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たとえ人生をやり直せるとしても俺は同じ過ちを繰り返す  作者: 大神 新
第6章:偽れない本当の気持ち
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第69話:困ったときは誰かに頼っても良い

 俺の人生の中で最悪だった日は、一ノ瀬と決別した日ではない。

 そのきっかけとなった、あの日だ。まるで全てを失ったような1日だった。


 今日は2学期の球技大会、その2日目である。

 対戦表が完成し、束の間意識を失ったところで最低の記憶が蘇った。

 理由は何となくわかる、疲労によるものだ。

 肉体の感覚があの頃と重なってしまったせいだろう。


 フラッシュバック……少し大げさに言うとそんな感じだ。

 昔から、時々こういうことはあった。大抵の場合、仕事が忙しい時だ。

 対処法は特に無い。出来るのは無理するか、休むか、そのどちらかひとつ。

 今までは諦めて上手く付き合ってきた。


 でも、今の俺は大丈夫なはずだ。

 学校に行けば、一ノ瀬に逢えるのだから……。

 

 時計を見るとすでに午前5時を回っている。

 電車はもう動いているから学校へ行こう。


 外に出るとまだ暗かった。この時期は6時を過ぎないと明るくならない。

 早朝の空気はひたすらに冷たかった。でも、今の気分には丁度良い。

 吐く息は白く、闇の中へ溶けていく。


 電車を乗り継ぎ、バスに乗る。

 早朝での通学は朝練で慣れていた。

 夏場は大抵、これぐらいの時間に家を出ている。


 学校の近くのバス停に着いて、裏門から中へ入る。

 校舎が見えてくると、少しほっとした。

 今の俺は高校2年生なんだ。


 下駄箱で靴を履き替える。

 手が軽くかじかんでいたので、少し手こずった。

 でもネクタイを外して作業服に着替えるよりはよほど楽だ。


 生徒会室の鍵を開けて中に入る。

 いつも通り、会長席の横にあるパイプ椅子に腰を掛けた。

 未だに外よりも生徒会室の蛍光灯の方が明るい。


 山積みの備品に、古臭い書類の束。

 戸棚にある、名前の書いてあるマグカップ。

 それらを見て、心を落ち着ける。


 今はこちらが現実、夢はあっちの方だ。

 ここで待っていれば、それだけで一ノ瀬に逢える。


 ……いつの間にか、俺はまた彼女に依存していた。

 再び取り上げられたら、どうなるか分からない。

 一瞬でもそのことを想像しただけで涙が溢れた。


 構わずに対戦表を開いて、バッティングがないかチェックする。

 今日を乗り切れば、もう激務はない。

 3学期は久志(ひさし)君が対戦表を管理することになるだろう。

 ある意味では最後の仕事のようなものだ。


 最後、か……。

 2年生で居られるのもあと少し。

 3年生になったら……、いや考えるのは止めよう。

 俺に出来るのは、いつだって今を大切にすることだけだ。


「おはようございます!」

 元気な声でやってきたのは久志君だ。


「おはよう、朝早いねー」

「先輩のが早いですよ!」

 まあ、それはそうなんだが。


 それにしても、後輩が来てくれてほっとする。

 無様を晒すような真似はしたくないからな。

 これで涙も止まってくれるだろう。


「対戦表を印刷しにいこうかと思うんだけど……。

 良かったら、一緒に来てくれる?」

「いえ、先輩は休んでいて下さい。僕ひとりで十分です」

 無様を晒したくない、というのはすでに手遅れだったようだ。

 思い切り心配されてしまっている。まあ、ほぼ徹夜だしな。


「ひとりは寂しいから、一緒に行こうよ」

「……わかりました!」

 そう言って、ふたりで生徒会室を出て職員室へ向かう。

 いつも大場(おおば)とふたりだったけど、これはこれで悪くない。

 相変わらず、色気は無いけどな!


「対戦表、来期からは久志君にやってもらおうと思うんだけど……」

「はい、頑張ります!」

 おお、淀みないな。あまりに真っすぐで心配になった。


「大丈夫? 不安とかない?」

「それはありますけど……、先輩の後を継げるのは嬉しいです」

 何、この子。超いい子なんだけど。

 一ノ瀬の事とは別に涙が止まらなくなってしまうよ。


「そう言ってくれるのは凄く嬉しいなー」

「僕は、先輩みたいになりたいので……」

 それはダメだぞ、碌な大人にならない。


 でも、今回はそれなりに先輩らしく振舞えてたってことかな。

 やっぱり、こんな風に言ってもらえるのは凄く嬉しい。


「そっか、でも無理しちゃだめだぞ。辛かったらいつでも頼っていいからね」

「はい、ありがとうございます!」

 大事なことはちゃんと言葉にしておく。

 考えていることは意外と伝わらないものである。


「あ、高木君、久志君! おはよう」

 生徒会室に戻ると大場が来ていた。

 流石だ、いつも通り朝は早いな。


「高木君、大丈夫……?」

「うん、今日は割と眠くないんだ」

 おそらく、夢のせいだろう。眠りに着くことの方が怖いぐらいだ。


 しばらくすると生徒会室に人が集まってきた。

 人が増えるほどに安心する、今はひとりじゃないんだ……。


「おはようございまーす!」

 元気な声で一ノ瀬が入ってくる。

 やはり一番最後だったか。やっぱりこの顔を見ると嬉しいな。


 昨日もおにぎりを作ってもらえたんだ。そして一緒に帰った。

 連続した当たり前の日々なのに、今日はなんだか違って見える。


「おはよう、一ノ瀬」

 そう言って、頭を撫でた。本当は皆の前でするべきじゃない。

 でも、どうしても触れたくて仕方が無かった。


「んっ!」

 最近は嫌がるどころか、むしろ嬉しそうだ。

 本当に可愛いな、一ノ瀬は。


 俺はあの時の記憶を失くしたわけでも、封印したわけでもない。

 なのに、たった一度、思い出しただけでこの様である。


「高木せんぱーい、朝からイチャイチャしないで下さいよー」

 その手は食わない、こちらもやり返させてもらおう。


美沙(みさ)ちゃんにもやってあげようか?」

「わ、私はいいです! ……高木先輩って本当に存在がセクハラですね」

 いや、だからそれはどんな存在だ。

 しかしこの子、意外と責められると弱いんだよな。


「よし、じゃあミーティングを始めます」

 俺は気を取り直してそう言った。ごちゃごちゃ考えても仕方ない。

 やるべきことを、やるだけだ。


 そして、いつものように激務が始まった――。


「こちらメインテント、女子バスケ第17試合、開始しました、以上です」

「こちら本部、了解しました」

 正樹(まさき)君の声に冷静に答えるポニーテールの美沙ちゃん。


 昨日からずっと安定感のあるコンビだ。

 もちろん、サブテント側の奈津季(なつき)さんと大場も上手く息が合っている。


 だが……順調なのは前半だけだった。


「高木先輩!」

 息を切らせて生徒会室に乗り込んできたのは久志君だ。


「サッカーと男子バスケ、バッティングしています!」

 言われて対戦表を見た。確かにその通りだ。


「ちょっと待ってて!」

 そう言って必死に思考を巡らせる。


 正直なところ、パニックになりそうだった。

 悔しいけど今日の俺は本当に駄目だ。


 頭の中に、一ノ瀬のことがチラつく。


 辛い時、苦しい時。

 好きな人を想えば無限のパワーが湧いてきてなんとかなる。

 そんなものは絵空事だ。俺はそれを否定する。そうじゃないんだ。


 目の前の物をどうにかするのは、徹頭徹尾、自分の力だ。

 スポーツ選手のヒーローインタビューを信じちゃいけない。


 家族のおかげ? チームメイトが居たから?

 違う、最後に頼るのは自分自身だ。

 信じられるのは積み重ねた経験と、練習量だけだ。

 もちろん、厳しい練習に耐えるために家族やチームメイトは必要だと思う。


 だけど試合中にその姿が浮かんではいけない。

 目の前のことに全ての力をかけて集中する以上、そんな余裕はないはずだ。


 だから、俺は今、明らかに集中力を欠いている。


 でも……大丈夫だ。

 深呼吸して気持ちを整える。


 俺は、一ノ瀬が居たから強かったわけじゃない。

 アイツの言う通りだ。俺は強かったんだ。

 今はそう確信している。


 だから、大丈夫、俺ならひとりでも出来る。


「久志君、男子バスケの試合を優先して。サッカーは第20試合と入れ替える」

 とりあえずは今はこれで凌げる。問題は次のバッティング対処だ。

 この入れ替えで30分後に再びバッティングが発生している。


「わかりました! メインテントまで走ります!」

「ありがとう、頼りにしてます」

 本部である生徒会室まで来てくれて良かった。

 なかなか冷静な対処である。

 後輩が育ってくれるのは嬉しいけれど、なんだかちょっと寂しい。


「美沙ちゃん、念のため、メインテントへ通達して。

 サッカーの第18試合と第20試合を入れ替える」

「わかりました!」

 短い指示でさっと動いてくれるのもありがたい。

 美沙ちゃんは自分の言葉に置き換えて的確に連絡をしてくれた。


「奈津季さん、放送の指示頼めるかな?」

「うん、わかった」

 流石に奈津季さんは手馴れたものである。

 すぐに、放送内容を紙に書きだしてくれた。


 ほっとするのも束の間、俺は次のバッティングに対処する。

 今日の俺に人権はない。

 悲しいも寂しいも、全ては後回しだ――。


 昼休みになると一ノ瀬は黙って隣に座ってくれた。

 無限のパワーは湧いてこないけど、凄く安心する。

 ともすれば気が散ってしまうのだけど、今はとても助かった。


「出来た!」

 何とか無事に午後の対戦表が完成する。


「あ、私、印刷してきます!」

 そう言って麻美(あさみ)ちゃんが俺の手から対戦表を受け取った。

「僕も一緒に行くよ」

 すかさず久志君が付いていく。いいなあ、あの感じ。


「高木くん、私、午後からメインテント行こうか?」

 そう言ったのは奈津季さんだった。


「えっ……?」

 意図が全く理解できない。

 奈津季さんほど優秀なオペレーターはいないと思う。

 メインテントには一ノ瀬がいるし、ここに居て欲しいのに。


「高木君、辛いときは少しぐらい我儘を言ってもいいんだよ?」

「高木くんはさ、自分だとそういうの許さないよねー。

 人には簡単に甘えろとか頼れとかいうくせに」

 奈津季さんと一ノ瀬は通じ合っているようだ。


「じゃあ、梨香(りか)ちゃん、よろしくね!」

「うん、わかったー」

 いや、だから勝手に話を……。


「安心して、梨香が傍に居てあげるから」

 耳元でそう言っておにぎりを手渡す一ノ瀬。

 ……そっか。ありがとう、ふたりとも。


 俺はこの日、どんな表情をしていたのだろう。

 仮面をつけるのは上手くなったはずなのに。

 でも、昔からあの日の夢だけはダメだったな……。


 ありがたく、おにぎりを頂いて午後の部を始める。

 メインテントに行った奈津季さんが少し心配だった。

 だけど、こういう時の為に1年生はローテーションを組んでいるのだ。


 適性を見るため、というのもある。

 けど一番の理由は、誰かが欠けた時、誰かが代われるようにするためだ。


「高木くん、女子バレーの2試合先!」

「ありがとう、一ノ瀬!」

 早速、バッティングを指摘された。


 何だか、懐かしい。

 一ノ瀬と一緒だと、なんでも出来そうな気がしてしまう。


「一ノ瀬!」


「こちら本部、サブテント応答願います、どうぞ」

「サブテント、大場です、どうぞ」

「男子バレー、結果確認して下さい、以上です」

「サブテント、了解しました」

 やっぱり恰好良いな、コイツは。

 思わず、見惚れてしまう。目が合うとピースサインを返してくれた。

 笑顔と相まって可愛い。


「何なんですかあ! 梨香先輩!」

 美沙ちゃんがついていけないのはわかる。

 一ノ瀬は対戦表を見ながらオペレーターをしているのだ。


「高木先輩! 私にも対戦表を見せて下さい!」

「はい、どうぞ」

 美沙ちゃんの心意気は凄く嬉しかった。結構本気で仕事してるってことだ。

 なんだ、こんな一面もあったのか。


「……梨香先輩、こんなに凄い人だと思ってなかったです」

「ずるいよね、わかるわかる」

 可愛いだけの女の子にしか見えないからな。


 その後も一ノ瀬に背中を預ける形で、無事に午後の部を進行していく。

 何とも情けない話だ。


「終わった……!」

 そして、ついに決勝戦と3位決定戦までの対戦表が完成した。

 俺の仕事はほぼ終わったと言って良い。

 この後はどんなにポンコツになっても大丈夫だ。

 何せ、本部には一ノ瀬がいるのだから。


「高木先輩、後は任せて下さい」

 美沙ちゃんにも気を使われてしまった。


 一ノ瀬は何故か3台のパイプ椅子を展開している。

 真ん中だけ逆向きにしてあった。何だろう?


「高木くん、こっち来て!」

 良くわからないが言われるがまま隣に座った。

 ああ、これだけでも嬉しいな。


「違うよ! これを見て、何でそうなるかな」

 そう言って膝をポンポン、と叩く。

 いや、意味わかんないから。


「だから、脚はそっち! 頭はここ!」

 ……おい、お前、それは本気で言っているのか?


「高木せんぱーい、こんな機会、滅多にないと思いますよお?」

 美沙ちゃんが意地悪そうな顔で見ている。

 うーん、あまりこういうシーンは見せたくないのだけど……。


「いや、悪いから普通に机にうつ伏せでいいよ。

 隣に居てくれるだけで十分だから」

「いいから! 私、膝枕とかしてみたかったんだよねー」

 お前もそういうのに興味とかあるんだな……。

 まあ、本人がしたいと言っているのに断るのも変な話か。


「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 上履きを脱いでパイプ椅子で作られたベッドで横になる。

 そういえば、会社でもこれで寝たことあったっけ。

 相変わらず不安定な感じがして怖い。


 そして、恐る恐る、頭を一ノ瀬の太ももに乗せる。

 残念ながらスカートの下はジャージなので素肌の感触は無かった。

 でも……とても柔らかい。

 とはいえ、顔を思いっきり見下ろされるのは、なんだか慣れないな。


「思ったより重くないね」

「それなら良かった」

 首筋から一ノ瀬の体温が伝わってくる。

 甘い匂いがして心地良い。


「寝てていいからねー」

 そう言って、当たり前のようにサブテントの通信を受けていた。

 この少し高い声も好きだったなあ。


 あの日のことをまた思い出してしまった。

 2度とこんな暖かい時間が来ると思っていなかったんだ。

 そのせいで涙が止まらなくなる。


 でも良かった。

 この角度なら後輩にも、一ノ瀬にも見られることもない。


 今日の俺は本当に駄目だった。一ノ瀬や皆に頼りっぱなしだ。

 だけど、これはこれで俺らしいのかもしれない。


 一ノ瀬に触れている時は、いつだって胸の奥が暖かくなる。

 いつまでもこの温もりを感じていたかったのだけど……。

 安らかな気持ちに耐えられず、俺は意識を失った。

 多分、きっと。こんなに幸せな眠りは無いと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一生拭えないトラウマでフラッシュバックして、涙が止まらず、日常生活・業務に支障を来しています。本当は、カウンセリング・治療が必要な状況に見えてしまいますが。 どこに行き着くのか、続きをお待ち…
[一言] 前回の過去編引きずってるせいでちょっとしたところで不穏な影を感じてしまう笑 ところで中学時代の彼らも好きだったので完結後にでも番外編か何かでまた活躍?を見れると嬉しいです。
[良い点] 1周目と対比して2周目の一ノ瀬はホント可愛いし良い娘! 美沙ちゃんも奈津季さんも一ノ瀬と出会わなかったらこの2人がヒロインでしょってぐらい良い娘! もちろん久志君や大場君も良い後輩と友人……
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