並走する過去 第10話:切なる願い
結局、一ノ瀬さんと話すどころか会うことも無く、文化祭が始まった。
僕の方からも避けているのだから当然だけど……。
同じ学校なのに、ここまで会えないとは思わなかったな。
この日、文化祭執行部の副部長である一ノ瀬さんは本部テントに釘付けだ。
その話を聞いていたから、久しぶりに生徒会室へ行くことにした。
奈津季さんと大場にもその話をしてある。
「高木先輩!」
真っ先に声をかけてくれたのは久志君だった。
「おはよう、久志君」
「おはようございます!」
今日も元気で爽やかだ。
「文化祭、楽しんでる?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
ちょっと心配な返事だった。
ひとりで生徒会室に居たのに大丈夫かな?
「クラスとか行かなくて良かったの?」
「今日は高木先輩が来るって聞いていたので待ってました!」
久志君は嬉しそうな顔をしている。
「えっ、どういうこと?」
「色々と聞きたいことが溜まっていたんですよ」
そう言って、大量の資料を見せてきた。
うわ、凄いな、やる気十分だ。
久志君にならこの先も任せられる気がする。
でも、せっかくだから仕事の話じゃなくて文化祭を楽しんで欲しい。
「おはようございまーす!」
元気な声で入ってきたのは美沙ちゃんだ。
「高木せんぱーい、待ってましたよ!」
そう言って、隣に座る。
今日は珍しく髪を下ろしていた。
結構長いんだな、こっちの髪型も良く似合う。
「どうしたの? 美沙ちゃんも何か聞きたいことあった?」
「いえー、私は別に。それよりたまにはお話しましょうよ」
うーん、やっぱりちょっと苦手だな。
お話と言われても僕には面白い話なんかない。
「それは構わないけど……」
「最近、部活はどうですか?」
あ、これはちょっと嬉しいな。
生徒会執行部のメンバーでそれを気にしてくれる人はあまりいない。
「うん、調子いいよ。やっぱり毎日打ち込むと違うね」
「それは良かったです!」
話を聞いてくれるのが嬉しくて、ついついしゃべり過ぎてしまった。
「で、先輩はいつ戻ってくるんですか?」
まるで待ってくれているかのように話す美沙ちゃん。
苦手だと思っていたのに、いつの間に乗せられていた。
うーん、本当に後輩なのかな? 僕よりよっぽど大人だ。
「それは……、文化祭が終わったらと思っているけど」
「本当ですか? じゃあ、これから毎日来てくれるんですね!」
そう言って喜んだのは美沙ちゃんではなく久志君だった。
「あー、私が話してたのに!」
「ごめん、でも僕も聞きたいことあって」
「まあまあ、午前中はやることないから、いくらでも付き合うよ」
1年生同士も仲が良さそうで良かったよ。
なんだか、凄く嬉しいな。
午前中は結局、ふたりと話していたら終わってしまっていた。
せっかくの文化祭だけど、やっぱり生徒会室にいると安心できる。
本当に、居心地が良い場所だ。
午後は自分のクラスで受付を担当した。
出し物はお化け屋敷だ。
部活の合間に内装の手伝いをしたけど、やっぱり僕の作業は少ない。
代わりに初日の午後と2日目の午前中をまとめて引き受けた。
これぐらいしか、僕がクラスメイトのために出来ることは無い。
初日はそのまま生徒会室に寄ることもなく、家に帰った。
遅くなると一ノ瀬さんが生徒会室に戻ってくるかもしれない。
都合、僕はまだ皆が頑張って仕事をしている間に家路に着く。
文化祭執行部ではないといっても、背徳感が強かった。
家に帰ってもやりたいことなんてないのに。
なんだろう、僕は何がしたいんだ。
こんな自分に成りたいわけじゃない。
だけど何をしたらいいのか、わからなかった。
――文化祭2日目。
クラスメイトとの約束通り、午前中を受付業務で費やした。
結局、知り合いは誰も来なかったな。皆、忙しく働いているのだろう。
午後はやることが無かった。
いっそのこと帰ろうかと思ったけど、やっぱり生徒会室に行こう。
どうせ帰ったところで僕にはやることなんてないんだ。
「おはようございます」
そう言って中に入ると麻美ちゃんと奈津季さんがいた。
「おはよう、高木君」
「おはようございます、高木先輩」
ふたりから挨拶のお返しを貰えた。
当たり前の事だけど、今は凄く嬉しいと感じる。
やっぱり、僕はここに居たい。
「ふたりとも、せっかくだから回ってきたら? ここは僕が対応するよ」
「気にしないでいいよ、私は去年、梨香ちゃんと回ったし」
そう言って奈津季さんはマグカップを傾けていた。
まあ、それならいいのだけど。
「高木先輩! お願いがあるんです!」
麻美ちゃんが妙に前のめりで頼んでくる。
ちょっとビックリした。
「私にブラインドタッチを教えて下さい」
「えっ、何で?」
提案の内容に少し驚く。
「私、奈津季先輩ほど字が綺麗じゃないから……」
それは確かにそうなのだけど、奈津季さんと比べるのは酷だと思う。
「麻美ちゃんの字も十分綺麗だと思うよ」
この言葉は本心だ、麻美ちゃんも達筆という領域に入っている。
「でも、やれることはやっておきたいんです!」
真面目だなあ、でもこういう考え方はとても好きだ。
「別に他の日に時間とってもいいんだよ?」
「いえ、私も昨日ちゃんと回ったので大丈夫です!」
麻美ちゃんがそう言うのなら、良いかな。
それに、一ノ瀬さんの件が上手くいかなかったら……。
僕はこの先もしばらくここに来れないかもしれない。
そう考えると良い機会なのかな。
「じゃあ、早速やってみようか」
「お願いします!」
僕はワープロを取り出して、キーボードの配置を説明した。
「まずは左手の人差し指を『F』、右手の人差し指を『J』に置いて」
ブラインドタッチを習得するのに必要なのはとにかく打つこと、じゃない。
それぞれのキーに対応した指を覚えることだ。
「そこがホームポジション、あとは各指の割り当てを覚えて。
ゆっくりでいいから、1文字打ったらホームポジションに戻すように」
「わかりました!」
そして、大事なのが最初はスピードを求めないこと。
「下を見ないように、画面だけ見て」
「はいいい!」
慌てる麻美ちゃんが可愛かった。
「大丈夫、ゆっくりでいいし、間違えたらやり直すだけだから」
確認するのはいいけど、文字を打つ時は前だけをみる。
多分、こういう練習をしないとブラインドタッチは出来ないと思う。
練習方法はいろいろあるだろう。
流石に何が効果的だ、とは言えないけど。
少なくとも僕は、どうすれば出来るようになるのか本を読んで調べた。
努力は、ただすれば良いものじゃないと思っている。
どこかに効率的な方法があるはずだ。
闇雲に何かをし続けるのは時間の無駄だと思う。
麻美ちゃんに一通り説明したら、結構な時間になってしまった。
文化祭も、もうすぐ終わりだ。このあとは後夜祭が始まる。
生徒会室に皆が戻ってくる前に僕は帰り支度をした。
「じゃあ、また今度ね」
そう言って生徒会室を後にする。
下駄箱で靴を履き替えて、昇降口から外に出た。
昼間はまだ暑いけど、夕方が近づくと空気がひんやりとしている。
風が少し冷たい、秋の空が綺麗な青色をしていた。
一ノ瀬さんと一緒に下校出来た頃が懐かしく感じる。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
彼女のことを考えると、ただひたすらに胸の奥が痛んだ。
少し歩くと、校門の方向にある本部テントが見えてくる。
覗くつもりは無かった、でも中に一ノ瀬さんと中森の姿が見えた。
その瞬間、凍り付く。
笑いあっているふたりはまるで恋人同士のようだった。
今まで、そんな姿は何度も見てきたはずなのに……。
嬉しそうに笑う一ノ瀬さんの気持ちを考える。
きっと僕が彼女と話す時と同じなんだろう。
好きな人と一緒に居る時間は大切だ。
僕が立ち入っていい世界じゃない。
思わず立ち尽くす。
悲しい気持ちで心の中が埋め尽くされていった。
この感情をどうやって処理したらいいか分からない。
「高木君?」
声をかけてきたのは奈津季さんだった。
本部に何か用があったのかな?
振り返ると、心配そうな表情をする。
僕は一体、どんな顔をしていたのだろう。
「大丈夫、何でも無いよ」
何事も無かったかのように答える。
感情を押し殺して笑顔を作った。
大丈夫だ、自分にそう言い聞かせる。
「少し、話さない?」
奈津季さんは寂しそうな顔でそう言った。
「ああ、うん……」
校門に向かうにはテントの脇を通る必要がある。
今は近寄りたくない。だから彼女の言葉に従って後に続く。
小高い丘の上にある川場高校のグラウンドにはスタンドが設置されていた。
スタンドはグラウンドと校舎の高低差を埋めるように幅広く作られている。
その上を奈津季さんに続いて部室棟の方へ向かって歩いた。
部室棟の裏手につながる道の手前はほとんど人通りがない。
グラウンドが一望できるスタンドの一番端で奈津季さんは腰を下ろした。
ポンポンと隣の席を叩く。その仕草はなんだか一ノ瀬さんに似ている気がした。
僕は素直に彼女の隣に座る。
「辛いんでしょ?」
思い切り見透かされていた。
なんて答えていいか、わからない。
「無理して仕事しなくても良いんだよ?」
違う、仕事をするのは無理じゃない。
久志君や美沙ちゃん、後輩と話す時間も楽しかった。
「高木君がそうしたいなら、もう生徒会室に来なくても……」
気持ちがわかってもらえなくて、悲しかった。
こんな時、一ノ瀬さんだったら……。
「一ノ瀬さんと、話したい」
僕の頭の中は、それだけでいっぱいだった。中森が羨ましい。
それだけじゃない、生徒会室にいる皆が羨ましい。
どうして、僕だけが話せないのだろう。
彼女の事を好きだから……話せないのかな。
話したいと思うから、話せない。
どうしたら、話したいと思わなくなれるんだろう。
「高木君……」
「生徒会室に居たい、皆との繋がりが欲しい」
あそこは、僕にとって居場所のようなものだった。
「ごめん、でも、僕のせいで皆が嫌な思いをするのなら。
一ノ瀬さんが嫌がるのなら、もう、行くのを止めるよ」
そう言って、立ち上がった。
もういい、今日は裏門から出て走って帰ろう。
そうすれば、少しは気持ちも晴れるかもしれない。
「待って!」
立ち上がった僕の手を奈津季さんが掴んだ。
彼女が大きな声を出すのは珍しい。僕は少し驚いた。
「そんなつもりで言ったんじゃないの……」
うつむかないで欲しい、奈津季さんは何も悪くない。
悪いのは僕だ。身の程知らずに一ノ瀬さんを好きになってしまった。
それがきっと、全部悪いんだ。
その時、グラウンドに火が灯された。
校内放送が、文化祭の終了を告げている。
さっきまで青色だった空は、茜へと変化し始めていた。
もうすぐ、夕暮れの時間だ。
「へえ、後夜祭ってキャンプファイヤーやるんだ」
「あ、うん、去年は北上先輩も来て、皆でフォークダンスを踊ったんだよ」
そうだったのか。僕はその前に帰ってしまったから知らなかった。
神木先輩が今の僕を見たらどう思うだろう。
……最悪だな。
ある意味、決別しておいて良かったのかもしれない。
みっともない所を見られずに済んだのだから。
そんな風に思う僕は、やっぱり最低だ。
「もう、自己嫌悪したくないって思ったのにな」
駄目だった。上手くやれなかった。
僕はいつも後悔ばかりしている。
「高木君、嫌じゃなかったら明日から普通に生徒会室に来てよ」
「うん、そのつもりだったけど……」
今は、どうしていいかわからない。
「一ノ瀬さんは今頃、笑っているのかな?」
他の誰かと笑う一ノ瀬さんを見るのが、辛いだなんて。
みっともなくて、身勝手で恥ずかしい。
でもさ。もう否定出来ない。僕は駄目な人間なんだ。
心が痛んで涙があふれた。
「行ってくれば?」
今、テントに行けば一ノ瀬さんが居るだろう。
会いに行くことは簡単に出来る。
でも、それは出来ない。
「行かないよ」
奈津季さんに向き直って言った。
心配させないように笑ったのだけど、涙は止まらなかった。
「何で?」
「一ノ瀬さんの邪魔をしたくない」
彼女が幸せならそれでいい。
本当は僕が幸せにしてあげたいのだけど。
僕にはどうしてもそれが出来ない。
彼女を幸せに出来るのは、彼女を好きな人じゃない。
彼女が好きな人、だ。
僕に出来る事はただ、祈るだけだ。
痛みに心が押しつぶされて、涙が溢れてくる。
出来ることは我慢することだけ。
こんなの、もう何度も経験してきたじゃないか。
願いは叶わない。そんなのはいつものことだ。
「馬鹿だね」
奈津季さんは、そう言って僕を抱きしめてくれた。
心配になるぐらい華奢な力だった。でも凄く暖かい。
透き通ったような良い匂いがする。奈津季さんの匂いだ。
一ノ瀬さんとは違う。彼女はもっと、甘くて……優しい匂いだ。
「高木君は本当に梨香ちゃんが好きなんだね」
昂った感情をなだめるような声色でそう言ってくれた。
見透かされて、情けない気持ちでいっぱいになる。
でも、胸の奥から湧き上がってくる感情は一つだ。
「ああ、好きだよ。好きなんだ……」
結局、僕にはそれしかない。
一ノ瀬さんが、どうしようもないぐらいに好きだ。
この想いは報われることがない。
僕はそれを理解しているはずなのに、彼女を好きでいることを止められない。
こんな自分が嫌で仕方なかった。
それでも僕は願う。
上手くいかなくても良いんだ。
ただ、せめて、一ノ瀬さんのことを好きでいさせて下さい。
 




