第62話:誰にでも異性に興味が湧く時がある
文化祭の準備は問題なく進んでいた。
中森の議事進行はたどたどしいけど、一ノ瀬が良くフォローしてくれる。
大場や奈津季さんも去年の経験を活かしてよく動いていた。
全体の予定表については俺が吉村先輩から聞いてまとめてある。
会議の度に進捗を確認して塗りつぶしているので問題はない。
過去の世界で、俺は文化祭にほとんど関わっていなかった。
もちろん、予定表も作っていない。
今回の努力は全て、未来を変えるために行ったことだ。
だが、ここまでしても一ノ瀬が困っているというシーンには遭遇出来なかった。
もしかしたら、その状況はすでに防いでしまっているのではないだろうか。
日々は順調に進んでいるようにしか思えない。
「ごめん、高木くん! 今日は歯医者で早く帰らないといけないの」
生徒会室に入るなり、一ノ瀬に声をかけられた。
「それは謝らなくていい案件だろ。気にしなくていいよ」
もしかして……これを言うために待っていてくれたのか?
本当に、携帯電話が無いと言うのは不便である。
「うん、わかった! 明日は手伝うから」
「どっちかっていうと俺がお前を手伝っている状況だけどな」
予定は俺が立てているが、細かい業務は一ノ瀬の方がよく把握していた。
「あははは! それじゃ、またね」
そう言って一ノ瀬は帰っていく。……少し寂しい。
「あれ、今日は梨香ちゃんと一緒じゃないの?」
「おはよう、奈津季さん。一ノ瀬は歯医者だってさ」
しばらくすると、続々と生徒会室に文化祭執行部のメンバーが集まってきた。
「ああ、そうなんだ、寂しいね」
「いやまあ、奈津季さんが居れば俺は嬉しいよ?」
いつも通りの軽口でごまかす。
「あー、はいはい。じゃあこっち手伝ってよ」
相変わらずの塩対応だった。
奈津季さんの仕事を手伝ったら、他に忙しそうなところ探す。
「中森、会長印を押すの手伝うよ」
「おー、悪い、頼む」
ひとりで大量のポスターに文化祭執行部長印と生徒会長印を押すのは大変だ。
片方を手伝うことにした。
「最近、梨香さんとどうよ?」
「いやー、それが何にもないんだ」
別に仲が悪いわけではないので、この程度の会話は普通にする。
中森の方も特段、一ノ瀬と何かがある様子ではなさそうだ。
「それ、大変そうですね……」
こっちを見た正樹君がぼそりと呟いた。
「来年は正樹君の番だぞー!」
「止めてくださいよ、俺が会長って決まったわけじゃないでしょ」
正樹君にも、そういう葛藤ってあるのかな?
少し意外だった。
「そっか。確かに正樹君には少し荷が重いかもしれないね」
もちろん、本心ではない。少し発破をかけただけだ。
彼はこう言われた方がやる気になる。
「……高木先輩って時々、意地悪いですよね?」
「一ノ瀬ほどじゃないだろ?」
アイツはもっと酷いプレッシャーをかけそうだ。
「いえ、何か似てますよ、おふたり」
似ているかなあ? どっちかというと真逆だと思うのだが。
俺はとっても優しい先輩だぞ。
「よし、終わった!」
「お疲れ様ー」
声をかけてくれたのは大場だ。
「大場、久しぶりにラーメン食べて帰らない?」
「ごめん、今日は家で食べないといけないんだ」
くっ、たまには男同士で熱く語りたかったのに!
……例のごとく、割とどうでも良い話だけど。
「あの、高木君!」
「どうしたの、奈津季さん?」
何だか、妙にキラキラした目をしている。
これは……いつものパターンか!
「私、1回でいいからラーメン屋さんに行ってみたかったの!」
「いや、女子が行くようなところじゃないよ?」
多分、こう言っても聞かないんだろうなあ。
「お願い、ひとりじゃ絶対に行けないし!」
「まあ、そこまで言うのならいいけど。自転車はどうするの?」
駅の方に向かうと奈津季さんの家は遠くなってしまう。
「今日は学校において行くよ、電車でも帰れるし」
「そっか、じゃあ一緒に帰ろうか」
ここまで言われて断る理由はなかった。
「宜しくお願いします!」
おお、嬉しそうだ。奈津季さんの笑顔は貴重である。
というわけで、ふたりで生徒会室を後にした。
そういえば、奈津季さんとふたり並んで歩くとか初めてかもしれない。
「なんか、ちょっとドキドキするね」
「えっ!? どういうこと? 俺、何かした?」
奈津季さんらしからぬ台詞にちょっと戸惑った。
「いやー、私、実は男子とこうやってふたりで歩いたの初めてなんだ」
う、嘘だろ……。こんなのマジで天使じゃないか。
「まあ、拓斗とか大場君とかと校舎歩くことはあったけど。
一緒に下校するってなるとねえ……」
まあ、自転車通学だとそうなるよな。
それにしても、初めての相手が俺でいいのだろうか。
ああ、ヤバイ。この表現は興奮してしまう。
「いいなー、梨香ちゃんとはよく一緒に帰ってるんでしょ?」
「いや、まあ、そうだけど……。羨ましがるようなものではないですよ」
特別な事はないし、手を繋いでいるわけでも腕を組んでいるわけでもない。
「羨ましいよー、好きな人と一緒に帰っているわけでしょ?」
「そう言われると……」
その通りである。
本音を言えば、俺は一ノ瀬との下校時間を泣くほど喜んで大切にしている。
「俺は嬉しいけど、アイツはどう思っているのやら」
「ふふ、梨香ちゃんは何考えてるか良くわからないよねー」
俺よりも付き合いが長いはずの奈津季さんですら、この調子だ。
「……ねえ、高木君。私、右側だとちょっと落ち着かないかも」
つい、一ノ瀬と同じように扱ってしまった。
人によって違うから難しいよね。
「はい、じゃあこっちにおいで」
そう言って場所を交代する。俺としても左側に居てくれた方が落ち着く。
……でも、一ノ瀬の場合は右側だな。
なんていうか、今ではその方が自然だと感じるのだ。
曲がり角で車道を渡って位置関係を修正する。
変に気にするのも恰好悪いと思うけど、車道側を歩かせたくはない。
「梨香ちゃんとはいつもどんな話してるの?」
「……記憶にない、多分すごく下らない話をしている」
しかも、大半は俺が一方的に喋っているという始末だ。
人に言えるような話はほとんどない。
「それは酷いなあ。ちゃんと覚えててあげなよ」
「いや、無理だよ、会話が多すぎてさ」
仕事の話や、クラスメイトの話なんかもしたっけ。
でも一番多いのは遊びに行ったときの話かな。
「へえ……、そんなに話してるんだ?」
「まあ、それなりに……」
今日の奈津季さんはよく話すなあ。
「手とか繋いでる?」
「あー、アイツは手を繋ぐの嫌いなんだよ」
それを知っているから、やり直しの世界では頼んですらいない。
「そうなんだ」
「それに! 俺と一ノ瀬は付き合ってないからね」
さも当然のような流れになっているが、前提が間違っている。
「まあまあ、いいじゃない、そこはどっちでも」
女の子の感性ってこんな感じなのか?
「な! 何してるの……?」
「あ、いや、空いてたから」
何を思ったのか、奈津季さんは俺の左腕を掴んで来たのだ。
彼女の右手がわき腹の横に回り込んでいる。
俗にいう、腕を組むというヤツだ。
「その、それって……手を繋ぐよりハードル高いヤツなんですけど」
「へー、そうなんだ。こんな感じなんだね」
うーん、どうも単純に異性に興味があるだけのようだ。
俺で試さないで欲しい。そんなに慣れていないんだ。
「梨香ちゃんにして欲しかった?」
もちろん、して欲しい。けど、そう答えるのも悪い気がする。
どうにも、奈津季さんと話す時はどこを見て良いかわからない。
俺と奈津季さんの間には、そこそこの身長差がある。
そのせいで、奈津季さんが話す時は自然と上目遣いになるのだ。
これが凄い破壊力を生んでいる。
「やっぱり、私じゃ嫌かな?」
これ、どう答えたらいいんだろうか。
こんな経験は一切なかったから良くわからないな。
だが、俺の方が大人だ。ここは上手く切り抜けて見せる。
「いや、普通に嬉しいよ、だって奈津季さんだし」
「本当!? 良かったー」
そう言って俺の左腕を引き寄せる。
いや、それはちょっと待ちたまえ!
「奈津季さん……?」
あの、胸が当たっているんですけど。
ヤバイ、これは身体が反応してしまう。
俺は一体、何をされているんだ。
「いいなあ、恋人同士ってこうやって歩くんだね」
「いや、俺たちは恋人同士じゃないだろ?」
おかしいな、さっきまで普通に歩いていただけだったのに。
「だから、気にしないでよ。嬉しいんでしょ?」
「それはそうだけど!」
どうしよう、花火大会の時のことを思い出してしまった。
「梨香ちゃんに悪いとか思ってる?」
それは、どうなんだろうか。
アイツはきっと……何も感じない。
俺と奈津季さんが腕を組んで歩いていたとしても平気な顔をしているだろう。
逆に、俺は中森と一ノ瀬が腕を組んで歩いてるのを見たら、嫉妬する。
頭で理解しても、嫌な感情が胸を支配するのは間違いない。
そして、その感情にどこかで折り合いをつけようと必死になる。
情けなくて、みっともない男だ。
「そんなことないよ、俺はアイツの彼氏じゃないんだし」
悲しいけど、こう答えるしかない。
「ふーん、梨香ちゃんも勿体ないことをするねえ」
そう言って、奈津季さんは手を離した。
ほっとする反面、あの感触が無くなるのは惜しい。
一ノ瀬が何を考えているのか良くわからないは昔からだ。
だけど……割と奈津季さんも何を考えているのかよくわからないな。
要するに俺は、女子の気持ちがまるで解らないということか……?
ちょっと自信を無くしてしまうよ――。
「おお! 凄い、ラーメン屋さんだ!」
何故か道中に色々とあったが、無事に目的地に到着することが出来た。
「今日はちょっと混んでるかな、テーブル空くまで待とうか?」
「いや、いいよ! 私、カウンターで食べたい」
そう言って、髪の毛を上手にまとめてゴムで止めた。
本気度が凄い。
しかし、こんな美人を連れてラーメン屋に入るのは緊張するな。
入口をくぐった瞬間の視線が怖い。
石とか投げないでくださいね。
「おすすめはとんこつ味だけど、ニンニクとか大丈夫?」
「大丈夫! よくわからないから高木君と同じのにする!」
凄いキラキラした目で文字しか書いていない殺風景なメニューを見ている。
「すいません、ラーメンふたつ、味濃いめ、麺硬めで!」
「はいよー!」
高校生的にはラーメンも割と高級品である。
たまにしか来れないのでこっちもテンションは高めだ。
「ラーメン屋さんってこんな感じなんだね!」
奈津季さん、ここはそんなにハードルが高い店ではないぞ。
……しかし、女子高生がひとりでラーメン屋は確かにないか。
「はい、お待ち!」
「はやっ!」
驚く奈津季さんが可愛い。
ラーメン屋と牛丼屋の配膳は恐ろしく早いのだ。
特に今回は麺硬めで頼んでいるしね。
「じゃあ、いただきます」
割り箸を奈津季さんに渡してあげたら、さっそく食べる。
やはりラーメンは正義だ。
「美味しい!」
レンゲを使って上品に食べる辺り、流石に女子だなあ。
喜んでくれたみたいで良かった。
「替え玉下さいー!」
折角なのでおかわりした。
「そう言えば、高木君、夕飯はどうするの?」
「普通に食べるよ?」
母親には特に食べて帰ると伝えていない。
「えっ!?」
「男子高校生の食欲をなめてはいけないのだよ」
運動部に所属している都合、どれだけ食べても太らなかった。
2杯目なのでカウンターに置いてある刻みニンニクと焙煎タレを追加。
味が変わるのでこれもまた楽しい。
「何それ?」
「ああ、入れると味がちょっと変わるんだよ。
ニンニク強いから女子は止めた方が……」
止めるのも聞かず、奈津季さんは果敢にも同じように追加した。
「わー、こっちも美味しい。
でも確かに、これは凄い匂いになっちゃいそうだね」
うーん、可愛い。
これは周囲の人たちも奈津季さんに惚れてしまいそうだ。
美人が美味しそうにラーメン食べるとか、ギャップが凄い。
「ごちそうさまでしたー!」
無事にラーメンを食べ終えたら、さっさと店を出る。
こういうお店は回転が大事だから、長居するのは悪い。
外に出ると、空は暗くなり始めていた。
少しずつ日が短くなっていくのを感じる。
「500円でいいよ」
「えっ? 悪いよ。ちゃんと払う」
差額は200円、そんなに気にしないで欲しい。
「いいのいいの、ひとりだったら多分来なかったし、付き合ってくれたお礼」
「そう? じゃあ、甘えちゃおうかな」
この程度で奢った気にさせてもらえるのは、こちらとしても嬉しいのだ。
「んー! ニンニクの匂いがする!」
外にでて風に当たると、馬鹿になっていた鼻が戻ってきたようだ。
「ふふ、この状態でキスしたら、絶対ニンニクの味するよね?」
「それはそうだよ、初めてのキスがレモンの味とか嘘もいいところだ」
直前に食べた物の味になるに決まっている。
「ねえ、試してみない?」
ふっ、そう来たか。流石にもう取り乱さないぞ。
奈津季さんはどうも、この手のいたずらが好きみたいだ。
一ノ瀬とは違って少し大人なのかな?
それでも今どきの高校生からしたら、かなり遅れているとは思う。
俺達は真面目な進学校の高校生だ。
そのせいで、この辺りの知識と経験が足りていなかったのかもしれない。
「いいよ、ここじゃアレだから、雰囲気の良い場所に行こうか」
これはチキンレースだ。退いた方が負け、そういう勝負だな。
受けて立とうじゃないか。何せ、俺の方が圧倒的に大人だからな!
「……うん、わかった」
鞄に財布をしまいながら、奈津季さんは優しく答えた。
駅前に向かう途中で河川敷に出る。
暗闇に浮かぶのは建造中のインターチェンジだ。
近未来的なカーブに沿って設置された街灯の明かりが美しい。
「おー、凄い、こんなとこ近くにあったんだ」
「さあ、続きをしようか」
俺には負けない自信があった。何せ、キスならしたことがある。
……社会人になってからだけど。
「うん、ちょっと待って」
そう言って奈津季さんはまとめていた髪を下ろす。
あらためて見ると、信じられないぐらい綺麗な人だ。
「はい、じゃあ宜しく。私、初めてだから任せるよ」
マジか……。
この辺りでうろたえてくれると助かったのだが。
なかなかやるじゃないか、奈津季さん。
あと、初めてとか言うのやめてね。ドキドキしちゃうから。
仕方が無いので近づいて腰に手を回す。
奈津季さんを引き寄せると体が密着した。
……あれ、この時点で俺の方がアウトな気がする。
「近いね……」
「まあ、そりゃキスするなら近づかないと」
ここを耐える、だと……?
普通、この距離になったら突き飛ばすだろ。
奈津季さんのリアクションが心配になった。
ならばこちらも先へ進まねばなるまい。
右手で頬に触れながら奈津季さんの髪を耳元までかき上げる。
……無抵抗だと!?
だが、まだだ、まだ終わらない。
「目を瞑って」
「ん!」
瞑るの!? そこを躊躇なく瞑っちゃうの?
どうしよう、これ、負けを認めた方が良くないか。
俺の方がどうにかなってしまいそうだ。
人差し指を顎の下につけて優しく引き上げる。
ここまでやっても微動だにしない奈津季さん。
いや、これもう後で怒られるとしてもキスしちゃった方が良くないか?
たぶん二度とないチャンスだぞ?
……なんて、流石にその気はない。
勿体ない気もするけど、俺は一ノ瀬が好きなのだ。
「えいっ」
親指を奈津季さんの唇に押し付けた。
「んっ!」
とんでもなく色っぽい声が漏れる。
そのせいで頭が真っ白になった。
しかし、彼女の攻勢はこの程度ではない。
さらに奈津季さんは親指をくわえてきたのだ。
何この状況? 俺、明日死ぬかもしれない。
「奈津季さん、……俺の負けだ」
「ふえ?」
声をかけると、ぼーっとした表情で奈津季さんは目をあけた。
「あっ、そういうことかあ……」
何故、ちょっと残念そうな顔をする。
手を離したら奈津季さんはそのまま河川敷に腰を掛けた。
「ねえ、高木君はキスしたことあるの?」
「ないよ」
これは半分は嘘である。だが事実でもある。
この時点の俺は、肉体的には経験をしていない。
「それにしては……随分と手馴れていたような気がするけど?」
「ふっふっふ、知識だけはあるのだよ」
大概の男子高校生ならこんなものである。
「ふーん、本当かな?」
完全に疑われている。まあ、半分は嘘だしな。
「1回でいいから、してみたかったんだよね」
やはり、行為そのものに興味があったのか。
……ということは勝負ではなくガチだったようだ。
危なかった。
「初めては好きな人のために取っておきなさい」
「高木君ならいいかなーって思ったんだけど」
それはどういう意味だろう。
後腐れなさそうとか、男としてみてないとか、そんな理由かな。
わからないでもない。俺はお手軽な相手だ。
「……高木君も、勿体ないことするよね?」
「ああ、それは本当にそう思う」
奈津季さんのような美人とキスするチャンスをふいにした。
こんな機会、もう死んでもやってこないだろうなあ……。
「ふふふ、まあ、わかってたけどね!」
そう言って、奈津季さんは立ち上がった。
「帰ろっか」
「うん、そうだね」
駅までの帰り道をふたりで歩いた。
その間は、何事もなかったかのように自然だ。
「じゃあね、高木君」
「うん、また明日」
改札口をくぐって、お互い違うホームへ向かう。
「あ、今日のこと、梨香ちゃんには内緒だよ!」
「えっ!?」
一ノ瀬に、内緒にする……?
「よろしくね!」
そういって、奈津季さんは階段を上がっていった。
今日のことを一ノ瀬に話すのは容易である。
いつものように笑い飛ばされて終わりだろう。
奈津季さんの最後の言葉が無ければ俺は多分、そうした。
一ノ瀬に対して秘密のようなものを持っていたくないからだ。
俺は散々迷った末、奈津季さんの申し出を受けることにした。
そもそも、何もしていないのだ。
ふたりでラーメンを食べにいっただけ。
わざわざ報告するような話でもない。
でも、もしも一ノ瀬が俺の彼女だったら……。
俺はきっと、ラーメンを食べに行くこともしなかったんだろうな。




