17. 唯一
「あの時……」
「あの時?」
小さく呟く累の言葉に、清人は首をかしげる。
累をまっすぐ見つめ、話の続きを促した。
「前に、神社で会った時に道言さんに言われた言葉。
その通り、なんです。嫌でも相手の感情が入り込んできてしまう。止めようもなく、感情の渦に飲まれてしまう。
あの時も、そうでしたーー」
初めて清人にあった日は今でも鮮明に覚えている。
「道言さんはすぐにそれを指摘した。
私は自分から告げるのを除いて、今まで相手にその特性を知られるようなことはなかったんです。
……道元さんはどうして、私の特性がわかったんですか?」
「――……」
鈴虫の鳴き声がやけに大きく聞こえる。二人だけの公園に、風に揺れる木の葉の音が響いた。
たっぷり数十秒たった後、清人は笑みを深めた。
「君自身に思い出してもらいたいから、それは言わない。
――僕が誰かわかれば、その時こそ君が求める解が得られるよ」
意味深な清人の言葉に累は首を傾げた。
いくら頭を捻っても、清人と自分が以前会っている記憶を見つけられない。
「さてーー」
ベンチから立ち上がり、清人が累を見下ろす。
「もう遅い時間ですし、家までお送りします」
「あ、ありがとうございます」
優しさを纏う声に頭を下げる。
街灯のせいで逆光になり、清人の表情はよく見えない。
膨らむ夜の闇が、彼の顔を隠していた。
歩幅を合わせて、清人が累の隣に並ぶ。
平均よりも少し背の高い彼を見上げる。笑顔で視線だけを寄越した清人に、急いで目を逸らした。
家までの道中も、気遣わしげに様子を伺ってくれる彼に鼓動が少しだけ早くなった。
まだ会ってから間もないというのに、これだけ一緒にいて心地良い相手は初めてだった。
特に、感情が勝手に入り込んできてしまう累にとって、自分の特性を気にせずに素直に話せ、自分の特性を共感してくれる相手は初めてだった。
春香や怜は特性について理解はしてくれても、共感はできない。
だから、共感してくれる相手、というのは本当に初めてだった。
アパートの灯りが近づく。
今だけは、この灯りが嫌になった。
家の前まで着くと、清人が累に向き直る。
「それでは、僕はこれで。
おやすみなさい、糸川さん」
「はい。……おやすみなさい」
俯きがちに話す累に、清人が一度微笑んでから踵を返す。
猫のように柔らかそうな、ウェーブがかった髪の毛が揺れる姿を見つめる。清人の後ろ姿が徐々に遠ざかるのを認めて、思わず声を張った。
「あ、あの!
――今日はありがとうございました!!」
大きな声で言う累に、清人が微笑んで小さく手を振る。
その綺麗な口元がかすかに動いた。しかし、音にならないその言葉は夜の暗闇に溶けていった。
――細めた目元が弧を描く。
『もうすぐ、すべてが解決しますよ』
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枕元にある目覚まし時計をセットする。
寝る時間が随分と遅くなってしまい、明日睡眠不足なのは決定事項だが、それでも累の心は軽やかだった。
(道言さんとお話しできて、良かったーー)
あのままだったら、きっと鬱々とした気持ちを抱えたまま今日も終わるところだった。
本当にすべて話してしまったので、気恥ずかしくはあるが、道元さんに色々なことを話したことで妙に気持ちがスッキリとしていた。
(また、会えるかな)
携帯の番号を聞かなかったことが今更ながらに悔やまれる。
次は連絡先を聞いてみよう、累はそう決意すると、残り少なくなった睡眠時間を確保するためにタオルケットにくるまった。
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翌日、昨日の今日で行きづらいけれども、会社を休む訳にも行かず、覚悟を決めて累は出社した。もちろん、この覚悟は昨日の件で怒られる、否、次長と彩芽に責められる覚悟である。
頭の中ではホラ貝がなっている。戦場に赴く兵士の気分だ。
まだこんな風に軽く構えていられるのも、味方だと言ってくれた國枝さんと、
それからーー。
(道言、清人さん……)
彼の名前を反芻する。
道言、なんて珍しい名前、聞けば忘れそうにないのに。そう思いながら、駐車場から会社の入り口までの道を歩く。彼の名前に、昨日彼と話したことを思い出して勇気が出てきた。
「よし!」
あらためて気合いを入れ直す。
足の裏に地面をしっかりと踏みしめて、累は会社の扉を開けた。
「お、おはようございます」
緊張して挨拶をした声が、オフィス内のざわめきによってかき消される。
「……?」
昨日は挨拶をすると一気に静まりかえったのに……。逆の現象に困惑する。
累は自分の席に座って、PCが起動する間周囲の会話に聞き耳を立てた。聞こえてきた内容に身体が固まる。
席の近い女性社員が噂話にしては大きな声で、隣の女性と話していた。
「ーーえ、行方不明ってどうゆうこと?」