乙女ゲームが終わったその後で、悪役令嬢を演じたわたくしに最期の口付けを
【重要】運営サービス終了のお知らせ
誠に勝手ながら「夢見る君と紡ぐ100の物語」は2022年11月2日(水)20:30をもちまして、サービスを終了させていただくこととなりました。
お客様には突然のお知らせとなりましたことを、深くお詫び申し上げます。
……――
「……この世界とも、もうお別れね」
2022年11月2日 20:30。
ログインしていたプレイヤー達が強制的にログアウトされていくのを感じて、小さく呟いた。
身体は今まで感じたことがないほどに軽い。
きっと、ゲーム内キャラクターとしての縛りが解けたせいだろう。
この世界――「夢見る君と紡ぐ100の物語」は、たった今サービスを終了した。
サービス終了となった理由はよく分からない。
主人公であるリーゼさんは「最近、ガチャの収益がよくないそうなんです」とわたくしに漏らしていたから、そのせいかしら。
悪役令嬢であり、彼女たちの敵キャラであるわたくしはもちろんガチャに登場して売り上げに貢献するなんてことはできないから、ただ彼女の不安を聞くだけしか出来なかったけれど。
理由が何にしろ、この世界が終わったことは確かだ。
課金画面はサービス終了のお知らせが掲示されたのと同時に消えてしまったし、ガチャ画面も徐々に消えていっている。
わたくしが今いるシナリオ画面も、じきに消えるだろう。
「消えるのは、どんな感覚なのかしら」
サービス終了を知ってからずっと覚悟はしてきた。
今更取り乱すつもりはない。それは悪役令嬢らしくないもの。
けれど、いくら覚悟が決まっているとはいえ消えるのはやはり怖い。
せめて、誰かが一緒にいてくれれば少しは恐怖も軽減できたのでしょうけど……。
「ここにいたのか、ロゼッタ」
寒くもないのに自身の身を抱きしめていると、聞き慣れた声が耳に届いた。
わたくしが求めてやまなかった、けれど決して得ることの出来なかった声。
どうして彼が……ああ、もしかしてリーゼさんを探しに来たのかしら。
「リーゼさんはここにはおりませんわよ」
そう言いながら振り向くと、作り物のように美しい金髪碧眼の青年――このゲームのメインヒーローであったフェリクス様の姿が目に入った。
青い瞳が意外そうに瞬き、それから微かに細められる。
「知っているよ。私が会いに来たのは君だ。ロゼッタ」
「わたくしに? 珍しいこともあるものですわね」
その言葉に他意はなかった。
ただ、少し意外だっただけだ。
わたくしは常に彼から嫌われる役割だったから。
この世界において、わたくしはいわゆる悪役令嬢だった。
フェリクス様の婚約者の座をリーゼさんと争いながら、時に汚い手で彼女を蹴落とそうとする。そんな古典的な敵役だ。
もちろん、そんな卑怯な手を使う令嬢をヒーローたるフェリクスが愛するはずもない。
だからフェリクス様はわたくしには常に冷ややかな態度しかとらないし、リーゼさんには今のように甘くやさしい声を掛ける。
周囲も彼の心がどちらにあるのか悟っていて、何も気づかないのはわたくしだけ。
それがわたくしの役回りだった。
とはいっても、それ自体は嫌ではなかったのよ。
悪役は主人公たちの関係や物語に深みを与えるためのスパイス。
わたくしがいなくとも話は成り立つけれど、わたくしがいないと話は面白くならない。
悪役には悪役なりの、矜持があったの。
もちろん、辛いことはあったわ。
シナリオの進行上仕方ないとはいえリーゼさんを虐めるのは心が痛んだし、フェリクス様から冷ややかな言葉を浴びせられる度に身が竦んだ。
わたくしは……フェリクス様が好きだったから。
悪役令嬢ロゼッタは、フェリクス様に恋をしている。
最初はその設定に沿って演技をしていただけなのに、いつの間にか本当に恋をしてしまっていた。
わたくしとフェリクス様が結ばれるルートが、エイプリルフールにでも実装されないかしらと期待したこともあったわ。
結局、実装されたのはリーゼさんとの友情ルートだったけれど。
いえ、それ自体はいいのよ。
おかげで、リーゼさんとも仲良くなれたもの。
プレイヤーの分身であるリーゼさん以外のキャラクターは行動が制限されている。
具体的には、キャラクターが描かれている画面にしか移動できない。
だからほとんどのキャラクターはシナリオとガチャ画面、あとはプレイヤーの設定によってはホーム画面にしか移動できないの。
ガチャに実装されないわたくしなんて、シナリオ画面から動けなかったわ。
そのせいで、リーゼさんとお話する機会がなかなかなかったのよね。
だって、シナリオ画面でのわたくしは「悪役令嬢ロゼッタ」だもの。
その状態でリーゼさんと仲良くするわけにはいかなかったから、あの企画はちょうどよかったわ。
――でも、もしフェリクス様とのルートが実装されていたら。
甘い思い出を胸に最期を迎えられたのかもしれないと、つい思ってしまうの。
最終シナリオが配信された時、リーゼさんに愛を囁く彼を見て諦めたはずなのに……わたくしって案外、諦めが悪いのね。
今だって、彼がわたくしを訪ねてくれたと知って期待に胸が高鳴っているもの。
役とはいえ彼の愛する人を害し続けた、シナリオでしか接点のない女が好かれるわけないのに。
「わたくしより、リーゼさんの元へ行った方がよろしいのでなくて?」
「リーゼはラインハルトの元へ行ったよ。
さすがに、愛しあう2人の邪魔をする気はないさ」
ああ、彼女はそちらを選んだのね。
ラインハルトはフェリクス様の護衛騎士で、攻略キャラクターの1人だ。
実は隣国の王女であったリーゼさんと身分違いの恋で苦しむ彼のシナリオはなかなかの人気を博していたと聞いている。
とはいっても一番人気だったのはフェリクス様のルートだったのだけど……今はもう、人気もなにもかも関係ない。
この世界はもうすぐ終わりを迎えるのだから。
だから彼女も、頻繁にペアにされていたフェリクス様でなくてラインハルトを選んだのだろう。
けれど、フェリクス様は……。
「ああ、大丈夫。彼女とラインハルトの関係に思うところはないよ。
最後の機会なんだ。彼女には、思うように過ごしてほしい」
フェリクス様の反応は思いのほかあっさりとしたものだった。
最終シナリオでのフェリクス様はとても情熱的で、敵役であるわたくしから見てもリーゼさんのことを心から愛しているように思えたのだけど……。
「それがシナリオだったからね。
私はメインヒーローで、彼女は主人公だ。
例え互いを結ぶのが恋情でなく同志としての友情だったとしても、愛しあう2人の役を割り当てられたのならその通りに演じるさ。
君だって、悪役令嬢としてリーゼを苛め抜いただろう?」
「言われてみれば、その通りですわね」
悪役令嬢ロゼッタとして、私はリーゼさんをさんざん虐めた。
事故を装ってワインを掛けたり、嫌味を浴びせたり、魔物をけしかけたり……。
……こうして振り返ってみると結構古典的な虐めをしていたのね、わたくし。
「だけど「夢見る君と紡ぐ100の物語」は終わった。
私も君も、もう自由だ」
「その自由も、もうじき失われてしまいますけれど」
今はまだかろうじて動いている世界も、じきに止まるだろう。
サービス終了したゲームのために、いつまでもサーバーを動かし続ける意味はない。
わたくしの指摘に、フェリクス様は小さく頷いて口を開いた。
「ああ。だから、後悔のないように動こうと思ってね」
「後悔?」
もしかして――フェリクス様も。
期待に胸を躍らせたわたくしの前で、フェリクス様が頭を下げた。
「まず、私たちの力が及ばずサービスを終わらせてしまって申し訳なかった」
「それは……フェリクス様のせいではありませんわ」
「だが、私がもっと魅力的なキャラクターであれば収益はもっと上がっていたはずだ。
サービス終了という決断はされなかっただろう。
もちろん私以外の攻略キャラにも責はあるだろうが……私はメインヒーローだからね。
負うべき責はほかの誰よりもあると思う」
それは責任感の強い彼らしい台詞だった。
先ほどまで「もしかしたらわたくしと同じ気持ちなのかもしれない」と舞い上がっていた自分の俗っぽさに恥ずかしくなりながら「いいえ」と再び首を横に振る。
「それを言うなら、わたくしも同罪ですわ。
わたくしがもっと、スパイスとして物語を盛り上げられたらプレイヤーの心を掴めたかもしれませんもの」
「そんなことはない。君はいつも完璧な悪役令嬢を演じてくれた。
おかげでリーゼは「虐めに屈しない健気な少女」という立場を確立できたし、私も「悪役令嬢から愛する人を守る王子」でいられた。
全て君のおかげだ。
だから、君が恥じることは何もないよ。ロゼッタ」
報われた、と思った。
フェリクス様が、わたくしの悪役令嬢を認めてくれた。褒めてくれた。
それだけでわたくしは満足だった。
神さまがいるとしたら、お礼を言わないといけないわね。
今ならきっと、いい気分で消えられるはずだから。
「ありがとうございます。そのお言葉だけで十分ですわ。
……ですから、フェリクス様。そろそろお好きな方の元へ向かってはいかがでしょう。
そろそろ、世界も終わりそうですもの。
最期を過ごす相手は、選んだ方がよろしいですわ」
そう言うと、フェリクス様の青い瞳が静かに伏せられた。
「最期を過ごす相手、か……君はいるのかい?」
「いいえ、特には」
敵キャラであったわたくしと親しい相手はほとんどいない。
といっても、これは仕方のないことだった。
前述の特性上、まずシナリオ以外で他の方と関われないもの。
エイプリルフール企画の時に絡んだリーゼさんくらいね。
そのリーゼさんも、今はラインハルトと共にいる。
友であった彼女の幸福を壊しに行く気はなかった。
確かにわたくしは悪役令嬢だったけれど、性根まで悪ではないのよ。
「そうか」
わたくしの言葉を聞いたフェリクス様は何故か嬉しそうだった。
その反応に期待しそうになる自分を抑えて「ええ」とだけ頷く。
分かっているわ。彼はただ、話の流れで尋ねてきただけ。
わたくしが誰と過ごそうと彼には関係ないもの。
先ほどの言葉で気持ちは十分満たされたでしょう。
だから、これ以上望んではいけないわ。
叶わないことは分かっているもの。
「ロゼッタ」
けれど、彼はわたくしの前に跪いた。
青い瞳に宿っているのは、シナリオで何度も見た恋慕の色。
それを向けられるのはわたくしではなかったはずなのに……。
「どうか、世界が終わるその時まで私と共に過ごしてくれないか」
何度も頭の中で思い描いてきた言葉が、彼の口から告げられた。
頬が熱くなって、頭が真っ白になる。
どうして? ああ、エイプリルフール企画なのかしら?
でも、サービスはもう終了しているのよね?
それならどうして? だって彼はメインヒーローで、わたくしは悪役令嬢なのに。
「何故、ですの?」
「きっかけは一目惚れだった」
わたくしの問いかけに、フェリクス様は思い出すように語ってくれた。
「君の強い光を秘めた瞳に惹かれたんだ。
それからはずっと、メインヒーローを演じる傍ら君を見ていた」
そんなこと、今まで全く気付かなかった。
いえ、気付かなくて当然ね。
フェリクス様はいつだって、完璧なメインヒーローを演じていたもの。
「そのうち、君のことが次第に分かってきた。
与えられた役割を完璧に演じきろうとするその気概。
一挙一動にまで悪役らしさを追求しようとする向上心。
エイプリルフール企画の時にリーゼに見せた笑み。
全てが、私にとって好ましく思えたんだ。
私がメインヒーローである限り、この思いは届かないと分かっていたけどね」
だから、とフェリクス様が微笑んだ。
「サービス終了と聞いて、少しだけ嬉しかったんだ。
ゲームが終われば、私たちは皆役割から解放される。
君に思いを告げられるからね。
……失望したかい?」
「いいえ――いいえ、失望なんてしませんわ。
わたくしも……同じことを考えましたから」
サービス終了は悲しかったし、恐ろしくもあった。
けれど同時に、安堵もしたの。
これ以上、リーゼさんを虐めなくて済む。
これ以上、フェリクス様の冷たい声を聞かなくて済む。
これ以上、2人の仲睦まじい様子を見なくて済む……と。
わたくしの言葉に、フェリクス様の青い瞳が感慨深げに細められた。
「それはつまり、自惚れてもいいのかな?」
「…………ええ」
ずっと封じていた思いへの蓋を開くように、大きく頷いた。
すでに舞台の幕は下りている。
演じる舞台も脚本もない今、メインヒーローも悪役令嬢も関係ないわ。
ただのロゼッタは、ただのフェリクス様が好き。それでいいじゃない。
「お慕いして――いえ、愛しております、フェリクス様」
淑女らしい遠回しな表現ではない直接的な言葉にフェリクス様は少し目を見開いたけれど、すぐに微笑んでわたくしを抱き寄せてくれた。
求めてやまなかった温もりに、再び胸が高鳴りだす。
「ありがとう、ロゼッタ。
私も、君を愛しているよ」
その言葉と共に、フェリクス様の指がそっとわたくしの顎を掬う。
次第に近づいてくる青い瞳を前に、静かに目を閉じた。
世界が消える瞬間に感じたのは、大好きな人の柔らかさと温もりだった。