15.味方
「………」
直球で本題に入る國枝に一瞬息が詰まった。酸素が不足した魚のように、なんども息を吸い込む。
他の人から話を聞いているはずなのにどうして私に聞くのだろうか、と疑問に思っていると、真摯な声で國枝が応じた。
「糸川さん自身の口から、事の成り行きを聞いておきたいんだ。
話しにくい事かもしれないけれど、事実確認はしっかりしておいたほうがいいと思うんだ。
辛いことを話させることになって、申し訳ないんだけど……」
そう漏らす國枝に、首を横に振る。
うつむきそうになる頭と心をどうにか堪える。まっすぐに見つめてくる國枝に、応えたかった。
「実は……」
累は重い口を開き、ゆるゆると話し始めた。
「――そうだったんだね。
話してくれてありがとう」
累の話を聞き終えた國枝は厳しい顔をしていた。
テーブルにおいた拳を握りしめ、口を引き結んで黙っている。
累は慌てて先ほどの説明に注釈を入れた。
「けど、今から思えば、木下さんが資料の一部を抜いたんじゃないか、というのは私の考えすぎかもしれません。
本当に、私が木下さんに渡すタイミングで間違えてしまったのかも……」
「真ん中部分の資料だけ抜いた状態で、提出?」
「……」
通常ではなかなかおかしにくいミスだ。
痛いところを突かれて累が黙っていると、國枝がふと笑った。
「糸川さんは本当に優しいんだね。
相手の非ではなく、自分の悪い部分ばかり探そうとする。
――けれど、その考え方は危ないよ」
「え?」
よく分からずに目を見開くと、國枝が真剣な声で続けた。
「本当に相手が悪だった場合。
付け入られる隙になる。注意した方がいいよ」
「……はい」
國枝の指摘に、累は素直に頷いた。
その様子に軽く微笑んでから、國枝が話を続ける。
「しかし、今回の件は君が感じた通り、木下さんが絡んでいると思うよ」
「え?
――どうしてですか?」
確信を持った話し方に疑問を持つ。
彩芽は会社内の人間に対して評判がいい。ソツなくなんでもこなし、社交的、愛嬌もある。特に男の人には人気が高い。そのため、彩芽に対して否定的な発言をする國枝が少し意外だった。
國枝は身を乗り出し、秘め事のように小さな声で続ける。
「あまり知られていない事だけれどね。
……数年前に、彼女の後輩にあたる社員が、急に退社したことがあってね」
驚きに目を開く累に、なおも國枝は続ける。
「その時も、今回の糸川さんと同じようなことがあったんだ。
おかしにくいミスを連発して、木下さんと、彼女のことがお気に入りの次長に手酷く責められていた。
しまいには、人格まで否定されるようなもの言いで……。結局、彼女は精神的に参ってしまって退社を余儀なくされた」
「ーーひどい……」
累がこぼした呟きに、國枝が頷く。
「だから、今回の件も木下さんの仕業なんだと思う。
――俺は、糸川さんのことを信じているから」
「國枝さんーー」
思わずじんとしてしまうと、國枝はにかっと笑った。
「ごめん、話し込んでしまったね。
早く食べないと冷めてしまう!」
暗い雰囲気を払拭するように明るい声を出す國枝に、累も笑顔で頷く。
「そうですね!食べましょ。
せっかくの美味しい料理が冷めちゃいますもんね!」
「ああ!」
お互いに顔を突き合わせて笑う。
戦友を得たような気持ちになって、累は心からの笑顔を浮かべた。
+++++
「…………なに、あれ」
特に行きたいというわけではなかったが、次長が美味しいお店に連れて行ってくれるというので仕方なく向かっている道中。いつもは通らない脇道に入ったとき、こじんまりとした良い雰囲気のお店を見つけて近づいた。
今日の食事が國枝さんとだったらどんなに良いかーー。
と考えていたために見た幻覚かと思ったが違った。國枝さんの姿に舞い上がったのもつかの間、その横にいる人物の姿に地獄の底に落ちた気分になった。
――また、あの女。
糸川累、その姿に吐き気がわく。蛆虫のように國枝さんにまとわりつく害虫。
ぽっと出てきて、仕事もろくに出来ないくせに、國枝さんにとり入っている女。
國枝が笑みを浮かべる。
額にできた青筋からビキっと音が聞こえた気がした。
その笑みが向けられるのはアタシのはずなのに、どうして!!!
会社内で彩芽が微笑みかければ皆、言うことを聞いてくれた。しかし、國枝だけはいくら微笑みかけても、話しかけても、どうアプローチしようと靡いてくれなかった。
それなのにーー。
心に澱が溜まっていく。
「あの女さえいなければーー」
重低音の言葉を発した後、遠くでサイレンの音が聞こえた。
「あ、そうだ!
始めからこうすれば良かったんだわ!
そうすれば、國枝さんはアタシだけを見てくれるーー」
思いついた発想に、にっこりと笑みを浮かべる。
ウィンドウショッピングを楽しむように、気持ちが浮き足立った。
鼻歌交じりに通りを歩く。
すれ違う人がギョッと彩芽のことを見ていた。
しかし、彼女はそれに気づかない。
ーー彩芽は自身が今どれだけ醜い顔をしているか、自分では見えないのだった。