#5「ハロウ・マルモン、或いは真実を嗤う者【3】」
それまで床に跪き、頭を垂れていたはずの修道士や修道女が一斉に立ち上がった。彼らは迷いのない所作で、来訪者に対する魔術刻印と送還術の準備に入る。
サンクティア湖の孤島に建つ聖ルヴァニア修道院には、転移魔術を使わなければ立ち入ることはできない。修道院への転移門となる魔法陣と転移の術は教会の上層部が管理しており、司祭以上の聖職者の同伴がなければ訪れることができない場所になっている。しかし司祭の全てが善良であるとは限らない。たとえばネクロマンサーの集う《ラザリスの門》。彼らはかつては教会に異端として弾圧されていた。永遠の生命を求め、死者をアンデッドとして使役する彼らのおこないは、死者に対する冒涜と見なされていたからだった。その結果、人間社会は甚大な被害を被った。迫害されたネクロマンサーがこぞって魔族の国に行き、魔王の侵略に荷担したためだ。戦場には死体が溢れている。人間であろうが魔族であろうが、死ねば等しくネクロマンサーの傀儡、不死の兵士となる。アンデッドと化した戦友相手に剣が鈍る人間をネクロマンサーは嘲笑った。かりそめの命を得た死者に拒絶を示す者にも、怒りを露わにする者にも、無慈悲に破壊する者にも。死者を冒涜しているのは貴様等の方だと異端の司祭は断罪した。ネクロマンサーを従えた魔王軍の前に人類は無力だった。彼らを敵に回すべきではない、と人々は悟った。教会は《ラザリスの門》を正統な宗派として認め、彼らへの弾圧を固く禁じるという苦肉の策を執った。しかし教会の庇護を得たところでネクロマンサーの性質が変わることはない。彼らの倫理観は独特で、社会とは一線を画している。現最高指導者のハロウ・マルモンに至っては、魔王と契約して力を得たとまことしやかに囁かれるほど。過剰なまでの歓迎は、警戒の裏返しにすぎない。修道者たちは頭を垂れながら、不穏な来客を排除する機会をうかがっていた。聖ルヴァニア修道院の修道士や修道女は、場にそぐわない来訪者を強制的に送還する権限を有している。それだけではない。修道者に《ルヴァニアの魔術刻印》を施された者は、二度と転移門を通ることができなくなる。いかに高名な魔術の使い手であっても。
排除のための詠唱に入る修道者たちを、エグラントが振り返った。
「待て。この場の責任者は私だ」
赤々と光る聖杖を司祭の肩に置いたまま、修道院長は言葉を続ける。
「考えてもみたまえ。我々に危害を加えるつもりならば、《歓迎の祈り》が始まる前に全てが終わっていたはずだ。しかしそうはならなかった。よって私はこちらの司祭に火急の策を要するたぐいの害意はないものと判断する」
「ククッ、流石に修道院長殿はサンクトス・ヴァニエルの赤い光の真の意味をご存知だったか」
ハロウ・マルモンが嘲笑する。修道者には真実など知らされていないのだと。修道院長は修道者を欺いているのだと。暗に暴露するようなかぼちゃ頭の賞賛に、エグラントの顔がこわばったのをオリアネッタは見逃さなかった。「我に調和を求めるだけのことはある」とハロウが低く囁いた。開口部のない《聖者の間》を一陣の風が吹き抜ける。転移の魔法陣を中心に、いや、ハロウ・マルモンを中心に巻き起こった風だった。オリアネッタにはその風が、黒く色づいているように見えた。
エグラントはハロウを見据えると、一呼吸置いてから口を開いた。
「聖ルヴァニアの遺志に従うことが、修道院長たる私の務めゆえ。その責務は重く、安易に語って良いものではない」
そして再び修道者たちを振り返る。ハロウの密やかな暴露に対する牽制の意図もあるのだろう。
「初代勇者を支えたエルフの聖者の願いがいかなるものか、君らにもいずれ理解できる日が訪れるだろう。しかしそれは今ではない。我々が今すべきことは、中断したままの《歓迎の祈り》を最後まで執り行なうことだ」
修道士や修道女が再び床に跪く。エグラントはプラチナブロンドの仮面の司祭へと視線を移し、肩に杖を置いたまま、祝福の祈りを唱える。「……この修道院の光が貴方の影を照らし、真実を写し出す鏡となりますように」──エグラントは杖を床に立て、ようこそいらっしゃいました、重々しくそう告げて、最後に軽く頭を下げた。修道者たちが立ち上がり、修道院長に倣う。エグラントは馴れ馴れしい手つきでオリアネッタの肩を抱くと、どこか誇らしげにハロウを見上げた。
「……して、勇者ベリアスの娘オリアネッタに何のご用ですかな?」
答えたのはハロウではなく、仮面の司祭だった。その声は若い女のものだった。
「エグラント・ヴェルドール修道院長殿。オリアネッタはベリアス・アルカントの娘ではありません。この娘の父親は魔王オルディミール……わたくしの《オルディミールの瞳》に賭けて、魔王の瞳に映ったままの真実を申し上げます」