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12.優しいお母さん



 再び促され中に歩みを進めると、20畳ほどの広い和室に着いた。教室なのだろう、生け花で使われる剣山や鋏などが置かれている。


「ここでお教室を開いているのよ。

さ、どうぞーー」

「お邪魔しまーす」

「失礼します」


 足の裏に畳の感触を感じる。畳の懐かしい匂いと、花の芳しい香りに包まれる。

 教室の脇には掛け軸や桐ダンスなどが置かれており、窓際にあるチェストの上には写真が並べられていた。そこには先生と女の子が写っている。

 

「娘さん、ですか?」


 振り返り尋ねると、椿は嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、一人娘なの。

あなたたちと同じくらいの年でね。アウトドアな子で、夏で外なんてすごく暑いのに、すぐに遊びにいっちゃうのよ」

「元気なんですね。すごくいいと思います」

「椿ちゃんの娘だからお淑やかな子を想像してたけど、意外と活発なんだー」

「ありがとう。けど、私もそこまでお淑やかではないわよ」


 二人の言葉に椿は笑った。

 

「けれど、まぁ娘はたしかに活発ではあるわね。今日も出かけているし」

「えー、なまで見てみたかったなー。椿ちゃんの娘さん」

「ふふ。また今度ね」


 楽しそうに娘の話をする椿に、累の頬も緩くなる。


――娘さんのこと、とても大切なんだろうな。


 それが伝わってきて優しい気持ちになる。

累の特性抜きに、その感情はすぐに伝わった。椿の笑みや話をする際の雰囲気が、娘が大切なのだと物語っている。

 ほっこりしつつ、チェストの上に並べられている写真たちを眺める。親子で写っている写真が複数枚並べられていた。小さな頃のものや、入学式なのか高校の校舎の前で二人で写真をとっているものもある。娘さんの小さな頃から高校生くらいまでのそれらの写真を眺めていると、春香が累の名を呼んだ。


「累〜。

そろそろ始めるって〜はやく〜」

「あ、ごめん。すぐ行く」


 体験教室を始めると聞き、累は慌てて指定の畳の上に正座する。

 その後すぐ、――しばらく正座とは無縁だったため――足が痺れて数分間悶絶することになるのは、また別の話である。



 椿の家からの帰り道。夜が更けかけている頃、累と春香は最寄り駅から自宅までの道を歩いていた。夏は日が出ている時間が長いため、夜といってもまだ薄紫の空をしている。長く伸びた自らの影を踏みつつ、一番星を眺めた。

 横を歩いていた春香が思い出したように吹き出す。


「る、るい。正座、苦手だったんだね……。くくっ、あははは」

「ちょ、ちょっと!

あれはーー久しぶりだったから!」


 堪えきれず笑い出す春香に抗議する。

あくまで久しぶりだったからだ。断じてできないわけではない。……おそらく。


 涙目になった春香がようやく笑いを収める。


「いやー。でも椿ちゃん良かったでしょ?」


 その春香の問いには素直に頷いた。


「うん。すごく優しそうで。いいお母さんだった」

「――そうだね」


 春香はじっと累を見つめる。

その視線の意味を理解して、笑みを返した。


「もう大丈夫だよ。私と楓のお母さんが死んだのはもうだいぶ前なんだから」


 正しく言うならば、楓の実母で、累にとっては義母に当たる人だ。

父が死んで数年後、義母も病気で亡くなってしまった。父が再婚してからだから、親子として生活した時間は少なかったけれど、それでも優しい母だった。ーー血の繋がった実母とは、累が六歳の時、つまり父の離婚後一度もあっていない。そのため、累にとっては義母の方がよほどお母さんと呼べる存在だった。

 思い出すと悲しいが、それでも記憶の中のお母さんはいつも笑っていた。それが今の自分の救いになっている。


「そっか。大丈夫なら、いいんだ」


にかっと笑う春香に、心の中でお礼を言う。

思わぬ良い出会いに春香には感謝だ。


 先日の事件から俯いていた気持ちが、少しばかり軽くなった気がした。



++++


 春香とは途中で別れて家路を急ぐ。話しながら歩いていたからか、もうすっかり夜が更けてしまっていた。

 暗い道を一人で歩く。暗さは人の心をざわつかせる。暗がりに怖さを感じているからだろうか。


 なにか、さっきからーー。


ザク、ザク。


後ろから聞こえた足音に、全身が泡立った。

心臓が耳元で鳴っているかのようにうるさく響く。


 まさか、つけられてる?


 確認するのが怖くて、歩くスピードを変えられない。

すると、後ろの足音がだんだんと大きくなってくる。近づいている、そう気づいた瞬間叫びそうになるのを抑えて、勇気を出して歩くスピードを速める。

 足音もスピードを上げる。累はとうとう走り出した。


怖い怖いこわいこわい!

はやく、家に帰らないと!――楓!


 すがるような気持ちで出てきた名前が、現在反抗期真っ只中な弟であることに自分でも驚いた。

 滝のような汗を流しながら走る、頬に張り付く髪が気持ち悪い。次第に、後ろにあったあの足音は聞こえなくなっていた。どうやら撒けたようだ。


「はぁはぁ……っ。今のは、一体――」


 先日から被害にあっているストーカーなのだろうか。

言い様のしれない気味の悪さを感じる。それはまるで、累の知らぬところでナニかが蠢いているような、得体の知れぬ恐怖だった。

 真っ暗な空に浮かぶ月が、厚い雲に飲み込まれようとしていた。


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