並走しない過去 第10話:器用貧乏なシステムエンジニア
「高木君、そっちはどう?」
俺は今、エンジニアとして客先の工場で新システムの導入対応に追われている。
一ノ瀬との決別から15年が経っていた。
声をかけてきたのは同僚の先輩エンジニアだ。
「問題ありません、後はそっちのバグ修正ですね」
言葉を返して先輩の方に向き直ると、食い入るようにPCのモニタを見ていた。
今回の仕事の担当は、ほとんど先輩エンジニアの領分。
俺は「火消し役」として抜擢され、今回の出張作業に立ち会うことになった。
先輩とは入社年度で10年近く違う。
言ってみれば大先輩なわけだが、残念ながら役職は俺の方が上だ。
こういう風に話すと、俺が優秀なエンジニアだと聞こえるかもしれない。
でも、実際には違う。技術力では先輩の方が上だ。
「あとどれぐらいかかりますか?」
心配そうに声をかけてきたのは客先の担当者。
そうだよな、俺たちが作業を終えないとこの人も帰れない。
「申し訳ありません。概ね確認作業は終わったのですが……。
一件だけ不適合が残ってしまいました」
こういう時にきちんと対応するのは俺の役目だ。
先輩はエンジニア……というよりはプログラマーだ。
客先との折衝や交渉はまるで出来ない。
技術力はあっても役職が上がらない理由はこういうところにもある。
上司に状況を説明するのも下手だ。
間違ったことは言って無いのに、説明には筋が通っていない。
いくら技術職と言っても、最低限のコミュニケーションは必要だ。
それが出来なければサラリーマンとしてはやっていけない。
厳しいが、これは現実だ。
客先に事情を説明して作業時間を3時間程延長してもらった。
これで21時までは大丈夫。
昔だったら徹夜なんてこともあったけど、今はそんなの許してもらえない。
「先輩、終電は何時ですか?」
食い入るようにPCのモニタを見る先輩はこちらを見ない。
そして返事もない。
わかっている、こういう時に夢中になる人こそ凄い人だ。
「先輩!」
肩に手を当てて声をかけなおす。なるべく優しい声を出したつもりだ。
「あ、ごめん。ごめんね」
ああ、もう何で謝るかな。貴方が悪いと決まったわけじゃない。
PCのモニタから目を離した先輩はやっとこっちを見てくれた。
「明日、娘さんの誕生日でしたよね? 何時なら帰れます?」
「19時半……、ちょっと無理だねえ」
肩を落として、先輩はそういった。
無理? 何を言っている、無理なことなんかない。
新幹線に乗れば帰れるんだ。
「後は俺がやっておくので帰って下さい」
「いや、だって……」
俺は引かない。こういう時は目を反らさず、瞳で意思を伝える。
「俺が何とかします。だから、娘さんのために帰って下さい」
逡巡する先輩を追い詰めるように言う。
「大丈夫ですよ、俺は優秀ですから」
そう言って笑う。もちろん、嘘だ。
俺は先輩のようにシステムを熟知していない。
先輩は少し迷ったような顔をして、言葉に詰まった。
そりゃそうだ、きっともう覚悟は決めていたはず。
昔だったら、それが当たり前だと冷徹に作業を始めていたかもしれない。
滅私奉公、日本企業の古い考え方だ。
「娘さんの誕生日は、明日だけですよ」
今はワークライフバランスという言葉がある。
少しずつだけど考え方は変わってきているんだ。
仕事のために生活を犠牲にすることは必ずしも正しいことではない。
「すまない、高木君……」
俺の言葉を受けて先輩は渋々だが帰り支度を始めた。
「いいんです、俺は独身貴族ですし、気にしないでください。
ただ、俺の分も家族サービスしてくださいよ」
言っておくけど、俺は聖人君子ではない。
これで失敗した時、俺は卑しくも余計なことをしたと後悔するだろう。
でも先輩が家族と楽しそうに笑っている姿を想像する。
俺にはもう、自分を犠牲にしてまで守りたいものなどない。
だから、たまに誰かのために生きたいと思ってしまう。
これは気まぐれな自己満足だ。
短い時間で先輩から必要なソースコードデータと仕様書を受け取った。
先輩を見送る時間はないので客先に説明をしたらさっさと作業に入る。
――我ながら何をやっているんだか。
残り時間は2時間半。これで決着つけなきゃ多分、問題になっちゃうだろうな。
覚悟は出来ている。自分で選んだ道だ。
俺が責任を取って降格しても多少、給料が下がる程度。
生活に困ることはない。
そもそも俺は、過去に起こした下らない事件で出世コースから外れている。
定年まで勤めても恐らく管理職になることはないだろう。
自称、優秀なエンジニアはどんなに努力したって良く回る歯車になれるだけだ。
作業を開始してから1時間。バグ修正の糸口は見えなかった。
振り返ると客先の担当者がこっちを見ている。あー、これは申し訳ない。
俺が手こずった分、あの人にも迷惑をかけるし先輩を帰した責任も増えるな。
実をいうと勝算は五分五分だった。
そんな博打に出れるぐらい、俺は自分の将来に頓着がなかったのだ。
駄目なら駄目でもいい。
それでも先輩が娘の誕生日を祝えるということが尊いことだと思った。
いいなあ、ネズミの国、もう十年以上も行ってないよ。
余計な思考に絡めとられながらも、なんだかんだと俺は検証を続けていった。
システムの詳細な仕様は俺の頭には入っていない。
ただ1号機と2号機があって、同様の仕様なのに2号機だけが正常に動かない。
それが現状だ。1号機が問題なく、2号機でうまく動かない理由。
ソフトウェアの単純なミスは除外していいだろう。
先輩があそこまで必死に確認していたのだ。
アレで見つからないようなミスがあったらもう諦めるよ。
一番現実的なのはソフトではなく、ハードウェア的な要因。
もちろん、それをソフトから追えるのが一流のエンジニアだろう。
先輩が定年間近まで役職が上がらなかったのはそういう一面もある。
が、堅実なソフトを組むという面では定評があったのも事実。
悪いところを見て馬鹿にするのは簡単だ。
けれど、良いところを見出して尊敬するのは難しい。
本能的に人は他人を見下したがる。それは俺自身も例外じゃない。
思い出す、いつか言われた言葉。
「高木くんはさ、間違いを見つけて正すことが出来る人かもしれない。
でも、もっと人の良いところも見た方がいいと思うよ。
間違っていることは別に悪いことじゃないんだから」
有難い言葉だった。
さらに30分程検証して、違和感に気がつく。
1号機と2号機、とあるスイッチが原因で致命的に動作が変わる。
それぞれ交互に操作してみてわかったことだ。
――そういうことか!
ある可能性に気がついた。
……スイッチの接点仕様が違うのではないか、と。
慌てて電気図面を参照する。
俺が会社から「火消し」扱いを受けるのはこういう一面にある。
ある程度の図面は読めるし、書ける。
該当のスイッチを調べると、ここだけ1号機と2号機で型式が違う。
これ、図面から間違ってないか?
出荷試験を通過していることから、かなり怪しい。
ひとまず原因は判明した。
続いて対処に入る。
客先担当に確認したら、やはりスイッチの型式が間違っているようだ。
幸いにして、同型のスイッチは予備があった。
持参してきた工具箱から必要な工具と配線資材を取り出す。
俺が会社から「火消し」扱いを受けるのはこういう一面にもある。
ある程度の作業なら、自分で出来る技術と資格を有しているのだ。
装置の電源を落として、スイッチを交換した。
念の為に短絡が無いことを確認した上で、装置を再起動し動作をチェックする。
俺には何の才能も無い。不器用だし、運動神経も無い。
外見も悪いし、歌も下手だ。加えて最近は身体から加齢臭がする。
……いやまあ、自分では良く分からないけど。
そんな俺に、人より優れた所があるとすれば。
それは努力をすることは嫌いじゃない、ということだ。
だから頑張れば大抵のことは出来るようになる。
この「器用貧乏」が俺の唯一の才能だ――。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
「いえ、無事に終わったようで何よりです」
そういう客先担当者の左手薬指には指輪が光っていた。
「ありがとうございます。……ご家族にもご迷惑をおかけして申し訳ないです」
こういうことは声に出して言った方が良い。
「あ、いえ。気にしないでください。残業代もでますから」
そういって担当の方は笑ってくれた。
言葉のやり取りがお互いの気を紛らわせることもある。
上司に連絡して帰路に着く。当然、終電は無いので宿をとることにした。
上司ともある程度の人間関係は築いていたので大きな問題になどならない。
先輩の件もきちんと話しておいた。……ちょっと咎められたけど。
結局、俺も先輩と一緒に帰ったことにしてもらった。
翌日は出勤時間に間に合わないので有給休暇とする。
都合、今日の宿泊費は自腹だ。
けど明日一日、こっちを観光出来ると思えば悪くない。
……独りの時間は確かに寂しい。
けれど、一ノ瀬が居なくなってからもう15年だ。
辛い時間よりも、そうでない時間のが増えた。
どうしても寂しい時は素直に彼女を思い出す。
そして少しだけ涙を流せば、スッキリと明日を迎えられる。
俺も少しは、大人になれたのかな。