並走する過去 第13話:チョコチップクッキー
あれから、僕と一ノ瀬さんは普通に話せるようになった。
彼女は中森と付き合っている、その状況は変わっていない。
だけど……普段の会話は信じられないぐらい今まで通りだった。
「今日は中森と帰らないの?」
「だって、拓斗、先に帰っちゃったし」
仕事が遅くなると、交通手段が違うふたりは別々に帰ることが多くなった。
心配だけど、僕が口を出すようなことじゃないだろう。
……都合、僕と一緒に駅まで歩くことが多くなる。
それはとても嬉しいことだけど、帰り道は罪悪感でいっぱいだった。
中森は気にならないのだろうか?
少なくとも、僕が一ノ瀬さんの事を好きなのは知っているはずだ。
僕だったらそんな人と一緒に帰って欲しくないと思う。
「ねえ、高木くん。私の事、好き?」
何を意図しているんだろうか。
一ノ瀬さんは、時々そう聞いてきた。
そんなの、いつ聞いたって答えは一緒だ。
「うん、好きだよ」
「あはは、高木くんはいつも即答だよねー」
高木くんは、そう言った。
もしかして、中森はそうじゃないのかな……。
やっぱり心配だ。余計なお世話なのはわかっている。
それでも、僕は一ノ瀬さんにだけは悲しい思いをして欲しくない。
「またね、高木くん!」
別れ際は笑顔でそう言ってくれる一ノ瀬さん。
やっぱり、前と変わらない。
注意深く気にしてみても、無理をしている感じは無かった。
僕に何か、出来ることは無いのかな……。
――翌日。
生徒会室へ行くと、歪な形のクッキーが振舞われていた。
「少し、粉っぽいかな」
中森はそう言って食べている。まあ、たしかに同意出来るかな。
けど、明らかに手作りのものだ。否定する気にはなれない。
それに味付けは普通に悪くなかった。
ほんのりと甘く、ちゃんとバターの風味も残っている。
それに甘い匂いもするから香料も入れてあるのだろう。
うん、決して不味くはない。
「んー、でも僕は好きだな。普通に美味しいと思うよ」
誰が作ったんだろう。
美沙ちゃんは器用そうだし、麻美ちゃんかな?
「ごめんね、上手くできなくて」
そう言ったのは一ノ瀬さんだった。
ああ、しまった。色んな人に対して失礼だったな。
「そんなことないよ! ちゃんと作れるだけでも凄い」
思わず、そう言ってしまった。
多分、僕の感想はお呼びではない。
聴きたかったのは、僕じゃなくて中森の言葉だろう。
「あ、ありがと……」
一ノ瀬さんの困ったような返事がいたたまれない。
「じゃあ、僕は部活に行ってくるから」
彼女と中森を見ていたくなくて、逃げるように生徒会室を後にした。
あのクッキーは多分、中森の為に作られたものだ。
それは解るし、受け入れなきゃ。
一ノ瀬さんが作ったものを食べる機会なんて、もうないんだろうな。
自分の為に作られたものじゃないとしても、僕は嬉しかった。
彼女が悪戦苦闘しながら作っている姿を想像する。
ああ、もう、なんて可愛いんだろう。
悲しい事を考えればいくらでも見つかる。
でも、そんな中に、ちゃんと嬉しい事もある。
僕は今までずっと悲しい事にばかり目を向けていた。
今思えば、嬉しいと思うことは過去にもたくさんあった。
それなのに、僕はそれに気がついていなかったんだ。
不安に取りつかれて、今を大切に出来ていなかった。
これからはちゃんと嬉しい事を探していこうと思う。
そっか、こうやって前向きになっていけばいいんだな。
一ノ瀬さんはいつもこんな風に考えていたのかもしれない。
やっぱり、彼女は格好良い――。
練習が終わって生徒会室に戻ると、一ノ瀬さんしかいなかった。
他の皆はもう帰ったみたいだ。
外はもう暗くなり始めていたから少し心配になる。
「どうしたの? 何か仕事あるなら手伝うよ?」
「大丈夫、今日はもうやることないんだ」
なら、何故残っているんだろう。
「帰らないの?」
「んー、なんとなくね、残っていようかなって」
一ノ瀬さんはどこか、寂しそうだった。
嫌だな、彼女のこんな顔は見たくない。
「はい、高木くん、これあげる」
そう言って、綺麗に飾られた紙袋を取り出した。
「僕に?」
一瞬、耳を疑った。どういうことだろう?
「うん、高木くんにあげる。いっぱい作ったから」
そういうことなら、ありがたく受け取ろう。
「ありがとう」
「失敗作でごめんね」
ああ、そういうことか。
一番よくできたものを中森に贈ったんだね。
包みを開くと、昼間食べたクッキーだった。
ただ、こちらにはチョコチップが乗っている。
「うわー、凄く嬉しいよ」
そう言って、一ノ瀬さんの目の前で食べた。
……とても失敗作とは思えない。
「うん、美味しいよ!」
形はアレだけど、この言葉に嘘偽りはない。
励ますとか、そういう意図もなかったんだ。
ただ、普通に美味しいと思った。
「思っても無いこと言わなくてもいいのに」
「そんなこと無いよ!」
その発言は許せない。本当にそう思っているんだ。
「ちゃんとバターの味もするし、チョコも甘くて美味しい。
それに、いい匂いもする。僕はこの味、好きだよ」
「……ありがと」
相変わらず、寂しそうな表情の一ノ瀬さん。
あんまり伝わってなさそうだ。悔しいな。
やっぱり、僕では励ますことすらできないのか。
「私……なんで、高木くんのことを好きにならなかったんだろ」
「えっ!?」
完全に耳を疑った。今なんて?
「拓斗は、何も言ってくれないだろうな。多分、私の事、好きじゃないんだ」
中森、どうしてだ。なんでそんな簡単なこともしてあげないんだよ。
「そんなことないと思うよ。中森は口下手でそういうこと言わないだけさ」
とにかく、こんな一ノ瀬さんを放ってはおけない。そう思った。
「高木くん……、馬鹿なの?」
「えっ!? 何かおかしいこと言った?」
一ノ瀬さんは思ったよりも深刻そうな表情をしていなかった。
ただ、相変わらず寂しそうだ。
「私と拓斗に、別れて欲しいとか思わないの?」
思うに決まっている。だけど……。
「一ノ瀬さんが別れたくないなら、別れて欲しくない」
君が不幸になるのだけは嫌だ。
「高木くんは私の事、好きじゃないの?」
「好きだよ! 誰よりも好きだ!」
一ノ瀬さんのことを好きだと思う気持ちなら、誰にも負けない自信がある。
「じゃあ何で……、私と拓斗を応援するの?」
そんな寂しそうな顔をしないで欲しい。
「好きだからだよ」
僕は力の限り、優しい声を出したつもりだ。
「意味わかんない。好きなら普通、そんなこと出来ないでしょ?」
「僕の好きは普通じゃないから」
自分で言っていて少し笑ってしまった。
「何それ、辛くないの?」
「凄く辛い、悲しいし、嫌な気持ちになる」
それでも……、大事なのは君だ。
「僕は良いんだよ、どうなってもいい。ただ、君に幸せで居て欲しい。
手紙に書いたこと、忘れちゃった?」
「高木くん……」
どうやら、今度はちゃんと伝わったようだ。
それにしても、なんで僕は一ノ瀬さんのことをこんなに好きなんだろう?
早く忘れなきゃいけない、ずっとそう思っているのに……。
未だに気持ちを変えることが出来ずにいる。
「ねえ、いっしょに帰ろっか?」
そう言ってくれた一ノ瀬さんの声は、ひたすら優しかった。
「一ノ瀬さんが嫌じゃなければ……」
「誘ったの、私だよ? 嫌なわけないじゃん」
それもそうだ、僕は馬鹿だな。
ふたりで帰り支度をして生徒会室を後にする。
話している間に、外はもう真っ暗になっていた。
生徒会室の電気を消すと、辺りに暗闇が満ちる。
「寒いねー!」
「ほんと、冬だねえ」
吐く息が白い。冬の張り詰めた冷気は肌を刺すようだ。
夜の闇が深くて、街灯の灯りが妙に眩しく感じた。
「私、拓斗とは別れることにした!」
「えっ!? 何でだよ! そんな急に……」
衝撃の言葉だった。
でも、もしそうなったら、不謹慎だけど嬉しい。
もう一緒にいても罪悪感を感じなくて済む。
だけど……、大丈夫なのかな?
「まだ付き合って3ヵ月じゃないか、もう少し様子を見てみたら?」
本当はこんなこと、言いたくない。
「ばーか、なんで高木くんがそんなこと言うのさ」
「一ノ瀬さん、辛くないの?」
それだけが気がかりだった。
「多分ね、拓斗は私の事が好きじゃないんだよ」
「そんな事、ないと思うよ。中森は言わないだけだ」
僕が言ったところで無意味なのかもしれない。
恋人である一ノ瀬さんが一番わかっていることだ。
「それにね、私、追いかけるタイプじゃないみたい。
なんか合わないなーって思っちゃった」
それはどこかわかる気がする。
一ノ瀬さんは自分から「好き」と言う人じゃない。
相手に「好き」と言わせる人だ。
「でも、一ノ瀬さんは中森のこと好きなんでしょ?」
「うーん、良くわかんなくなっちゃった」
何だそれ、どういうことだろう。
「なんか、もう面倒くさい」
「そんなのでいいの? もう少し考えた方が……」
付き合いながら考えてもいいはずだ。
「ねえ、高木くん。私の事、好き?」
「好きだよ」
何度聞かれたって、答えは同じだ。
一ノ瀬さんだってわかっているはずなのに。
「あははは! 流石、高木くん」
僕なんかの言葉で嬉しそうに笑ってくれる一ノ瀬さん。
ああ、やっぱりいいな、その表情。
中森のことが羨ましくてたまらない。
僕なら、もっと大事にするのに……。
「何でそんな当たり前の事を聞くのさ?」
別に言葉にしなくても伝わっているはずだ。
「私、高木くんみたいな方がいい。でも拓斗は絶対にそうしてくれない。
なんかねー、我慢しながら一緒にいるのってさ。不毛だと思うんだ」
そう言った一ノ瀬さんの表情は、晴れ晴れとしていた。
なんだか、いつもの彼女に戻ったような気がする。
「高木くん、鞄持ってくれない?」
「ん、いいよ」
一ノ瀬さんは僕の問いかけには答えなかった。
まあ、彼女が自由なのはいつもの事だ。
左手で鞄を受け取ると、一ノ瀬さんは僕の右腕に抱き着いた。
「えっ!?」
「えへへー、ちょっと寒かったから」
そう言って、寄り添って来る。
本当に何を考えているのかよくわからない。
一ノ瀬さんの甘くて優しい匂いがした。
冬の冷たい空気の中で、彼女のいる右側がとても暖かく感じる。
「ありがとね、梨香のこと、慰めてくれて」
「あ……、いや……、僕なんかが、そんな……」
予想外の言葉と行動に、上手く返事が出来なかった。
「ねえ、高木くん。格好良くなってよ」
「ええっ!? 何で急に?」
相変わらず、何を考えているかよくわからない。
「いいから、お願い」
「……うん、分かったよ。最大限の努力をします」
今までも結構、必死だったんだけどなあ。
でも、そう言ってくれるのなら頑張ろうと思う。
いつか、一ノ瀬さんが好きになってくれるような。
そんな自分になりたい。
 




