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たとえ人生をやり直せるとしても俺は同じ過ちを繰り返す  作者: 大神 新
第6章:偽れない本当の気持ち
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第66話:傍若無人な客人に逆らえません

 文化祭が無事に終わった後の週末。この日の授業は午前中で終わりだった。

 テニス部には無事に復帰していたので、こんな日は絶好の練習日和である。

 だが……この日は練習をサボると決めていた。

 最近の俺は練習よりも一ノ瀬を優先している駄目人間だ。


 生徒会室へ行くといつもの顔ぶれが生徒総会に向けて仕事をしていた。

 こちらに顔を出さない日はほぼ無いので、しっかりと皆に挨拶をする。

 そして部活に行くふりをして、校門をくぐり学校の外へ出た。

 いつもの帰り道の途中、河川敷に腰を下ろしてその時を待つ。


「お待たせ、高木くん!」

「おお、早かったな」

 特に待ち合わせの時間は決めていなかった。

 授業が終わった後、自然なタイミングで下校して落ち合うという計画だ。


「何だか、悪い事をしているみたいでドキドキするね!」

 一ノ瀬が楽しそうで良かった。

 なお、俺たちは別に悪巧みをしているわけではない。

 授業もサボっていないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのだ。

 ……まあ、仕事は他人任せにしてしまっているけれども。


「じゃあ、行こうか!」

「うん!」

 そして、ふたりで同じ電車に乗り、同じ駅で降りる。

 通いなれた道を歩いて、自宅へと向かった。


 そう、今日は一ノ瀬が家へ遊びに来ることになった日だ。

 生徒会執行部のメンバーに知られると色々と冷やかされるのは明らかである。

 特に美沙(みさ)ちゃんには何を言われるかわからない。

 そんなわけで一芝居打ったのである。


 家の扉を開けて、一ノ瀬を招き入れた。

 なんだろう、凄く緊張する。


「お邪魔しまーす」

 母には一ノ瀬が来ることを伝えてある。

 もちろん、彼女が人見知りであることも念押ししておいた。

 なので玄関での出迎えは無い。

 俺はそのまま一ノ瀬を部屋まで上げる。


「一応、掃除はしておいた」

「おおー、男の子の部屋ってこんな感じなんだね!」

 なんだろう、この背徳感。胸の奥がゾクゾクする。


 俺の部屋は6畳と広めなのだが、タンスや棚などの家具が多い。

 全て俺のものではなく、家族共通のものだ。

 特に本棚には妹が買った少女漫画がずらりと並んでいる。

 ゲーム用の小さなテレビとソファーベッドがひとつ。

 ソファーベッドは常時ベッドとして使っているので布団は敷きっぱなしだ。

 ……母がちゃんと干してくれているので不潔ではない。


 こんな状況なので、割と手狭に見えるだろう。


「とりあえず、座ってよ」

 テーブルは座卓だ。

 普段、クッションはひとつしかないが、一ノ瀬のために母が用意してくれた。


「えいっ!」

 そう言って一ノ瀬はベッドにダイブした。

 何故だ!?


「お前、何やってんの?」

「えー、だってベッドがあったらとりあえず寝転ぶでしょ!」

 どんな民族だ。


 なお、言うまでもないが、一ノ瀬は制服姿である。

 今日は下にジャージを履いていないので色々と心配になった。


「えへへー、高木くんの匂いがするね!」

「なっ……ちょっ! 待て、落ち着け、いいから座れ」

 なんて恐ろしいことを言うんだ、コイツは。


「えー、やだよー。いいじゃん、別に」

「俺の匂いなんか嫌だろ、とりあえずベッドから離れろ」

 猛烈に恥ずかしい、自分の匂いなんかわからないけど嫌な感じしかしない。


「私、高木くんの匂い好きだよ?」

 な、なんだと!? 落ち着け、ちょっと待つんだ。


「あー、なんか変な想像してない? 別に高木くんは好きじゃないよ!」

 どういうことだ?


「ほら、バニラエッセンスとかいい匂いだけど苦いじゃん。あんな感じ」

 真っ赤になって動揺しまくっている俺に的確な説明をする一ノ瀬。


「いや、俺は苦くないよ!?」

「だから、たとえだって。高木くんは嫌いだけど、高木くんの匂いは好きなの!」

 もう匂いの話はやめてくれ。そんなこと言われるとドキドキするから。

 それにしても……。


「俺のことは嫌いなのか」

 ここまではっきり言われると少しショックだ。


「もう、すぐへこまないでよー。

 嘘だよ、本当に嫌いだったらここまで来ないって!」

 そう言って俺の頭を撫でてごまかす。

 何なんだ、この女は。本当に何を考えているか分からない。


 ――コンコン。


 一ノ瀬は扉のノック音を聞いてすぐにクッションに座った。

 こんな時の行動は素早い。

 そして、急に借りてきた猫のように大人しくなった。


「どうぞー!」

 俺は一ノ瀬の状態を確かめてからノックに声で答える。


「いらっしゃい、お昼作ったから食べて」

 入ってきたのは母である。


「お邪魔してます!」

 一ノ瀬の緊張した様子が痛々しい。


「あらー、本当に可愛い子! ゆっくりしていってね」

 母はそれだけ言って部屋を後にした。


「ナポリタンだー! 美味しそう!」

 ふたりきりになるとすぐに元の一ノ瀬に戻った。切り替えが早い。


 一ノ瀬の好みは知っている。

 母の得意料理だったのでリクエストしておいた。

 これは間違いはないはず。


「とりあえず、食べようか」

「お母さん、美人だねー。なんでその息子がこんななんだろう……」

 なんて酷いことを言うヤツだ。


「美味しいー!」

「それは良かったよ」

 喜んでくれると、こちらまで嬉しくなる。


「高木くんが作ったわけじゃないでしょ?」

「まあ、それはそうなんだが……」

 母のナポリタンは再現できなかったんだよな。

 今度、作り方を教えてもらおう。


「ご馳走様でした」

「じゃあ、食器返してくるね」

 そう言って、空いた皿を重ねて持ち上げる。


「よろしくー!」

 遠慮の無い様子に少しほっとした。

 これは俺の我儘だけど、一ノ瀬には出来るだけ自然体でいて欲しい。


 部屋を出て、台所の母に食器を渡す。


「ご馳走様、ありがとね」

「あの子、凄く可愛いじゃない。お母さん、気に入っちゃった!」

 母は本当に嬉しそうだった。

 うーん、出来ることならちゃんと紹介してやりたい。


 部屋に戻ると一ノ瀬は何かを探していた。


「お前……何をしているんだ?」

「いや、エッチな本とか無いのかな、と思って」

 そんなもの、あるに決まっているだろ。

 ネットで動画とか見れない時代なんだぞ。


「それが出てきたらどうするんだ?」

「一緒に見る?」

 馬鹿なのか、お前は。

 怖い、高校生の一ノ瀬は本気で怖いぞ。


 ……まあ、社会人になってから再開した時も大概だったけどな。

 とりあえず、少し落ち着いて欲しい。


「中学のアルバムとかならあるぞ?」

「えー、いいよ。私、高木くんに興味ないし」

 酷すぎる……。


「じゃあ、漫画読んでいい?」

 それは別に俺の家でなくても出来るだろ。

 ……そんなことを言ったら不機嫌になるんだろうなあ。

 知っているから、好きにしてもらうしかない。


「おー、高木くんって少女漫画も読むんだね!」

「その棚にあるのはほとんどが妹の物だ。まあ、俺も読んでるけど」

 一ノ瀬は興味深そうに本棚を眺めていた。


「ふーん……結構読んだことないのあるなあ。どれがおススメ?」

「んー、この辺りかな?」

 すると、一ノ瀬は3冊ほど持ってベッドの上へ移動した。

 普通に読むのか、まあいいけど。


「ねえ、高木くんは普段何してるの?」

 漫画本を開きつつ、普通に会話をしようとする一ノ瀬。

「ゲームかな、最近はあんまりやってないけど」

 正確に言うと、やる時間がないだけだ。


「うわあっ、暗いね」

「じゃあ、お前は何してんだよ?」

 ゲームをしている人が暗いとか、酷い固定観念だ。

 全ての人に謝らなきゃ駄目だぞ。


「うーん、ゲームかな」

「一緒じゃないか!」


「私はいいの!」

「そうですか……」

 こういった案件に口答えをするのは無意味である。

 大人しく従うしかない。


 しばらくすると漫画に没頭し始めたようで、大人しくなった。

 まあ、これぐらいの我儘はいつものことだ。


 せっかく自宅に来たのに話が出来ない。

 普通なら寂しくなったり、退屈になったりするのかもしれないな。

 けど、俺は一ノ瀬が近くにいるだけで十分だ。

 なんだか、一緒に住んでいた頃を思い出して懐かしくなった。

 あの頃はもっと悠々自適だったな。


 何せ、寝てることが多かった。

 今は起きているだけ、数段マシである。


 再会してから1年ちょっとか。結構な時間が経った気がする。

 それでも、まだ、傍に居るだけで俺はこんなにも嬉しい。


「よいしょ」

 何を思い立ったのか一ノ瀬は突然立ち上がって、俺の隣に座った。


「えへへー、折角だからこっちのがいいよね」

 そう言って寄りかかってくる。またか……、最近多いなあ。

 もちろん、迷惑だなんて微塵も思わない。むしろ死ぬほど嬉しい。

 触れ合っている時間は、幸福で満ちている。


 だからこそ、怖くもあった。

 幸せが大きければ大きいほど、駄目になった時に辛い。

 自分では降りられないぐらい、高い所に登ってしまった気分だ。


「あ、そういえば手紙書いたんだっけ」

「えっ!? それは梨香(りか)宛てのヤツ?」

 だからそこで自分の名前を呼ぶなよ、可愛いな。

 本当にあざとくて嫌になる。でも一ノ瀬はわざとじゃないんだよな。

 それを知っているからこそ、負けてしまう。


 残念ながら、社会人になって再会してからはこの癖は出ていない。

 まあ、残っている方がアレだろうけど。


「俺がそれ以外で書くわけないだろ。忘れない内に渡しておくよ」

 立ち上がって机の引き出しを開けて封筒を渡す。


 受け取った一ノ瀬はしばらく大人しくしていた。

 一ノ瀬が寄りかかりやすいようにベッドに腰を掛ける。

 大人しく隣に座った一ノ瀬は、そのまま封を切った。


「ちょっ!? お前、ここで読む気か?」

「えー、いいじゃん! 家帰ってから読んでも一緒でしょ?」

 いや、全然違いますよ!?

 正直、リアクションとか見たくないし!


 ――シュバッ!


 全力で一ノ瀬から封筒を奪い取る。


「ちょっと! 何で!?」

「頼む、ここで読むな!」

 思い通りに行かなかった一ノ瀬は躍起になって封筒を奪いに来る。

 俺は距離を取ろうと逃げる内に、ベッドに仰向けになって倒れた。


「ふっふっふっ」

 一ノ瀬は不敵な笑みを浮かべて俺の腹の上にまたがった。

 いや、お前の体重じゃ普通に振り払えるからな。


「さあ、渡してよ!」

「嫌だって」

 俺の両手をおさえる一ノ瀬。

 いや、だから簡単に振り払えるんだけどさ、その、温もりがね。


「お兄ちゃん!?」

 何、だと……!? その声に俺は部屋の扉の方へ頭を向ける。


「あーごめん、ノックはしたんだよ。

 そう言えば今日、友達来るって言ってたね……」


 ――バタン!


 閉まる扉の音が強くて怖い。


「あのー、一ノ瀬さん?」

 俺の上で馬乗りになっている一ノ瀬は目をキラキラさせていた。


「あの娘、誰!?」

「いや、どう考えても俺の妹だろ」

 それ以外の女子がここに居る理由が無い。


「いやああああ! 絶対におかしい!」

 一ノ瀬は錯乱した。何故だ?


 その後、しばらくして、ポンと手を叩く。


「ああ……、そういうことだったのか……」

 何を勝手に納得したんだ?


「高木くん、ごめん。私、事情を知らなかったよ」

「どういう意味だ」

 俺にどんな事情があるというのだ?


「だって、あのお母さんだもんね。そりゃ、ああなるよ。

 高木くんとは遺伝子が違うんだよね。ごめんね」

「だから、間違いなく血のつながった兄妹だ!」

 そんな衝撃の事実は無い。


「そうやって真実を知らないまま生きてきたんだよね。

 ごめんね、私が気がつかせちゃって」

 クスン、クスンと目を擦る仕草をする。

 分りやすいウソ泣きだ。


「お前な……」

「あははは! ねえ、妹さん、なんて名前なの?」

 まあ、一ノ瀬も冗談のつもりだったのだろう。


真菜(まな)だよ」

「はー、可愛いねえ。年子だっけ、女子高生って感じだったね」

 まあ、確かにアイツは高校生になって化粧とかするようになったしな。


「お前も女子高生だろうが」

「うん、そうだけど……、やっぱり可愛い子は違うなあ」

 それはいいんだけど、いい加減、俺の上からどいてくれないか?

 マウントの体勢で普通の会話をするっておかしいだろ。


「アレが可愛いか?」

「……本気で言ってるの?」

 どう見ても普通だろ。不細工だとは思わないけど。


「当たり前だろ、お前の方が数百倍可愛いわ」

「高木くん、真菜ちゃんね……、たぶんなっちゃんと遜色ないよ」

 いやいやいや、それは奈津季(なつき)さんに失礼だ。


「はああああ!? そんなわけあるか!」

「悲しいね、兄妹だとそんな風になっちゃうんだ」

 まあ、妹を可愛いとは思えない。これは普通だと思う。


「高木くんが私を選んだ理由が分かったよ。

 身近に可愛い子が居るせいで、美的感覚が分からなくなっちゃったんだね」

 ……他の言葉はいくらでも許せるけど、これは嫌だな。

 俺がお前を選んだ理由なんて、無数にあるというのに。

 

「いいだろう、一ノ瀬。その手紙を読め」

「本当! いいの!?」

 一ノ瀬は手紙を受けとると、やっと俺の上からどいてくれた。

 そして、いそいそと手紙を広げる。くそっ、その表情は可愛いぞ。


「残しておきたい言葉があるので手紙を書くことにしました……」

「お前えええ!」

 全力で叫んだ。

 隣の部屋にいるであろう妹にも届いてしまっただろう。

 本気で申し訳ない。


「何よー!?」

「すいません、許してください、朗読だけは無理です」

 ただでさえ公開処刑なのだ。

 これ以上は止めて欲しい。本気で死ねる。


「もう、しょうがないな」

「あと、3枚目を読んでも怒るなよ?」

 でも伝えたいことは3枚目なんだよな。


「それは読んでみないとわかんないよ!」

「じゃあ、今から謝っておく」

 とりあえず、殴られたくはない。


「余計気になるから、そういうこと言わないで!」

「はい……」


 かくて、俺は正座しながら目の前で手紙を読まれるという絶望を味わった。

 書いたことも渡したことも死ぬほど後悔している。


「あああああ!」

「どうした、一ノ瀬?」

 あまり大きな声を出さないで欲しい、妹に後で何て言っていいか分からない。


「ムカつくのに怒れない!」

 ああ、それはすまなかった。


 一ノ瀬は手紙を綺麗に畳んでしまった後、ベッドの布団にもぐりこんだ。


「どうした?」

 布団を自らに巻き付けて座敷童のような体勢でこっちを見る。


「抱きしめていいよ」

「へっ!?」

 その破格の提案に、思考が追いつかなかった。


「いいから、布団の上から抱きしめて!」

「いいのか?」

 思わず聞き返す。


「いいって言ってるでしょ? 嫌なら帰る」

「待ってくれ、帰るな!」

 仕方なく、布団ごと一ノ瀬を抱きしめる。


 ……感触はほぼ布団だ。

 温もりすら伝わってこない。


「ねえ、高木くん」

「何だ?」

 この体勢になってやっと満足したようだ。

 声色が優しくなった。


「私の事、好き?」

「お前……、その手紙読んで、この状況でそれを聞くのか?」

 こんなに答えが分かり切っている質問はないだろう。


「いいから、答えてよ!」

「好きだよ、この世界で一番好きだ」

 出来るだけ優しい声で、迷わずに答えた。


「そっか」

「そうだよ」

 布団の感触しかしないけど、距離が近いから一ノ瀬の匂いがする。


「えへへ、ばーか!」

「なんでそうなる……」

 しばらくの間、俺達はこの体勢のまま過ごした。

 楽しそうに笑っている一ノ瀬の表情がたまらない。

 ここ最近見た中では最高の笑顔だったと思う――。



 この日は日が落ちる前に、一ノ瀬を駅まで送って帰った。

 その道中は特に変わった様子もない。

 右ひじの袖を握るのはもはや普通の事になっている。

 駅前での別れもいつも通りだ。

 割と期待していたのだが、実にあっけない1日の幕切れとなった。


 自宅に帰って、軽く後片付けをして風呂に入り、歯を磨く。

 さっきまで一ノ瀬が居たのが夢のようだ。

 でも、本当に幸せな時間だった。


 その日の夜、一ノ瀬のPHSに「アリガト」とメッセージを送った。

 そうするとすぐに電話が鳴る。

 ああ、いいなあ、この予定調和。


「電話して!」

 そう言ってくれた一ノ瀬の言葉がたまらなく嬉しかった。


「どうかした?」

「高木くん、そろそろ寝る?」

 会話が上手く繋がっていない。でも良くあることだ。

 気にしても仕方ない、一ノ瀬の問いかけに答えることにした。


「ああ、歯も磨いたし、明日も朝から練習だからな」

「じゃあ、ベッド入るんだね?」

 そう言われて、ドキッとした。

 ああ、ヤバイ、これはもしかして……。


「布団入った?」

「入ったよ」

 出来るだけ冷静に答えた。そう簡単にお前の思惑に乗ってたまるか。


「今、何考えてるか当ててあげようか?」

「お前、これが目的だったな?」

 ……悔しいが、これは抗えそうにない。


「ふふふー、言っていい?」

「ああ、いいよ」

 もういい、覚悟は出来ている。


「私の匂いがするって、喜んでるでしょ?」

「寸分違わず、その通りだ」

 声は冷静だったと思う。でも感情の方はそうじゃない。


 涙が止まらないのは、これが初めてじゃないからだ。

 一ノ瀬の匂いに包まれて眠る……。

 その幸福を、俺は知っている。


 それが、もう二度と叶わないと思っていたから……。

 この幸福が無くなったことを知っていた。


 安らぎと痛みが同居して心が壊れそうになる。

 それでも、一ノ瀬の声が俺を導く。

 そうだよな、どっちを信じるかなんて決まっている。


「なあ、一ノ瀬」

「なあに?」

 きっと、わざわざ言わなくても伝わっている。

 そして多分、一ノ瀬も俺が何て言うか、わかっているのだろう。

 それでも俺は言葉を紡ぐ。


「ありがとう、大好きだよ」

 俺は心を込めて、そう言った。


「ふっふっふっ、そう言うと思ったよ。ねえ、今日は……」

「ああ、お前が寝るまで、いっぱい話そう」


 一ノ瀬の匂いがする布団で、一ノ瀬と話して眠りに着く。

 今日は本当に優しさにあふれた一日だった。

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[一言] この状態でも一ノ瀬ルート入ってないのか!? 読み進めてくうちに段々と高木君に感情移入してしまって辛い=
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