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ラクガキ月

作者: 藤倉 桃優

 その晩、庄司はひどく酔っていた。

昨日は半年付き合った彼女に振られ、今日は上司にひどいパワハラを受けた。酒に弱い方ではないが、やけになって飲むとまっすぐ歩くこともできなくなった。

 夏の終わりの涼しい空気が、酔った顔を冷やしている。職場からバスで20分の自宅まで、歩いて帰った。終バスはとっくに過ぎていた。

未だに実家暮らしなのを、さんざん彼女に馬鹿にされた。

「そんなんだから、他の子にあか抜けないとか言われるんだよ。」

「結婚とか、する気あるの?」

鼻で笑ってくる様が、ありありと脳裏に浮かぶ。

「うるっせえよ!」

誰もいない住宅街に叫んだ。声は静寂に消えていった。

ふらふらとしながら、坂道を上る。

 このまま、道端で寝てしまいたい気分だった。どうせ家に帰っても、結婚は、孫は、としつこい母親と「もっと他人様のために」「そんなんだからお前は」と言ってくる父親しかいない。

親の言うとおりに勉強して、それなりの大学を出ても、結局、薄給のサラリーマンになるぐらいなら、いっそ学生時代に遊んでおけばよかった。

 中学のとき、俺をカツアゲした奴は、今何をしているんだろうか。そういう奴にかぎって、子供がたくさんいたり、起業してお偉いになったりしているんだろう。

ますます足取りが重くなる。

信号が赤になった。

立っているのがしんどくなり、地べたに座り込む。

 今日は満月だった。夜空に煌々と輝いている月は、嘘くさいほど美しかった。

些細な星の明かりなど、かき消してしまうような、圧倒的な光を放っている。

ぼんやりと月を眺めていると、信号が三度目の赤になった。

こんなところに居たって、しょうがない。口うるさくても帰る場所は、実家しかない。

電柱に手をついて、何とか立ち上がる。

信号が青になった。

よたよたと歩き始める。

 三十を過ぎて、身体がもろくなっていると痛感する。スポーツでもやっていれば、違ったんだろうか。

それにしても、こんなに飲んだのは久しぶりだ。

ここまで飲んだのは、大学のサークルの歓迎会で、恒例の二年生全員一気飲みをした以来だ。俺の世代の後は、危険だから中止になった。そんなことなら、俺の代だってやめればよかった。

悪習を断つきっかけになれたなら、喜ばしいことだが、それ以降、酒に弱いといじってきた後輩どもには、腹が立つ。

 高齢化した住宅街では、とうとう空き地が目立つようになった。爺さん婆さんが死んだあと、誰も住まない家が取り壊されて、売り払われる。空き地は手入れもされずに、草が伸び放題になっていく。

 十年前から売地になっているところには、ススキが生えていた。

月と言えば十五夜、十五夜と言えばススキだ。

 柔らかな穂を触ろうとして、前傾になると、バランスが取れずに草むらの中に倒れこんだ。

葉にこすれて切ったのだろうか、右手の小指がひりひり痛む。

茂みの中は、風が通らず、生暖かい気がした。仰向けに寝転がる。

ススキの葉がこすれあって、さやさやと音がする。

 月はススキの穂に半分隠れた。それでもなお、強烈な存在感を放っている。

この地球上では、誰もが平等に月の光を浴びているんだろうか。

歴史上では、月は暦に使われるほど、人々から愛されてきた。

月が無くては、地球の自転も狂うと聞いたことがある。

お前はいいなあ、と独りつぶやいた。

 その時、ホンニャカー、ハンニャカーと中華風の神々しいBGMが聞こえてきた。

辺りにススキの茂みは無く、地面は白い光を放っていた。まるで、月面のように。

ああそうか、ここは月なのか、と勝手に納得した。

シャンシャカシャンシャカ、と鈴の音が聞こえてくる。

 なにやら、天女の羽衣のようなものを纏った、二足歩行のウサギの列が近づいてきた。

ウサギと言っても、あまりリアルなやつではなく、二次元的である。要するに、女子受けのいい化粧品とかにありそうなかわいらしい絵のようなウサギなのだ。

ウサギたちは、俺の前にきれいに左右に並んで、頭を少し下げた。先へ行けということだろうか。仕方がないので、月面を歩いていく。重力が四分の一になった感覚はない。

周囲には、小さい杵で餅をついているウサギがいた。

 思ったより長いウサギの道を進んでいくと、前に後光のまぶしい人がいた。近づくとずいぶん美人であった。どれほど伸びているのかもわからない黒髪に、金の冠のようなものを着けている。赤っぽい着物を着ている。十二単とかいうやつだろうか。

「ようこそ、いらっしゃいました。」

鈴のなるような美しい声であった。実際に、ウサギからうるさいほど鈴の音も聞こえるのだが。

「地球では、ずいぶんとご苦労なさったようですね。」

はあ、と答えにもならない返答をする。

美しい女性に好意的に話しかけられて、浮足立つ気持ちもあるが、なにより胡散臭さが勝っていた。どうせ、ここで暮らしませんかとか言い出すに違いない。

「ぜひ、ここで暮らしませんか?」

ほら言った。

「ウサギたちと一緒に餅を作ってくださるなら、この美しい土地に住まわせて差し上げましょう。ここでは、皆が仲良くのんびりと暮らしているのです。」

 よく考えたら、そう悪い話じゃないかもしれない。上司や両親から、ぐちぐち言われる羽目にはならない。老後にきれいなところでのんびり過ごすのは、夢であった。

「三食昼寝付きですし、ひと月働けば玉の枝を、一年働けば火鼠の衣を差し上げましょう。」

そういって、玉の枝と思しきものを見せてきた。盆栽にクリスマスツリーのオーナメントを吊るしたような安っぽいものだった。

ウサギたちは目を輝かせて、盆栽ツリーを眺めている。

「断る。だいたいこんなもので釣れると思うなよ。」

声を荒げると、天女はびっくりして泣き出しそうになった。

驚いたウサギたちが、怒ってうにゃうにゃと言い出した。

「うるせえ、うるせえ。」

ウサギどもを蹴飛ばそうとして、足を振り回すと、そそくさと逃げていった。

天女も知らない間にどこかへ去っていった。

 なんだか気分が良くなってきた。せっかく月にいるのだから、月面に落書きでもしてみる。なぜか落ちていた角材を使って、書き終えた文字を眺めていると、どこかから声が聞こえた。

「しょうじ、おい、庄司!」

目を覚ますと、ススキの茂みに転がっていた。空はもう明るくなっている。

声をかけていたのは、小中の同級生だった。

時計を見ると、出勤の時間が近い。

声をかけてきたそいつに礼を言うと、あわてて会社へ向かった。

 満員のバスに乗り込むと、前の方にいた男子高校生たちが、スマホ片手に話しているのが聞こえた。

「月面に、世界平和って書いてあったらしい。NASAが発表してる。」

「はあ?馬鹿じゃねえの?」

ぎょっとした。あれは夢ではなかったのか。

それにしても、月も案外ロクでもないところだったようだ。

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