第10話 あの猫谷さん
久我さんと犬坂さんが不思議そうに俺を見る。
「なんか猫谷さんと訳アリな感じだったよね? 面識ありそうだったし」
「いや、えっと……」
どう答えたらいいものかと迷う。
あの子は知り合いと言えるほど距離感が近くない。
けど全く知らない人とも言えないし、軽く言葉は交わしてる。
とはいえ、軽く言葉を交わしたのも微妙な感じというか……実際、最後に会ったときは逃げられているわけだし。
だとすれば、一番いいのは同じマンションの人、なのだがそれを俺がこの二人に言っていいのだろうか。
あの様子だと明らかに俺のこと避けてるし、同じマンションだと他の人に言いふらしたら、余計に嫌われるんじゃないか?
これから一年間同じクラスなわけだし、というか同じマンションだし。
きっと関わる機会は少なくないだろうから、この答えは慎重にしないと……。
「うーん……」
「もうその反応が何かあるって言ってるようなものだな」
「しかも言いづらそうにしてる辺り、ちょっと生々しさを感じちゃうね」
「生々しい⁉ いや、そういうわけじゃ……」
何とか弁明しようと口を開く。
が、上手く言葉が出てこない。
もしかしたら俺……まだ緊張してるのか?
都会に呑まれてる……これが都会のザ・ゾーンか!
「あのさ、もしかしてなんだけど……」
犬坂さんが俺を見て、控えめに言った。
「元カノ、とか?」
「も、元カノ⁉」
元カノって、あの元カノだよな⁉
元叶姉妹、略して元カノじゃなくて、元彼女、略して元カノの元カノだよな?
俺があんな可愛い子と? 避けられてるのに?
「いやいや、全然違うよ。あの子はなんていうか、とある場所でばったり会って……というのも、遭遇の確率が限りなく高いばったりなんだけど……そこで、色々あってよく思われてないというか、俺が都会のザ・ゾーンにやられて大失敗したというか……」
「わかったか?」
「ごめん、わかんない!」
ですよね!
自分でも言っててよくわかんなかったし。
「要するに、あの子とは全然そういう関係じゃないよ。知り合いとも言えないくらいだし。ちょっと顔見知り? くらいだと思う」
やっと言葉が落ち着く。
二人は「なるほどな」と納得したように呟いた。
「びっくりしたよ。旭のことだから、あの猫谷さんともそういう恋愛的な何かがあんのかと思った」
「わかる。猫谷さんと言えど、旭くんくらい魅力的な男の子だったら振り向きそうだしね」
「そんなに有名なのか? あの子って」
確かに犬坂さんや久我さんと同じように、他とは一線を画す優れた容姿と雰囲気を持っているが。
「猫谷さんは有名だよ。入学当初からすっごい可愛い女の子がいるって話題になってて、入学から一週間で五人に告白されるっていう涼川レコードを樹立しちゃったくらい」
「涼川レコード……」
「ちなみに、歴代二位は波留の三回な」
「犬坂さんが歴代二位⁉」
「ちょっ、アキくん!」
「別に言ってもいいだろ? 事実なんだし」
「そ、そうだけど……恥ずかしいでしょ?」
「ま、旭はカッコいいしな?」
「そういうことじゃない!」
二人の会話についていけない。
それにしてもこの二人、やけに仲がいいな。
なんてことを思っていると、犬坂さんが咳払いをして話を戻した。
「で、男の子から絶大な人気を誇ってた猫谷さんなんだけど、告白を全部断っちゃってね? しかも普段から一人でいることが多くて、一人が好きみたいなんだ」
「かと思えば普通に話してくれたり、スンとしてたり……マイペースな美少女なんだよ、猫谷さんは。そういう容姿と猫みたいな性格も含めて、結構うちじゃ有名だな」
「なるほど……」
そんなに有名なのか、あの子は。
それに苗字は猫谷さん……。
苗字にも猫が入ってる辺り、ほんとに猫に思えてきた。
「だから、猫谷さんを狙いたいって言うなら旭でも相当骨が折れると思うぜ? ま、勝機はあると思うけどよ」
「頑張ってね、旭くん!」
「狙わないし勝機もないよ。俺はそこまで身の程知らずじゃないし」
そんな有名人な猫谷さんの恋人に俺なんかがなれるわけがない。
ただでさえ都会に馴染むのに精いっぱいな田舎者だっていうのに。
きっと淘汰されるに違いない。
そもそも避けられてるし、俺。
「まぁ、せめて普通のクラスメイトくらいにはなりたいけどさ」
俺が言うと、二人がぽかんと口を開ける。
やがて神妙な面持ちで俺を見ながら言った。
「……ある意味、身の程知らずなんじゃないか?」
「私も同感。これは私たちがしっかり教えていく必要があるかも」
「?」
ちょくちょく何言ってるんだ、この二人は。
その後、二人の後を追うように教室に入り、出席番号順に席に着く。
なんと久我さんとは出席番号が前後で、席も前後。
さらに犬坂さんとは席が隣だった。
(なんだこの仕組まれたような奇跡は……)
絶対関わることがないと思ったら、同じクラスだったうえに何故か気に入ってもらえて、しかも席が近いんだけど。
「こうなったら、俺たち仲よくするしかねーな?」
「そうそう! よろしく、旭くん!」
「よ、よろしく。久我さん、犬坂さん」
俺が言うと、二人がふふっと小さく笑って言った。
「さんはいらねーよ。秋斗って呼んでくれ」
「私も波留って呼んで? これから一年間同じクラスなんだしさ!」
二人からキラキラした提案をされる。
ま、眩しい……これが都会の人気者か……!
「お、オーケー」
思わず英語で返事してしまった。
思い返すと恥ずかしくて、猛省する。
そんな中、周囲はというと――
「おいおい、うちのクラスに犬坂さんと久我がいるとかどうなってんだよ!」
「しかもあの転校生、噂の試験満点の奴らしいぞ!」
「マジで⁉ あんなにイケメンなのに⁉」
「久我と張り合えるくらいカッコイイな……」
「あそこのエリアだけ顔面偏差値高すぎね?」
「眩しすぎてもはや見えないんだけど」
「どうなってんだようちのクラスは……」
「それに猫谷さんもいるんでしょ?」
「あの猫谷さんに犬坂さん……なんだこの引き運」
「他の女子もレベル高いし、このクラスほんとにヤバいな」
「レベルたっか……」
新学期の高揚感とは別に、教室内はざわついていた。
しかし、それに俺は気づいていなかった。
「あ、噂をすれば猫谷さんだ」
「っ!」
猫谷さんという言葉に体が反応し、教室の入り口をちらりと見る。
そこには相変わらずスンとした猫谷さんが立っていて、長い髪をたなびかせながら教室に入ってきた。
「…………」「…………」
またしても一瞬、目が合う。
しかしすぐにそらされ、そそくさと自分の席に座っていった。
「……はぁ」
やはりこうもわかりやすく避けられると落ち込む。
たとえ猫谷さんが誰に対しても非社交的とはいえ、だ。
(何とかあの時の謝罪をして、誤解を解きたいな……)




