44.過去編(終):逃げ出した過去
「なん、だ……」
おじさんが体を捻ろうとした瞬間、清人の手にある鈍い鼠色のナニカが、光を反射したのが見えた。
清人がそれを引き、再度男に深く突き刺す。両手で握り、清人の体重の全てがかかったナイフは、男の脇腹から胸部にかけて深く突き刺さった。
「がはっーー」
おじさんの身体が痙攣し、スローモーションのように地面に倒れる。
大きな音を立てて一度跳ねたきり、男の身体は動かなくなった。
「…………」
累は声を上げることができなかった。
呆然と男を見ていると、清人がその小さな足で男を踏みつけた。
「るいちゃんに、なに、してるの?」
深い闇を映す瞳で、息絶えている男を見下す。
「ねぇ、おじさん聞いてる?」
「……」
もう死んでいるのはわかっているはずなのに、清人が男を詰る。
肉塊となった男を何の感情も持たない瞳で見つめて、ナイフを大きく振りかぶった。
無言で、何度も何度も清人は男の体を、鈍く光るナイフで突き刺した。
――グジョっ。ガッ、グジョっ。
刃物が肉を割く音が辺りに響く。
あまりの光景に、累は目をそらすことができないでいた。
耳を塞ぐこともできずに、ただただ累はその様子を視界に捉えていた。
「清人、くんーー?」
(笑ってるーー?)
何度もナイフを突き刺す清人の横顔に、うっすら笑みが浮かんでいる。
なにかから解放されたような、晴れやかな表情をしていた。
返り血を浴びた清人が、ゆったりとした動きで累に視線を向ける。
「ああ、るいちゃん。無事でよかった」
「――っ!!」
片手にナイフを握ったまま、優しい笑顔を浮かべる清人くん。
そのギャップに累は眩暈がした。彼は本当に累の知る清人くんなのだろうか。
逃げるように、累はその場から駆け出した。幼い累にはどうしても、目の前にある現実を受け入れることができなかった。
(清人くんが、人を殺した!
――わたしのために、人を、殺した!!)
縺れる足で一生懸命に走る。一刻も早くこの場を離れたかった。
この現実をないものとしたかった。
清人を見放さないという気持ちは、嘘ではなかったはずなのに……。
『るいちゃん』
傍に寄る累を、不思議そうな、でも少しだけ嬉しそうに見つめる清人の顔が思い浮かぶ。
(ごめん、清人くん。ごめん!!)
心の中で、何度も累は清人に謝った。
その後、家に帰った累は緊張の糸が切れたのか、高熱で倒れ、数日謎の熱にうなされることになった。
そして、次に起きた時には、累は清人のことを覚えていなかった。
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ザァーー、という木の葉が揺れる音で目がさめる。
日の明かりが差し込んでいる。眩しさに目を眇めた。
思い、出したーー。
半ば呆然としながら、累は寝ぼけ眼をこすった。
「大丈夫?」
「―――っ!?!?」
想定よりも近くでした声に、驚きで目を見開く。
よくよく自分の現状を観察してみれば、二人で段差になっている所に腰を掛け、清人の肩に頭を預けている状態だった。側から見れば恋人以外のなにものでもないじゃないか。
急いで頭を上げ、清人から距離をとる。そんな累に、彼は残念そうに一つ息を吐いた。
「そんなに時間は経っていないよ」
「……」
目を見れずに視線を下に落としている累に、誤解をした清人が声を上げた。
「ああ、寝ている君にはなにもしていないから大丈夫だよ。
眠ってる間に何かやっても、君の反応を見ることはできないからね」
「……――」
(そんなことを心配していたんじゃない)
思わず胡乱な目で清人を見てしまう。
清人と目が合い、それに気づいた彼が泣き出しそうな笑みを浮かべた。
「るいちゃんだ……」
清人は微かな累の様子の変化から、清人くんのことを思い出したことに気づいたのだろう。
声のトーンが以前とはまた違う。
しかし、清人のその呟きに累は返すことができなかった。
泣き出しそうな、迷子の子供が親を見つけた時のような、安堵の表情を浮かべる清人に揺らぎそうになる。
彼を、許してしまいそうになるーー。
あれだけの事件を起こした元凶であるのに……。
過去にはオーバーキルをした人なのに。それは私を助けるためではあったけれど。
「――僕が殺したあの犯人、覚えているよね?」
「……――」
累を誘拐しようとした犯人のことだ。先ほどの映像が、鮮明に頭に浮かぶ。
小さく首を縦に振った。
「後からわかったことなんだけど、あの人、連続少女誘拐殺人事件の犯人だったらしいよ」
「――え?」




