幕開け
話の構想自体は二年前くらいからありましたが、ミステリー系は初めてで執筆できていなかったものです。
今も書けるかどうか不安ですが、ラブ・サスペンス書きたくなっちゃったものはしょうがない!
生暖かい目で見ていただけると嬉しいです。
あ、案の定ヤンデレ風味になる場合があるのはあしからず。
そして第一話は暗い。。。
「僕はただ、心を解放する手伝いをしているだけなんだよ」
アブラゼミの鳴き声がやけに耳につく、夏の午後。
青年はその綺麗な顔に、薄く笑みを浮かべて言った。
その手伝いによってどれだけの人が踏みにじられたのか、この男は理解していないのか。
苦虫を噛み潰したような顔をする私に、青年は嬉しそうに笑みを深めた。
「本当に君の表情は見ていて飽きない」
「――っ。絶対にあなたは私が止める」
拳を握りしめ宣言する私に、青年は目を細める。それがどういった感情からくるものなのか、私にはわからない。
「じゃあおいで、僕のところに――。
君は僕の唯一なのだから」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ゴールデンウィークも過ぎて未だ休み気分が抜けない、弛緩した雰囲気が漂う社内。入社一年目の糸川 累は無心でいようと一心にPCに向かっていた。
「糸川さん、お願いしていたリストは?」
セミロングの髪に、流行りの柄の入ったシャツと無地のスカート、香水に身を包む今年30歳になる彼女は、木下 彩芽。累の先輩社員だ。
「あ、えっと……」
「……え、まだ、なの?」
「――っ。すみま、せん」
「そっちじゃなくて、先にリストの方やって」
ばさっ、と追加の書類を雑にデスクに放られる。
「……はい」
(昨日は別の資料作成の方を早めにって、言っていたのに・・・)
作成途中の資料を隅にやり、中断していた木下さんに言われたリストの作成に取り掛かる。遠くの方で、木下さんが他の同僚と話しながら、私のことをチラリと見て眉を顰めて笑っているのが視界の端に映った。
「……」
吐きそうになるため息を飲み込む。
(やっぱり、嫌われているのかな……)
自分がため息を吐くことで、それすらも何か言われる原因になるかもしれない。それが怖くて、ため息もろくにつけない。
『仕事もろくにできないくせに』
『本当に目障り』
『あー仕事だる』
『どーして俺ばっか』
誰も声にしていないのに、そんな嫌悪の感情が自分の中に入ってくる。
その感情の波に呑まれないように、累はそっと目を閉じた。
累は幼い時から、他人の感情には人一倍敏感な子供だった。そのせいもあってか、会社では色々な感情に振り回され仕事が思うように手につかず、浮いてしまっていた。
木下さんだって初めは優しかったのに、やっぱり自分がこんなだから……。
思案にふけっていた累は、近づいてくる人の気配に気づくのが遅れた。
「糸川さん大丈夫?」
「――!!は、はい!……國枝さん」
驚いて顔をあげると、そこにはにこやかに微笑みかけてくる男性の顔があった。
高そうなスーツをスマートに着こなした彼は、仕事ができて優しくて社内でも人気の高い國枝 元基、その人だ。
新入社員で、いまだに会社に馴染めていない累のことを何かにつけ気にかけてくれていた。
「何かあれば気軽に相談して。いつでも力になるから」
「あ、ありがとうございます」
なぜ自分のことをこれだけ気にかけてくれるのかはわからないけれど、誰にでも優しい國枝さんならばこれくらいは皆に言っていることなのかもしれない。
そう思ってお礼を言うと、國枝は笑顔を残して颯爽と行ってしまった。
(爽やか……)
國枝に気をとられていた累は、彩芽が口元を歪め睨んでいることに気づかなかった。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
アパートの駐車場に車を停めて鍵をかける。ドアを閉めるついでに吐いてしまうため息はもうクセになってしまっていた。気を抜くと俯いていく顔を無理矢理前に向ける。一緒に暮らしている、たった一人の家族である弟にまで迷惑をかけるわけにはいかない。
アパートの階段を上がりながら笑顔の練習をする。会社では動かしていない表情筋が少し傷んだのが寂しかった。
「ただいま」
――――。
いつも通りの無音に、いつも通りただいまを言う。返してくれる相手がいなくても言ってしまうのは、いつか返事がくるのを期待しているからなのかもしれない。
玄関から続く廊下の脇にある一室から、カタカタと音が聞こえる。いつも帰りの遅い弟が今日はもう帰って来ているようだった。
一瞬躊躇しつつも、ドアをノックする。少し遅れて、オーバーサイズのTシャツに黒のパンツスタイルの弟、楓が姿を現した。
「なに?」
「今日は、早かったんだね!」
「ああ」
無造作にワックスでアレンジされた黒髪を手で押さえながら、壁に寄りかかる。
不機嫌さを隠そうともしない声に、次の言葉を続けるか迷う。しかし、まだ高校二年の未成年である楓にはちゃんと言っておかなければと、思いなおした。
「最近は物騒な事件が続いているし、あまり夜遅くに出歩くのは……。あ、でも学校の帰りが遅くなることもあるだろうし、それは仕方ないことだとも思うんだけどね、でもーー」
「なにが言いたいの?」
「あ……」
低くなった声のトーンに、体の芯が冷えていく感覚にとらわれる。昔から声に出すと纏まらなくなる思考に、相手からこういう反応をされることが多かった累は、心臓を鷲掴みにされた心地になった。自分の思いや意図が相手に伝わらないことの恐怖。相手が今感じている感情を受け取ってしまう恐怖。それらの恐怖に、言葉が竦み、余計に相手に伝わらなくなっていくのだ。
「……えっと」
早く言わなきゃ、次の言葉。
弟が早く帰って来ていること自体が珍しい。今のうちに言わないと、いつ言えるかわからない。
難しいことじゃない。ただ、帰りが遅いのが心配だって、伝えたいことはそれだけ。
それだけーー。
「まじうぜえ」
「――」
その言葉を聞いた瞬間固まってしまった。頭が真っ白になる。言おうとしていた言葉を飲み込んでしまう。
見ると、眉を顰め、頭を搔く横顔が見えた。面倒だ、という感情がありありとわかる。累の繊細すぎる心が、ゆっくりと動きを止めていく。次に続く言葉で、はっきりと止まったのがわかった。
「血も繋がってないクセに、姉貴面すんな」
「――っ」
それだけ言い残すと、楓は財布と携帯を持って累の横をすり抜けていった。累の目線ほどの高さにある楓の口元が、忌々しげに引き結ばれていた。
少しでも面白い!って思ってくださった方は、評価や感想いただけるとモチベになるので、
ぜひぜひよろしくお願いします!!