38.寄り添う
強いその言葉に、清人は目を見張る。
つかんだままの彼の手を、累はゆっくりとはがした。離すほんの一瞬、彼の手が躊躇うように揺れた気がした。
椿に向き直り、一歩一歩近づく。
鋏を持ったままの椿は、カタカタと震えながら、こちらに刃を向け後退った。
「ち、近づかないで!!」
椿が叫ぶのにも構わず、累は距離を縮める。
目を血走らせた椿が再度大きく威嚇する。
「近づかないでって言ってるでしょ!」
「いやです!!!」
倉庫内に反響する程の累の大声に、椿の肩が一瞬ビクッと震えた。
椿の目と鼻の先に立った累は小さく微笑む。
「ーー椿さん。
椿さんは桜ちゃんのことが、好きなんですよね?」
「……当たり前じゃない」
急に出てきた娘の名前に驚きつつも、椿が返答する。その言葉を聞いて、累は笑みを深めた。
「椿さんの家に飾ってあった写真。どれも桜ちゃんは幸せそうに、笑っていました。桜ちゃんのそばにはいつも椿さんがいて、本当に、お母さんのことが大好きなんだろうなって……。
春香とも話してたんですよ。いいお母さんなんだろうなってーー」
「……………」
「死んで桜ちゃんに会うことになった時、彼女の目をちゃんと見ることができますか?」
「――っ」
「頑張ったって。胸を張って会うことができますか?」
「――!!」
――カランっ。
椿の持っていた花鋏が地面に落ちる。金属の甲高い音がこだました。
顔を両手で覆い、声なく椿が泣く。
嗚咽の隙間から、小さく声が漏れた。
「お帰りなさい、って言えなかったから……」
小さな小さな声で、独り言のように椿が呟く。
「あの日、行ってきますと言ったきり、桜は帰って来なかった。バラバラになって返ってきた時も、私は泣いてばかりでなにも言えなくてーー。
お帰りなさいって、言ってあげたかった……。
最後にもう一度、会いたかったーー」
泣き崩れるように、その場に膝を折る。
体を丸めて、蹲る椿の背がどうしようもなく悲しくて。
ゆっくりと近づき、しゃがんだ累はその背を撫でた。
椿は娘にもう一度会いたいがあまり、桜ちゃんを作ろうとしていたのだろう。
彼女もまた被害者なのだ。過去の、どうしようもない事件の。
しかし、椿の犯した罪は許されるものではない。
どんな理由があろうとも、『華になった少女たち事件』を犯したのは彼女なのだからーー。
けれど、倉庫で初めに会った椿と今の椿の様子が違いすぎることに違和感を覚える。
花鋏をこちらに向けているとき、椿はカタカタ震えていて、威嚇こそするものの本当に刺す気は感じられなかった。
そんな人が人を殺せるとは思えない。
人が変わったようになった彼女の様子。
その変化があったのは、道言さんが発言してからだーー。
『――消えかかってる、かな。
頃合いだね……』
先程、清人が呟いた言葉が脳内に蘇る。
彼は累にとっては恩人であり、唯一、本当の自分を共有できる存在だ。
否定したい気持ちでいっぱいだったが、累はもう気づいていたーー。
(道言さんが、この状況を作った犯人――)
その事実が重くのしかかる。
外はもうだいぶ白んで、小窓から時折鳥の鳴き声が聞こえた。
蝉たちも起きはじめたのか、遠くの方で啼いている声が聞こえる。
「道言さん、あなたは……。
ーー!?」
椿に寄り添いながら、問い詰めようと後ろを振り向いたところで、清人の姿がもう倉庫にはないことに気づく。
「ーー道言さん?」
辺りを見回す。
来た時とは逆の、倉庫の裏へと続く扉がわずかに開いている。
(道言さんは、向こうにーー)
未だ俯いている椿のことが心配ではあったが……。
いま彼を追わないと、二度と話せなくなってしまうような気がした。
「椿さん、少しここで待っていてください」
「………」
椿は俯いたまま、なんの反応も返さない。
彼女が気がかりではあるが、累は清人の後を追うことに決めた。
「椿さん、すぐに帰ってきます!」
立ち上がり、走って出口へと向かう。
わずかに開いていた扉に手をかけて、一気に開いた。




