43.過去編:瞳の奥にあるもの
日を空けずに、累は清人の元へ通った。
なんとなく、彼のことを放ってはいけないような気がした。
行く度に、また来たのかと、予想外そうな、驚く顔が面白い。
正直にそれを言うと、少しだけ嫌そうな顔をされた。
「さーて、今日も清人くんはいるかなー」
鼻歌混じりに、集合場所のようになった公園へと向かう。
夏の暑さは相変わらずだが、今日は曇り空で陽の光はそこまで感じない。
意気揚々と累は両手両足を動かす。
(それにしても……)
家で飼いだした小鳥と、初めて出会った時の清人の様子がふと浮かぶ。
(あの時の小鳥さん、少しおかしかった……)
飼い始めて気づいたのだが、小鳥さんがあの時のように殺気立つことはない。
親鳥を殺されていきりたつのはわかるが、それでも自分の何倍も大きな、捕食者に対して、あんな風に立ち向かって行けるものなのだろうか……。
異常な出会いを思い出し、わずかに震える。
だからといって、清人を見放す理由にはならない。
むしろ、傍にいなくてはならない気がした。彼はきちんと見ていないと、なにしでかすかわからない危うさがある。
それを幼い累は、敏感に感じ取っていた。
(清人くんの目……)
彼の瞳の奥には誰も踏み込むことのできない深淵があった。
触れてはいけない、水底。触れれば元には戻れない。覗くものを引っ張り込み、絡めとり、逃がさない。下手を打てばこちらが溺れてしまう。
それでもーー。
(清人くんを見放したくない。――見放さない!)
それにーー。
『るいちゃんはどうして僕に構うの?』
何日も通ったかいあって、名前で呼んでくれるようになった清人がそう聞いた。
けれど、累はその質問に答えることができないでいた。
胸が疼く。なんとなく彼を一人にしてはいけないのだと、自分が傍にいなくてはならないと、そんな気がしていたが、それだけではないなにかがある気がしたーー。
(この気持ちは、なんなんだろう……?)
幼い累はまだその答えはわからない。
もう少し大人になれば、何かわかるのかもしれない。
なんとなく、大きくなった二人が一緒にいるイメージが頭に浮かんだ。
(とりあえず今は、清人くんの傍にいる。
彼を見放したりはしない、わたしだけはーー)
決意を固めた累は、足に力を込めて歩き出そうとし、失敗した……。
「お嬢ちゃん、県立音楽堂はどっちに行ったらあるかね?」
「……」
不意にしたおじさんの声に思わずツンのめる。
(もう少しで、清人くんの待つ公園なのに……)
出鼻をくじかれた感に脱力する。
おじさんはほうれい線に、笑顔のシワを刻みながら累を見やる。
手を振って累を呼んだ。
「ちょっと教えてもらっていいかね?」
人の良い笑みに、しょうがない、と累は息をつく。
幸い県立音楽堂の場所を累は知っていた。
それに、そんなに遠い距離でもない。さっさと説明をして、清人くんが待つ公園に行こう、累はおじさんの声に応じた。
「県立音楽堂はこの道をまっすぐ行ったところにありますよ」
おじさんが乗る車のそばに近づき、前方を指差す。
聞き取りにくかったのか、おじさんが手をこまねいた。
「ごめんな、おじさん耳が悪くて。
もう少し近くによってもらえんかね?」
「あ、はい!」
車の真横まで近づく。
県立音楽堂のある方角に視線を向け、おじさんに説明をする。
「この道をね、まっすぐーー!?!?」
続けようと口を開いたまま、説明できずに累の声が途切れた。
口を手で覆われていて、声を上げられないのだ。
驚愕の眼差しで、おじさんの顔を仰ぐ。
「いい子だねー。
おじさんはね、いい子が大好きなんだ」
おじさんの口元に、ニタリと気持ちの悪い笑みが刻まれた。
累の顔が蒼白になる。
(おとうさんに、知らない人に注意しなさいって言われていたのに!)
人の良い笑みに騙された。
顔面蒼白のまま、周囲に視線を投げる。
周囲はシャッター街と、並木道があるだけ。
不幸なことに人通りの少ない道で、平日昼間のこの時間では人っ子一人居なかった。
「くくく。それじゃあ、おじさんと一緒に行こうね。
道案内を、してくれるんだろう?」
「ううーー」
笑いながら意地悪く声をかけるおじさんに、口を塞がれたままの累は反論できない。
涙の浮かぶ瞳を大きくつむった。
(誰か、助けて。誰かーー!)
大好きな父は仕事中。他に自分がいる場所を知っている人はいない。
いるとすれば……。
(清人、くん、助けて!!)
声にならない叫びを累は上げた。
「ぐあっーー」
不意に拘束から解放され、体が軽くなる。
口元を覆っていた大きな手が消えたことで楽に息が吸える。累は一つ、深呼吸した。祈りが届いたかのようなタイミングに、なにが起こったのか目を向ける。おじさんの背後に、清人が俯き立っていた。
「遅いんで、迎えに来てみれば……」
顔を上げた清人は、昏い目をしていた。




