第67話:大切な思い出に特別な景色は無くても良い
文化祭が終わった後は修学旅行だ。
過去では一ノ瀬との関係が散々な状況だった。
でも、今はかなり良い状況と言えるだろう。
ただ、クラスが違う以上、俺たちには何の意味もないイベントとなる。
過去の世界において展望台で会えたのはただの奇跡だ。
あんなことは2度と起こらない。あの時の俺は間違いなく自分に酔っていた。
思い出すと少し恥ずかしい……。
愛の力による必然? そんなものがあるわけない。
単純に偶然、たまたま、運よく出会えただけだ。
そもそも片想いだし。愛の力と言うよりも執念みたいなものだよね。
「おはようございます」
いつものように生徒会室へ入る。
「先輩、おはようございますー!」
返事をしてくれたのは美沙ちゃんだ。
今日はサイドテールか。うん、いつも通り可愛い。
「来週から修学旅行ですよね。ちょっと寂しいです」
本当に寂しそうな顔をしているのでドキっとしてしまった。
こんな可愛い後輩が現実にいても良いのだろうか。
「俺も美沙ちゃんに会えないと思うと寂しいよ」
「それ、セクハラですよ? 有罪です」
何だ、この恐ろしい手のひら返しの罠は。
「でもいいなー、梨香先輩と回るんですか?」
「いや、多分アイツとは一切会えないと思う。
クラスが違うから集合場所も宿泊先も違うんだ」
我が校は1学年9クラス。奇数クラスと偶数クラスで宿泊先が分かれている。
さらに班行動の集合場所はクラス毎に違うと来ているのだ。
なんという悲劇。
「それは……残念ですね」
「だろー。しかも最終日の前日は一ノ瀬の誕生日なんだよ」
唯一、会える可能性がある3日目の夕方だけは行先が固定されている。
「えっ? そうなんですか?」
美沙ちゃんの反応が過去の世界と同じでちょっとほっこりする。
「先輩、ちょっと待ってて下さいね!」
そう言って美沙ちゃんは便箋を取り出して何かを書き始める。
おお、ここも全く一緒だ。
「はい、これを渡して下さい!」
「うん、わかったよ。当日に会える可能性は低いけど……」
過去の出来事はそれほど覚えていないけど、この事はよく覚えていた。
後輩に発破をかけられるとは情けない先輩だ。
「いいから、頑張って下さい!」
「うん、わかった、ありがとう」
可愛く折られた手紙を受けとった。
「ところで、何が書いてあるの?」
そこだけは一ノ瀬も教えてくれなかったんだよな。
「高木せんぱーい!」
凄く可愛い声だ。メロメロになってしまうからやめて欲しい。
「中身を見たら、殺しますよ?」
何、この娘、恐ろしい。
先輩に向かって笑顔で殺意を向けるとか、どういう心理?
「おはようございまーす!」
元気な声で一ノ瀬が入ってきた。
美沙ちゃんからの手紙もあるし、少し頑張ってみるか。
「おはよう、一ノ瀬」
「おはよー、高木くん」
真剣な表情で一ノ瀬に話しかける。
「修学旅行の3日目のことなんだけど……」
「うん、一緒に回る?」
な、何だと……、こんな素直に言うこと聞くヤツだったっけ?
「ああ、出来ればそうしたいんだけど」
「班別行動だから、最後の展望台だけだよね、一緒に居られるの」
そうなのだ、自由行動の時はお互い違う場所だから合流出来ない。
チャンスは本当に最後の最後、展望台に登る前からクラス毎の集合場所までだ。
「俺は短い時間でも一緒に居たいな」
「じゃあ、待ち合わせしようか!」
トントン拍子に進んでいくのが逆に少し怖い。
とはいえ、無事に一ノ瀬と約束を取り付けることが出来てほっとする。
本当は、どうせ会えないのだろうと思っていた。
でも、少しぐらいは思い出を作ることが出来そうだ。
俺にとってはこれ以上に嬉しい事はない。
――修学旅行3日目。
俺たちは夜景が有名な展望台に……居なかった。
「おー、海が見える!」
「良い雰囲気で良かったな」
人混みが嫌いな一ノ瀬と、わざわざ観光客だらけの展望台に行く必要はない。
展望台近くの喫茶店でお茶を飲んでいる。
ちなみに、この店を調べるのに使ったのは電話帳だ。
昔は分厚い辞書のような物を使ってお店を調べていた。
店舗の様子や行き方なんかも直接電話をしている。アナログな方法だ。
でも、ネットで写真や口コミを見て予約する現代よりも温かみがある気がした。
……人見知りな性格な俺からすると、それなりに苦労したけど。
やっぱり知らない人と話すのは緊張するよ。
「やっぱり夜景の方が良かったか?」
「んー、ちょっと見てみたかったかも」
一ノ瀬は割とミーハーな所があった。
皆が知っているものは知っていたい、という気持ちはわかる。
俺もそういう気持ちが無いわけじゃない。
せっかくここまで来たのに、と思う気持ちはある。
「けど、こっちのが良いかな。ケーキも美味しかったし!」
「良かった、ちょっとドキドキしたよ」
でも、あえてこうやって過ごす、というのも特別な感じがするのだ。
「俺はなんて言うか、2人だけの思い出みたいな感じがいいかな、と」
「……うあー、そういう発言はちょっと引く」
甘い物は好きでも、甘い言葉は好きじゃないようだ。
「でもでも、他の人と違うことしてるってのはちょっとドキドキするよね!」
そう言えばこんなところもあったっけ。
人と違うことをしたがるのも一ノ瀬の特徴だった。
「はい、じゃあ誕生日おめでとう!」
そう言って、俺は指輪の入ったオルゴールと2通の手紙を渡した。
手紙は内容が過去とは違う。だが、指輪は過去の世界で贈ったものと同じだ。
これは、社会人になって再会するのに必要なものだった。
「手紙が2通?」
「1通は美沙ちゃんからだよ」
当時は全く気にならなかったが、一体何が書いてあるのだろう。
「読んでいい?」
「そんなに時間がかかるわけでもないし、いいよ」
出来れば家に帰ってから読んで欲しいところだ。
だけど、前回の様子からすると止めるのは難しいだろう。
「わーい!」
嬉しそうな顔だ。やはりこの顔がたまらない。目頭が熱くなる。
一ノ瀬はまず、美沙ちゃんの手紙から開封した。
なるほど、ああやって広げるのか。
迷わず広げたってことはコイツも折り方を知っているのかな?
「……高木くん」
読み終わった後の一ノ瀬は少し怯えているようだった。
どういうことだろう?
「美沙ちゃんにはよくお礼を言っておいて」
「え、俺が?」
展開は一緒なのだけど、なぜ俺からお礼を言う必要があるのだろう。
「うん、高木くんから。よろしく!」
本当に、一体何が書いてあったんだろう。
そもそも書いてある内容が過去と同じとは限らないんだよな。
「何が書いてあったの?」
「それは絶対に教えてあげない!」
そこまで言われると逆に気になるな……。
続いて俺の手紙を開封する一ノ瀬。
やっぱり、目の前で読まれるのはどうも嫌な気分だ。
緊張するというか、恥ずかしいというか。
そんな俺達の間に優しい音楽が流れた。
元々流れていた音楽が静かになったおかげで聴こえてきたのだ。
小洒落た喫茶店の一角で、一ノ瀬を見ながら珈琲カップを傾ける。
公開処刑中だけど、目の前に彼女がいることはただ嬉しかった。
「あははは!」
笑うような内容だっただろうか?
「ねえ、高木くん……?」
凄く悪い顔をしている。何を企んでいるんだ。
「いつも我慢してるんだ?」
「い、いやっ、いつもじゃないぞ!」
そこに注目したのか。怖いヤツ。
「でも意外、高木くんって私の身体が目当てだったんだね」
「どうすればあの手紙の内容でそう取れる?」
こうやって話しながらも、瞳は反らさずにいてくれる。
こういうところ、本当に好きだったな。
「あははは! いやー、でも気をつけなきゃいけないのは良くわかったよ」
「それは良かった。せいぜい気をつけてくれ」
その笑顔の眩しさに、むしろこっちの方が目を反らしてしまった。
……照れて真っすぐに見ることが出来ない。
「これは?」
そう言って一ノ瀬はオルゴールの蓋を開ける。
桃色の指輪が顔を出した。
「へー! 高木くんにしては私の趣味わかってるじゃん」
「気に入ってくれたなら良かったよ」
そう言って、迷わず左手の薬指に指輪をはめる一ノ瀬。
何やってんだ?
「ちょっと大きいよ?」
「いや、そこに嵌めると思ってなくて」
好意を持っていない相手から貰っても困るだろう。
そう思っていたけど……。
「えー! 普通、薬指でしょ? 何でよ?」
「あー、まあ、そっちはほら、ちゃんとしたのを今度贈るから……」
良く考えると俺の方がおかしい気がしてきた。
「ふーん、ならいいけど!」
そう言って中指に嵌め直す。
「どお? 似合ってる?」
「ああ、凄く可愛いよ」
嬉しそうな表情がたまらない。でも中指を突き立てるのは駄目だぞ。
「えへへ、ありがとー! 嬉しいよ、高木くん」
気持ちが伝わったようで本当に良かった。
喜んでくれることが、何よりも嬉しい。
「その……、俺にとっては奈津季さんよりお前の方が可愛いからな」
前に気にしていたのを思い出す。あえて言う必要は無かったかもしれない。
「えー、それは嘘でしょ」
「嘘じゃないよ、笑った顔は絶対に一ノ瀬のが可愛い」
俺は人と人を比べるのは好きじゃない。
でも、一ノ瀬にはどこかでこの言葉を言っておきたかった。
「俺にとっては、お前が世界で1番、可愛いからな」
「もう、わかったよ」
少しぐらい照れて欲しいところだけど、いつもの調子だった。
普段から言い過ぎるのは良くないのかもしれない。
けど、コイツは言わないと不安になるタイプだからなあ。
「……引っ越す前の中学校の頃ね」
珍しく、一ノ瀬が自分から過去の話をした。
一ノ瀬は良く話すタイプだが、意外と自分の話をしない。
こんな時は茶化さずに黙って聞かないと駄目だ。
「結構、色んな男子から声かけられたんだ」
なるほど、モテた、という話かな?
でも一ノ瀬らしくない、自慢話をすることがほとんどなかった。
これはどうリアクションすればよいのだろう。
というか、ちょっと嫉妬してしまった。
一ノ瀬に言い寄る男には全員、嫌がらせをしたい。
「まあ、お前は可愛いからな」
「ううん、違うよ。みんな、なっちゃんが目当てだったみたい。
なっちゃんは綺麗で物静かだから話しかけづらかったんだろうね。
だから、私に声をかけてきたんだよ」
将を射んとする者はまず馬を射よ、という言葉がある。
大きな目的を達するには、まず外堀を埋める、ということだったんだろう。
「それはちょっと、許せないな」
「えっ!?」
珍しく怒気をはらんだ俺の言葉に少し驚いたようだ。
だって、一ノ瀬は何かのオマケじゃない。
そもそも奈津季さんに直接行く勇気が無い時点でもうアウトだろ。
「一ノ瀬、そんな男は放っておいていいんだぞ。
自分の好きな人に、直接話しかけられない男なんてカスだ」
「……随分な言い様だね」
思わず言葉が強くなってしまう。
この歳になってから、こんな風に苛々することは滅多になかった。
「俺はそう言うヤツ、嫌いなの!」
「……そういえば、高木くんは最初からなっちゃんより私だったっけ」
この世界では先に出会ったのは奈津季さんだ。
でも、俺はずっと一ノ瀬に逢いたかった。
「一ノ瀬はもっと、自分に自信をもっていいんだよ?」
「えー、それはそれで、なんか嫌な女じゃない?」
まあ、それはそうかもしれないけど……。
「でも、ありがとね、高木くん」
やっぱり、笑った顔は世界で1番可愛いと思う。
時計を見ると、そろそろ皆が展望台から降りてくる時間だった。
「あー、そろそろ行かないとダメか……」
「えっ? もうそんな時間?」
楽しい時間は過ぎるのが早い。
一ノ瀬も同じように思ってくれたのなら嬉しいな。
「ここは奢るよ、先に支度してて」
「いや、悪いよ、出すよ?」
一緒に出掛ける時は大抵、割り勘である。
俺は別に出しても良いのだけど、それだと一ノ瀬が気にする。
でも、今日は駄目だ。
「いいから、たまにはお前の役に立たせてくれよ。誕生日だろ?」
「うー、わかった」
ちょっとむくれた表情も可愛いな。
会計を済ませたら、コートを着て外に出る。
ここに入る時はまだ少し明るかった空はもう真っ暗だ。
「流石に寒いなー」
「みんな夜景見れたかな?」
それなりに良い景色が見えたことは知っている。
でも俺はあの時、俺はお前に見惚れていたんだよ。
「今度さ、人が少なくて夜景が綺麗な場所行こうよ」
「そんなのあるの?」
夜景が綺麗な場所は、割とどこにでもあると思う。
「学校の近くにあるから、帰りに寄っていこう」
「へえー、いいねえ」
有名な場所じゃなくても良い。その方が静かに見れる。
「ねえ、高木くん」
「どうした?」
悪戯そうな笑顔でこっちを見る一ノ瀬。
思わず、期待してしまう。
「こうすれば暖かいよ!」
そう言って一ノ瀬は俺の腕をからめとった。
残念ながら胸の感触は無い。だけど……。
「確かにあったかい」
「えへへー、我慢してたんでしょ?」
言われて残った手で一ノ瀬の頭を撫でる。
「ありがとう、一ノ瀬、本当に嬉しいよ」
「ふふふ、私もね、いっぱい貰ってる。高木くんが居てくれて、嬉しいよ」
そう言って、笑ってくれた。
お前には分からないだろうな。
その言葉が、その仕草が、俺にとってどんなに嬉しい事なのか。
暗くなっていて良かった。涙を誤魔化すのにちょうど良い。
大切な人が傍にいると嬉しい事は2倍になるという。
……でもこれ、2倍どころじゃ済まない気がするぞ。
 




