23.疑念
会社からの帰り道。
濃い紺色の空を眺めながら、見慣れた道を歩く。
夜の気配に、小さな星たちが姿を見せ始めていた。
累が聞き取りを受けている途中に加藤の遺体が発見されたことで、事情聴取は中断された。他の職員へは後日改めて話を聞くこととなり、鬼原を含めた警察官たちは事件現場へと急行していった。
取り残された社内は騒然となり、仕事どころでなかったのは言うまでもない。
「……まさか、次長がこんなことになるなんて」
鬼原たちと一緒にいたために見てしまった次長の遺体を思い出す。真っ赤なバラに目がくらみそうだった。
こんな身近にいた人が被害にあうなんてーー。
当事者でなければ、私の存在を私自身が疑っているところだ。
会社のみんなの疑いの視線を思い出して憂鬱になる。
思ってもいなかった現実に頭が痛む。複雑な気持ちだった。たしかに、次長のことは好きではなかったが、このような殺され方をされるほどのことを彼はしただろうか。
頭の中では先ほどのやりとりが、ぐるぐるとなんども再生される。
その中で、なにか引っかかったことがあったのを思い出す。
「……私、何を考えていたんだっけ。えーっと」
顎に手を当て唸る。
頭上を見上げた際に、街路樹の青々とした葉が見えた。
「あ、そうだ!道言さんと初めて会った時だ!」
清人と初めて会ったときの映像を脳内で再生する。その中の、自分は何に引っかかったのかーー。
「奥社………」
あの時、あの事件のあった日、道言さんは境内の奥社の方から出てきた。
先ほど私が引っかかったのはこの部分だ。
「そうだ、奥社だ!
人があまり通らない場所だから、そこから現れた道言さんに驚いて………」
語尾が小さくなる。
夏なのに、なぜか寒気がした。
思い、出したーー。
「たしか、奥社がある位置ってーー」
事件現場の雑木林へと向かう道……。
俯いて歩いていると、足元に影が差した。
顔を上げると、貼り付けたような笑顔の清人の顔があった。
「――っ!」
「こんばんは、糸川さん」
考えていた本人の登場に、驚きで声が出ない。鼓動がありえないくらいの早さで鳴っている。
首を傾げる清人に、累は己を窘めた。いくらなんでも、この考えは飛躍しすぎ。普通に挨拶をしてくれているだけの道言さんにこの態度は失礼だ。
「…………道言さん。こんばんは」
口の中がパサついて話しづらい。
一度灯ってしまった疑念を消すことはなかなか難しい。
累が一瞬の間を置いて挨拶を返すと、清人の瞳が一瞬冷たく光った気がした。
「何事か考え込んでいたようですが、何を考えてらしたんですか?」
「…………」
自然な調子で聞いてくる清人に何も言えなくなる。
疑っているかのような問いだ。下手な回答は返せない、なぜかそんな気がした。
夜でも、暑く湿気を帯びた空気がまとわりつく。
額に汗が浮かんだ。
何も答えることができないでいる累に、清人は笑みを浮かべた。
累の先を歩き、振り返る。猫毛のダークブラウンの髪が風に揺れた。
「また、例の事件が起きましたね」
「えーー?」
目を細める清人を見つめる。
口ぶりからして、『華になった少女たち事件』を指していることがわかる。
しかし、6件目の華になった少女たち事件は、先ほど累が会社にいた時に発覚したばかりだ。
もう、ニュースになっているとか?
しかし、それにしては早すぎる。
まるで、はじめから今回の事件が起きることを知っていたかのようなーー。
「糸川さんにつらく当たっていた上司の方、誰でしたっけ?
……そうだ、加藤さん?は元気ですか」
「――っっ」
どうして、このタイミングで次長の名前――。
人差し指を上に向け、名前を思い出せたことが嬉しいのか満面の笑みを浮かべている。
タイミングがよすぎる。加藤次長が亡くなったのを知った上で聞いているかのようだ。
累は清人から距離を取ろうと数歩後ろへ下がる。清人が数歩累に近づいた。
「道言、さん。あの、私今日は疲れているので、その……」
「――僕から逃げるの?」
「――は?」
予想していなかった言葉に思わず聞き返す。
虚ろな目をした清人の瞳に、累の姿だけが映っていた。
「君は覚えていないの?」
問いかけられる言葉になんと返せばいいのかわからない。
道言さんはなにを言っているのだろうか。
徐々に深みを増す夜の暗闇が、彼を包み込んでいく。
「……し、失礼します!!」
なんの温度も保たない目が怖くて、累は踵を返した。清人の前から一刻も早く逃げ出したかった。
遠ざかってもなお、彼が私のことを見ている気がしたーー。