45.唯一の存在
予想外の内容に思わず聞き返す。
(あれは初犯ではなく、何度も同じ罪を犯しているということ?
そういえば、誘拐する場所や声の掛け方など、なんとなく手慣れている感じだった……)
自分も殺されていたかもしれないのだと考えると、心底ゾッとした。
「るいちゃんも危なかったんだよ。
ーーあのまま誘拐されてたら、きっと……」
「…………」
「ーーま、なにを言ったところで、
僕が人を殺したことに変わりはないけれど、ね」
あの時の恐怖を思い出し、少し身体が震えた。
どうしても清人の顔を見ることができない。
そこには恐怖もあるが、それよりもあるのは申し訳ない気持ちだった。
そんな累をちらりと横目で見た後、清人は立ち上がり話を続ける。
「殺した相手と理由がそんなわけだし、未成年ということも加味されて僕のした行為は正当防衛。
さした罪には問われなかった。
だから、その点は安心していいよ」
「……」
にこりと微笑む清人に、素直によかったと言うことはできなかった。
確かに、罪に捉えられなかったのはよかったが、彼があの歳で人を一人殺してしまったのには違いない。
理由は、なんであれ……。
それにあの時、清人くんは笑ってたーー。
正当防衛ならば、何度もなんども刺す必要はない。
きっとあの時に、彼の中のタガが外れたのだろう。
彼の中にある開けてはいけないなにかを、累が開いてしまった。
(開けてしまった以上、その蓋を閉じる役目は、きっと私だーー)
朝日を浴びる、彼の晴れやかな声が聞こえる。
「僕は君を恨んでいるわけじゃない。むしろ感謝しているんだ。
君のおかげで僕は自分の心を解放することができた」
「ーーあなたの言う心の解放って、一体……」
累の言葉が風に乗り、清人に届く。
彼は立ち上がり、街々がある方角を見つめていた。そして、累を振り返り微笑む。
「人々の感情を解き放つこと。
ひいてはそれが、僕自身の心の解放でもあるんだ」
恍惚な笑みを浮かべ、清人は言葉を紡いだ。
その笑みに寒気がする。
(たいそうな事のように言っているが、実際は……)
「……人の弱みに付け込んで、他人の大事な心を無理矢理引き摺り出しているだけじゃない」
「さすが、るいちゃん。痛い所をつくよね。
けれどね、抑圧されたこの社会では、多少強引にでもその心を解き放ってあげないと、人間は自分がどんな感情を持っているのかわからなくなる。それが大人であればなおさらね。
……本当の感情を表出できない世界は、とても息苦しいものだよ」
苦しげな表情を浮かべたあと、累を見つめて清人は言葉を続ける。
「僕の場合は、君のおかげで自分が本当に求めているものを知ることができた。
――あの時、あの犯人を刺した時に思ったんだ。今まで感じたことのない感情だった」
刺した時の感触を思い出しているのか、片方の手を押さえ、清人が嗤う。
「初めて感じた高揚感だった。今までなにをやっても、何にも心が動かなかったのに。
あの時初めて自分の心が大きく動くのを感じた。人の命を自分が支配しているという高揚感。自分の手の中で命の灯火が消えていく感覚……」
空を仰ぐ清人の横顔が恐ろしい。
人を殺しておいて、どうしてこんなにも笑っていられるのだろうか。
空を仰いだ姿勢のまま、清人が顔だけをこちらに向ける。
横に広げられた口元から、累を責める言葉が放たれた。
「るいちゃんはあの時、僕を置いていったよね?」
「――っ!!」
痛い所を突かれ、傷ついた表情をする累に清人が優しく微笑む。
「いいよ、また逃げても。
僕は必ず君を探し出すから」
「……っ」
一歩一歩、清人が累に近づく。身体が強張り、動けない。
腰を抜かした状態で立ち上がれない累に、しゃがみこんだ清人が目線を合わせた。
「――!」
冷たい手が頬に触れ、思わず身を竦める。
幼い時の無邪気な彼も知っていたのに、あの時の映像が消えてくれない。
記憶は鮮明に再生され、言葉でいくら気丈に振る舞ってもどうしても身体が萎縮してしまう。
「けれど、あまりに逃げるようならーー」
清人の顔が累に近づく。思わず目を瞑った。
そんな累の耳元に、清人が口を寄せる。
彼の柔らかな猫毛が首筋を掠め、背筋が泡立った。
「るいちゃんの大切な人たちが、犠牲になるかもしれないね」
「――!?!?」
耳を掠める清人の言葉に目をみはる。
(私の大切な人たちが、犠牲に、なる……)
累の頭の中に、清人にナイフで刺された楓や春香や怜、鬼原さん、かけがえのない人達の顔が浮かんだ。
「ーーだめっ!!!」
累は清人の胸元を押して、突き飛ばす。
先ほどまで動かなかった足に力を入れ立ち上がった。
強い眼差しを清人に向ける。
「みんなに手を出したら、相手が清人くんだって絶対に許さない」
「……」
突き飛ばされた清人は一瞬だけふらつくも、すぐに姿勢を立て直す。
睨みつける累に、清人が感情の読めない笑みを浮かべた。
「そこまでるいちゃんに思ってもらえるなんて、妬けちゃうなーー。
……本当に、殺したくなる」
最後の方は小さな声で、累の耳には届かなかった。累は強い視線で、清人に向き合う。
二人の間を一際強い風が駆け抜けた。髪が舞う。それも気にならないほどに、二人はお互いだけを見つめていた。
強い瞳と昏い瞳が交差する。
「あなたには絶対に屈しない。
――私が、あなたを止めてみせる」
累の言葉に、清人は優しい笑みを向ける。
昏いその瞳に、累の姿が写っていた。
「それなら、僕を捕まえてごらん。
ーー君は僕の唯一なんだ。君だけが僕のことを見つけてくれた」




