔を上げ、俺を見る猫谷さん。
何を言われるんだろうと顔を強張らせていると、猫谷さんは目を細め、親しい人にしか見せないような柔らかい笑みを浮かべて言った。
「助けてくれてありがとう、桐生くん」
「っ!!!」
ドキリと胸が跳ねる。
「ど、どうも」
俺が短く答えると、また猫谷さんがツボった。
タイミングも、感謝されたことも、その時の表情の訳も。
猫谷さんのことは全然わからない。
けど、ただ一つ分かることがあるとすれば、それはきっとこれから猫谷さんと仲良くやっていけそうだという、希望に似た予感で。
それがすごく嬉しくて、俺も思わず笑ってしまうのだった。




