第55話:そう簡単に水着姿を見ることは出来ない
球技大会が終わった翌日は終業式である。
これが終わるとしばらくは夏休みだ。
休み中は練習時間が目一杯とれるから、基本的に部活三昧になる。
合宿は今から楽しみだ。部員同士の馬鹿話は最高に盛り上がる。
それでもやはり、一ノ瀬に逢えないのは寂しい。
それに、史実通りなら2学期の中盤から一ノ瀬は中森と付き合ってしまう。
その未来を変えようと頑張ってはいるけれど、どうなるのかは分からない。
前のように話せなくなるかもしれないのだ。
だからせめて、夏の間に1日ぐらいは一ノ瀬と遊びに行けないだろうか。
考えるけど、良いプランが思いつかない。
夏祭りは人が多いから駄目だ。花火大会はすでに不参加だと言われている。
海水浴とかプールなら良さそうだけど……。
一ノ瀬が楽しめるかどうかと言われたら難しいところだ。
アイツは紫外線も嫌いだからなあ。
そんなことを考えながら、今日も俺は生徒会室へ向かった。
「おはようございます」
生徒会室に入るとすでに大場と奈津季さんが来ていた。
おなじみのふたりの姿にほっとする。
「おはよう、高木君! 花火大会の段取り、ありがとう」
「いえいえ、お安い御用です」
奈津季さん提案の花火大会はすでに準備が完了している。
3年生の先輩達もふたつ返事で参加を了承してくれた。
夏季講習の真っただ中だが、良い気晴らしなるんじゃないかと思う。
「とこでさ、奈津季さん。夏休みに誘われるとしたらどこに行きたい?」
「また梨香ちゃんを誘うつもりなの? 私だったら、やっぱり海水浴かなあ」
なるほど、奈津季さんは海派か。
「よし、行こう! いつがいい?」
「私を誘わないでよ!」
惜しい、このノリで奈津季さんの水着姿が拝めると思ったのに。
「どうしてもだめ?」
「駄目なものは駄目」
惜しくもなく、駄目だった。
「おはようございまーす!」
元気な挨拶で一ノ瀬が入って来た。
くそ、まだ考えがまとまっていないのに。
「本人に直接聞いたら?」
「もうそうするしかないか……」
あまり気は進まないが、分からないものは悩んでも解決しない。
「ねえ、一ノ瀬」
「なーに?」
声をかけた時の返事はいつも優しいんだよな。
「夏休みに一緒に遊びに行きたい」
「えー、暑いからヤダ」
……お前、いつ誘っても、とりあえず断るのをやめてくれないか。
「そこをなんとか……」
「うーん、しょうがないなあ。1日ぐらいならいいよ?」
夏休みは1か月以上もあるというのに……、世知辛い。
それでも、1日貰えるのなら十分か。
逢えないよりはよっぽど良い。
「どこか行きたいところとか、やりたいこととかある?」
「うーん、思いつかないなあ……」
どうしよう。出来れば一ノ瀬が楽しいと思える1日にしたい。
何かないかな……。
大学生の頃は碌な夏休みの思い出がなかった。ほとんどバイトだったな。
社会人になってからは、友人とよく旅行に行ったっけ。
それも皆が結婚したらほとんど行けなくなってしまった。
夏に何か特別な事なんて無かったよなあ……。
沖縄旅行が一番の思い出か。慶良間諸島でのダイビングとか最高だった。
ん……? ダイビング?
あれ、これ、体験なら行けるんじゃないか?
でもお金が全然足りない。
親の力を借りないと無理だよなあ。
「なあ、一ノ瀬。スキューバダイビングとか興味ある?」
「ダイビング? 海に潜るヤツ?」
完全にノーマークだったようだ。
「ああ、それそれ。潜るっていうよりはタンク背負って泳ぐ感じだけどね」
「高木くん、やったことあるの?」
おお、反応は悪くない。これはもしかして……。
「あるよ、お金はかかるけど凄く楽しいんだ」
「お金かかるんだね……」
くっ、やはり学生にはここが最大のネックだ。
「高木君! スキューバダイビングやったことあるの!?」
奈津季さんが、かつてない勢いで会話に入って来た。
「あー、うん。そんなに回数多くないけどね」
ダイビングが趣味の友人が結婚してしまってからは潜っていない。
年に2,3回ぐらいしか行っていなかったから通算で50本も行ってないだろう。
人に誇れるほどの技量は持ち合わせていない。
「あの、もし良かったら一緒に行かない?」
あれ? 一ノ瀬を誘うつもりだったのに、何故か奈津季さんが釣れてしまった。
「前からずっと興味があったけど、周りにそういう人いなくて……」
ああ、コレは本気で行きたいヤツだな。
無下に断るのは可哀想すぎる。
「うん、いいよ、一緒に行こう」
「なっちゃんが行くなら、私もいく!」
見事な芋づる式だった。
本音を言うと、折角だから一ノ瀬とふたりきりになりたい気持ちはある。
でも、こういうのも良いだろう。
2人より3人の方が一ノ瀬にとっては楽しいはずだ。
「あ、でも私、コンタクトだけど大丈夫かな?」
「大丈夫だよ、むしろ眼鏡の俺の方が駄目だ」
一応、度付きのマスクとかもあるけど、レンタルだと合わない事が多い。
「あはは、そうなんだ」
一ノ瀬のノリはとことん軽かった。
本当、あらゆることに対して警戒心がないな。
悪い事じゃないけど、少し心配になってしまう。
「じゃあ、ふたりとも体験ダイビングでやってみようか」
流石に今からライセンス取るのは大変だし、お金も相応にかかってしまう。
そんなわけで、段取りはこちらで取ることにした。
まずは両親の了解を取ってお金を工面する必要がある。
親に反対されたらそれまで、ということは話しておいた。
――体験ダイビング当日。
一ノ瀬も奈津季さんも無事に両親から許可が下りたそうだ。
実は俺の方はちょっと揉めた。
金額ではなく、ダイビングの危険性について母が心配したのだ。
何故か、ひたすらサメの事を警戒していた。
あんなもの、むしろ見れたらラッキーというレベルだ。
どうやら母の若い頃に流行っていた映画の影響らしい。
「高木くんー、眠いー」
集合場所に現れた一ノ瀬は壮絶に眠そうだった。
そりゃそうだ、朝の6時は流石にキツイだろう。
「梨香ちゃん、頑張って!」
対して奈津季さんは気合十分だった。
これは相当楽しみにしていたんだろうな。
集合したら、まずは申込をしたショップへ向かう。
電車での移動中、一ノ瀬は奈津季さんにベッタリだった。
いいなあ……。
「高木君、代ろうか?」
「代われるのなら、代りたいけど無理でしょ」
俺にやっている寄りかかる、というレベルではない。
アレは抱き着いている、という表現が正しいだろう。
一ノ瀬はほぼ寝ていたので奈津季さんと話しながらの移動となる。
まあ、それはそれで楽しかった。
「海の中ってどんな感じなの?」
「空を飛んでる感じかなあ」
「タンクって重くない?」
「地上ではクソ重いよ。潜っちゃえば大丈夫」
「魚とか見れるかなあ?」
「普通に見れるよ、今日は大瀬崎だからアジとかいっぱい見れるかも」
奈津季さんからの質問は止まらなかった。饒舌モードは久しぶりだ。
本当に可愛い人だな。
ショップに着くと一通りの説明を受けた。
大事な話なので一ノ瀬にもしっかり起きて聞いてもらう。
「君はライセンス持っているってことでいいのかな?」
「あー、はい。浮力調整も出来ます」
……嘘である。
ライセンスを取ったのは社会人になってからだ。
しかし、これを言っておかないと浮力調整用のホースに触らせてもらえない。
慣れてくると浮力の調整は自分で操作した方が煩わしくないのだ。
説明が終わるとショップの車でダイビングポイントまで移動する。
器材の積まれた大型ワゴンなので乗り心地は最悪だった。
眠そうな一ノ瀬は俺と奈津季さんで挟み込む。
ガタガタと揺れる車内で、ショップの説明に少し付け加えておいた。
「泳ぐというよりは浮かぶってのを意識してね。
疲れると呼吸が増えるから少し苦しくなっちゃうんだ」
「うん、わかった」
奈津季さんは少し緊張した面持ちで返事をする。
「困ったり、怖くなった時は俺の方を見て。後は何とかするから」
「わかったー」
一ノ瀬は緊張感の欠片も見えなかった。
ポイントに着いたら早速、着替える。
残念ながらふたりの水着姿は拝めなかった。
基本的にずっとウェットスーツだもんなあ。
更衣室から出てきたふたりを見て、血の涙を流したのは内緒である。
なお、季節は夏だが潜るとなると水温は結構低いので甘く見ない方が良い。
基本的に海中の温度は2か月ほど遅れるのだ。
その後は浜辺で軽い実習をおこなった。
まずはスノーケリングしながら簡単な泳ぎ方の説明をしてもらう。
ここで教えてもらう耳抜きは潜水時に必須となる。
続いてマスクに水が入った時の対処方法を実践した。
水中で水が入っても空気を使って抜くことが出来るのだ。
最後に器材を背負って、浅瀬に潜った。水中での呼吸の練習である。
実はこれが結構キツイ。
「思ってたより息苦しいかも……」
奈津季さんが少し不安そうだった。
「大丈夫、俺もきつかったから。浅瀬だと波もあるから、潜るより大変なんだよ」
「そういうものなんだ」
これは嘘ではない。
なお、一ノ瀬は何の問題もなさそうだった。
本当に適応力が高いヤツだ。
準備が出来たら、いよいよ潜行する。
といっても、ビーチから器材を背負ってそのまま歩いていくだけだ。
インストラクターはふたり、一ノ瀬と奈津季さんにそれぞれついてくれる。
「重い……」
さすがに一ノ瀬も辛そうだった。
「一ノ瀬、頑張れ。水中まで行けば楽になるから」
声をかけるとインストラクターが一ノ瀬のタンクを持ち上げてくれた。
すげえ、至れり尽くせりだ。
なお、俺も体験ダイビングで申し込んでいるので本来なら付いてもらえる。
だが不要なので断った。器材も自分でセッティングしている。
水面に到達したらジャケットの空気を抜いて呼吸を深くした。
一ノ瀬と奈津季さんはインストラクターが浮力調整をしている。
おかげで動きはスムーズだ。
心配だったので少し後ろから続いて潜った。
沖に出るまでは少し泳ぐ必要がある。
だが、この日は天気が良くて波も弱かった。
コンディションは良好、それほど苦労もない。
そういえば、一ノ瀬と出かけると大抵は晴れるな。
きっと日頃の行いが良いからに違いない。
水中に入ると会話が出来なくなる。
マスクをしているから表情もよく見えない。
なので、ふたりの様子を注意深く観察しながらインストラクターについていく。
5メートルも潜れば後は気楽なものだ。
潜るたびに少しずつジャケットに空気を送る。
後は基本的に浮いているだけだ。移動するときに手は使わない。
大抵は脚ヒレを動かすだけでどこでも移動できる。
動きも呼吸も出来るだけゆっくりと行った。
一ノ瀬も奈津季さんも落ち着いた様子で安心した。
インストラクターが早速何かを見つけたようで一同を誘導する。
透明度も十分、視界も良好だった。
アレはソラスズメダイかな?
ライセンス取るときに魚の名前とか必死で覚えたのを思い出す。
一ノ瀬の方を見ると盛大に息を吐き出していてドキっとする。
慌てて近寄ると、インストラクターに心配されていた。
が、一ノ瀬は必死にオーケーのハンドサインを出している。
もしかしてアイツ、しゃべろうとしたんじゃないか?
そう思うと、少し笑ってしまった。
近づいて背中をポンと叩くと、振り向いて嬉しそうに笑う。
マスク越しでも近づけば何とか顔は見える。
一ノ瀬は両手のサムズアップで応えてくれた。
うん、顔がちゃんと見えなくても可愛いな。
奈津季さんの方は魚に見惚れているようだ。
インストラクターに背中を叩かれても顔がそっちを向いていた。
ふたりとも楽しんでいるようで良かったよ。
大量の魚や岩場の海洋生物を見ながら海中散策を楽しんだ。
30分ほどしたらビーチの方へ向かう。
途中でタカベの群れとすれ違った。
一ノ瀬が手を伸ばしている。
捕まえようとしているのか、止めなさい。
ビーチが近づいてくると波の抵抗を感じる。
立ち上がると全身がクソ重かった。
「君、高校生の割にずいぶんと落ち着いているねえ」
一ノ瀬たちの器材を外しながらのインストラクターさんに声をかけられた。
いや、中身はおっさんですからね。
「いえ、そんなことないですよ」
そう言って、自分もジャケットを脱いだ。
タンクのバルブを閉めてレギュレータを外す。
「外したらそこに置いておいて、後はやっとくから」
「わかりました」
器材から自由になるとスッキリする。
「高木くーん!」
同じく重い器材から解放された一ノ瀬が走って来た。
おー、濡れた髪が色っぽい。
「面白かった?」
「うん! 最高! 空飛んでるみたいだった!」
ああ良かった。
もうこれだけで救われるよ。
「話せないのが残念だねー」
やっぱりか。
「水飲まなかった?」
「あははは! 危なかったよー!」
本当に緊張感のないヤツだ。
無邪気な笑顔が可愛い。
奈津季さんの姿を探すと、あちらも無事に器材から解放されたようだ。
なんだか、ぼーっとしている。大丈夫かな?
「奈津季さん?」
「高木君……、私もう1回潜りたい!」
ああ、追加料金出せばもう1本行けるんだっけ。
よっぽど楽しかったんだろうなあ。
どちらにしても休憩は必要だ。
窒素が溜まっちゃうからね。
そんなわけで、ひとまず昼食となった――。
「うわー、さっきアレだけ魚を見た後に魚を食べる背徳感すげえな」
水族館に行って、美味しそうって思う思考回路に似ている気がする。
これ、絶対日本人特有のヤツだよな。
「高木くん……残酷だね」
まあ、そうだよな。一ノ瀬には理解してもらえなかった。
「ふふ、でもなんかわかる」
奈津季さんの理解は得られたようだ。
「午後だけど、もう1本、付き合うよ?」
「私もいいよー」
俺と一ノ瀬は奈津季さんの提案にふたりで合意した。
「ううん、今日はふたりの邪魔しちゃったし。午後はイチャイチャしててよ」
まるでおっさんのような物言いをする奈津季さん。
「いやいや、何その表現、ちょっとやめてよ!」
「ふふふ、なっちゃん、本当に楽しかったんだね」
確かに、いつもよりテンションが高い。
本当にもう1本潜っても良かったのだが、奈津季さんは頑なに断った。
気持ちはわかる。俺が奈津季さんの立場なら同じようにしただろう。
気を使わせ過ぎても悪いので、陸上で一ノ瀬と待つことにした。
都合、お昼ご飯を食べたお店の中でお茶を飲んでいる。
「なあ、一ノ瀬」
俺は真剣な顔で彼女の名前を呼んだ。
「なあに?」
「少し泳がないか?」
目の前には綺麗な海がある。
天気も良い、むしろ泳がない理由がない。
「えー、やだよ、もうシャワー浴びて着替えちゃったし」
そうなのだ。
一ノ瀬はご飯を食べた後に着替えてしまった。
俺はまだ上半身裸という状態なのに。
「もしかして、エッチな事考えてない?」
「ぐっ!」
思い切り図星を突かれた。
「うわっ! 最低! 高木くん、私の体だけが目当てだったんだ」
「いや、お前、それは俺にだけは言っちゃ駄目な言葉だぞ?」
そういえば、随分昔に同じ会話をした記憶があるな。
「だって、俺、水着すら見てないんだよ?」
「面倒くさいし、恥ずかしいからヤダ!」
ピシャリと言われてしまった。
さすがに、これ以上はもう頼めないか。
「しょうがない、じゃあ着替えてくるよ」
「ひとりで泳ぎに行ってくればいいじゃん」
うーん、切ないなあ。
でもまあ、俺と一ノ瀬の関係なんてこんなものだ。
「いいよ、お前を1人でここに残しておくのは絶対に嫌だし」
「……じゃあ、早く戻って来て!」
少しだけ機嫌が悪そうな一ノ瀬だった。
「了解!」
更衣室へ行って海パンを脱いで下着に履き替える。
ズボンを履いてシャツを着た。男の着替えなんてすぐだ。
「早いねー!」
「まあ、男だしな」
一ノ瀬の対面に座り直して、顔を見た。
会話は元気だけど少し疲れているように見える。
「眠そうだな、寝ててもいいぞ?」
「うん、実はさっきからずっと眠かったの」
朝も早かったし、慣れない海中散歩の後だもんな。
そりゃ眠くもなるさ。ご飯も食べた後だし。
しかも店内はエアコンが効いていて心地よい温度だ。
一ノ瀬は何故か立ち上がって、俺の隣に座り直した。
えっ、お前何してんの?
「おやすみー」
そう言って、寄りかかって来る。
心地よい重さと温もり、そして甘くて優しい匂いに包み込まれた。
「ちょっと、一ノ瀬さん?」
「何よー、嬉しくないのー?」
声が近い、一ノ瀬は何でこんなことが普通に出来るんだろう。
「いや、すごく嬉しいです」
「ふふふー、そうだと思った」
そう言って、一ノ瀬は瞳を閉じた。すぐに寝息が聞こえてくる。
相当に眠かったようだ。
俺は一ノ瀬が起きないように少しだけ楽な体勢になる。
一ノ瀬の髪の毛が肌に触れて、その滑らかな感触に胸が高鳴った。
すぐ近くで寝息を立てる一ノ瀬が愛おしい。
何なんだ、この幸せな時間。
水着姿が見れなかったのは残念だけど……。
これでは何も文句が言えないじゃないか。
 




