第54話:あの日見た空の色をいつまでも覚えている
球技大会の1日目が何とか終わり、自宅へ帰った後。
俺の本当の戦いがスタートした。
初日の結果が書き込まれたトーナメント表から対戦カードを抜きだす。
まずは参加競技数が多いクラスをピックアップした。
初日で敗退したクラスは参加競技数が減っている。
競技数の多いクラスを中心にバッティングしないように対戦表を作っていく。
競技数が1のクラスはいつでも空いた時間に試合を入れれば良い。
何度も試行錯誤して、バッティングを見つけては対戦カードを入れ替える。
結局、気が付いた時には夜が明けていた。
まあ、大丈夫だ。
過去の俺にも出来たことだし、仕事に就いてからも徹夜作業はしたことがある。
俺は軽くシャワーを浴びて、気温が高くなる前に学校へ向かうことにした――。
生徒会室に着くと鍵を開けて会長席の隣で対戦表の確認をする。
何とか午前中の試合と午後の対戦カード候補を作ることが出来た。
集合時間まではあと30分か。少しは寝れそうだ……。
――チリンチリン。
生徒会室の扉が開いた音がする。
意識が飛んだのは一瞬だった。
「高木君! 大丈夫?」
入ってきたのは大場だ。
おはようの挨拶もなく駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫……」
「そうは見えないよ」
よほどひどい顔をしていたようだ。
「おはようございます!」
元気に入ってきたのは久志君だった。
「じゃあ、対戦表を印刷してくるよ」
「待って、俺も……」
立ち上がろうとすると肩を掴まれた。
「久志君がいるから大丈夫、少し寝てて」
「……ありがとう」
俺は本当に、仲間には恵まれたと思う。
しばらく意識を失っていると彩音先輩が入ってきた。
「高木……大丈夫か?」
「彩音先輩ー、心配してもらえて嬉しいですー」
前回同様、一ノ瀬のようになってしまった。
俺には語尾が伸びるような癖は無かったはずなんだが……。
どうも、俺は他人の影響を受けやすいようだ。
「高木! これを呑め!」
平澤先輩も来てくれていたようだ。
栄養ドリンクを渡された。なんてありがたい。
これ、意外と効くんだよな。
「ありがとうございます!」
頬を叩いて、気合を入れ直す。
そして、2学期の球技大会は2日目を迎えた――。
「じゃあ、今日は美沙ちゃんがオペレータでお願いします。
正樹君はサブテント、麻美ちゃんと久志君はメインテントね」
「わかりました!」
1年生の返事が良い。
俺たちもこんな感じだったかな……?
疲労は酷かったが、眠気は何とか飛んでくれた。
本番が始まってしまえばそれどころではない、というのもあるかもしれない。
2日目の初戦が始まってしばらくすると、メインテントで問題が起きた。
理由はわかっている、一ノ瀬が競技に出ているのだろう。
「美沙ちゃん、メインテントの男バス、もう終わっているはずだ。
結果の確認してもらえるかな?」
これは、オペレータ的に結構難しいミッションである。
「わかりました」
冷静に答える美沙ちゃん。
今日はポニーテールなんだね。
そっちも良く似合っている。
「こちら本部、メインテント応答願います、どうぞ」
「こちらメインテントです、どうぞ」
「本部です、男バス第18試合、試合終了予定時刻を過ぎています。
勝敗結果を確認して下さい、以上です」
「メインテント、了解しました」
毅然とした態度、聞き取りやすい声。
満点だった。
「おー!」
「な、なんですか!?」
俺はその見事な応答に拍手した。
「美沙ちゃん、いいねー! 来期から専属にしたい」
「褒めるの止めてください! あと専属とか、セクハラですよ?」
何故か怒られた。
「高木、セクハラは駄目だぞ」
「いや、そういうつもりは……」
彩音先輩にまで突っ込まれてしまった。
「高木君は存在がセクハラだからねえ……」
「何それ? どういうこと!?」
奈津季さん、それは流石に言いすぎだ。
緊迫したムードの生徒会室に笑いが起こった。
やはり、こういうのが一番大事だよね。
喧騒はありつつも、なんとか午前中を乗り切ることに成功した。
2日目午後の対戦表はかなりカードが絞られる。
やっと終わりが見えてきたが、油断は出来ない。
「お疲れ様でーす!」
そう言って一ノ瀬と麻美ちゃんが生徒会室に入ってきた。
生徒会執行部女子がほぼ全員集合、何とも華やかだ。
麻美ちゃんは美沙ちゃんと、一ノ瀬は奈津季さんとご飯を食べている。
なんとも微笑ましい光景だが、俺には対戦表を仕上げる仕事が残っていた。
チラリと、ご飯を食べている一ノ瀬を見る。
それだけで、少し元気になった。
……やっていることがストーカー紛いで切ない。
けど、話す余裕はないから、これだけで十分だ。
当時の俺は色々と駄目だった。
彩音先輩の件もそうだけど……、一ノ瀬に対してもだ。
自分勝手に想いを押し付けるだけで、アイツのことを本当に考えていなかった。
それは……多分、今でもそうだ。
一生懸命考えても、一ノ瀬に対して何が出来るかなんてわからない。
喜んで欲しい、笑っていて欲しい。
そのために何をすれば良いのか?
大切にしたいと思う。傷つけたくない。
なのに、俺はもう一度、アイツのことを好きになってしまった。
でも、後悔はしない。今は目の前のことに専念するだけだ。
「よし、終わった!」
何とか午後の対戦表は組み終わった。
あとは準決勝以降と、決勝戦および3位決定戦だ。
それにしても、仕事に関しては当時から、さして変わっていないのだな。
なんだかんだ、昔の自分も良くやったじゃないか。
体育祭から引き続き、そう思う。
……俺が成長していないだけ、とも言えるかもしれないが。
「印刷してこようか?」
そう言ってくれたのは一ノ瀬だ。
「ああ、一緒に行こう」
「いいよ、高木くん。私となっちゃんで行ってくるから。
はい、ご飯食べてて」
そう言って、おにぎりを渡してくれた。
「今日も作ってくれたのか?」
「いや、だって昨日だけってのも変でしょ?」
それはそうだけど……。
朝の弱い一ノ瀬がわざわざ作ってくれることを考えると、もはや申し訳ない。
「高木先輩ー! いいですねー、お弁当作ってもらっているんですか?」
しまった、美沙ちゃんに余計な情報を与えてしまった。
「あー、そうみたいだね」
目を反らして、宙を仰ぎながら答える。
「梨香先輩の愛情おにぎり、早く食べないと怒られちゃいますよ?」
安心してくれ、美沙ちゃん。
このおにぎりの中に愛情は入っていない。
入っているのは、こんぶとおかかだ。
「うん、美味しい」
「……普通に食べましたね」
どうやって食べればよかったのだろうか――。
昼休みが終わる前に一度、軽いミーティングを行う。
「球技大会もあと少しなので頑張りましょう。
オペレータは正樹君、お願いします。
メインテントは久志君、麻美ちゃんのふたり、美沙ちゃんはサブテントです」
「わかりました!」
相変わらず良い返事で助かります。
「本部は座り仕事なんですね」
昨日今日と結構走らされたのだろう、正樹君は少しお疲れのようだった。
「うん、メインテントはきつかったでしょ」
「梨香先輩ってああ見えて結構、鬼ですよね」
一ノ瀬はわりと人使いが荒い。
その分、自分も動くから文句は言えないだろうけど。
「その点、大場先輩は優しかったです」
サブテントは沙希先輩と嘉奈先輩も居たからな。
来期以降はどうかなるかわからないけど、少しゆとりがあったはずだ。
「どっちが良かった?」
「難しいですね……、動きやすかったのは梨香先輩ですけど」
どちらとも言えない、彼の判断はやっぱり好きだな。
厳しい一ノ瀬と優しい大場。
一長一短だ、俺はどちらも正しいと思う。
好みの問題もあるので人によって評価は変わるだろう。
「こちらメインテント、サッカー、第20試合、2年7組の勝利です、以上ー!」
「本部です、了解しました」
正樹君は会話しながらも、飛んできた報告には見事に対応して見せた。
流石だなあ。
そして、トランシーバー越しでも一ノ瀬の声が聞こえるとちょっと嬉しい。
俺はもう、変な病気にかかっている――。
「よし、終わった!」
しばらくして、ようやく対戦表が完成する。
叫びだしたい気分だった。
しかし後輩の前で、はしゃぐわけにもいかないだろう。
「お疲れ様、高木君。寝てていいよ?」
ありがたい言葉を貰ったが、今は後輩が見ているのだ。
「大丈夫、あと少しだから指揮は取るよ」
せめてサブテントが撤収するまでは起きていようと決めた。
どうせ、それほど長い時間ではない。
「こちらサブテント、女バレ25試合、3年3組の勝利です。以上」
「本部、了解しました」
これでサブテント側の全ての試合が終わったことになる。
「奈津季さん、サブテント撤収かけて」
ここまで来れば、後少しだ。
「こちら本部、応答願います、どうぞ」
「サブテントです、どうぞ」
「撤収作業お願いします、以上です」
「サブテント、了解しました」
「正樹君、悪いけど撤収のお手伝いに行ってもらえるかな?」
「わかりました!」
「ありがとう」
快く引き受けてくれたことに感謝する。
「お疲れ様」
優しく声をかけてくれたのは彩音先輩だ。
ここまで黙って状況を見守ってくれていた。
肩に置かれた手が心地よい。
「よくやったぞー!」
平澤先輩も同じだ。
本当に感謝する。
「高木君、もう休んで」
奈津季さんも優しかった。
メインテント側のオペレータ席に移動しながら、声をかけてくれる。
優しくしてくれるみんなの存在が本当にありがたい。
まだ起きていたかったけど、流石に瞼が重い、限界だ。
「ごめん、何かあったら遠慮なく起こして……」
そう言って机に突っ伏した。
……球技大会の2日目は本当にキツイ。
睡眠時間もそうだが、1日中ずっと緊張しているのも大変だ。
疲れ切った時、無性に一ノ瀬に逢いたくなる。
社会人として働いている時もそうだったな。
会えなくても良い、声が聞ければ、顔が見れれば……。
辛いときはいつも、彼女の名前を呼んでいたっけ。
その先に、誰も居ないと分かっていても、それだけで少しは元気になれた。
一ノ瀬に逢いたい。
たとえ叶わない願いだとしても、願わずにはいられなかった。
俺にはこの気持ちだけしか残っていなかったのだ。
――高木くん、大丈夫?
一ノ瀬の声が聞こえる。
そんなはずはない、アイツはもう居なくなった。
「一ノ瀬……?」
「あ、起きたー?」
意識が混濁していた手前、すぐに現実を認識出来なかった。
怖い過去がついそこまで迫っている。
そんな感覚に全身がとらわれていた。
「どうしたの? 大丈夫!?」
だから、彼女の顔が見えて安心した。
そのせいで涙が溢れる。また一ノ瀬を驚かせてしまった。
俺は一体、何回同じことを繰り返すんだ。
「うん、大丈夫」
辺りを見渡すと誰も居なくなっていた。
時計を見ると最終下校時刻間近だ。
「ごめん、一ノ瀬。待っててくれたのか?」
「まあ……、流石に置いて帰れないし……」
はっきりとしない態度の一ノ瀬。照れてるのか?
「大場辺りに任せても良かったのに……」
「高木くんは私に待ってて欲しくなかったの?」
急に真面目な顔になってこっちを真っすぐ見る。
「待ってほしかったよ! だけど俺は、一ノ瀬に迷惑かけたくない」
「ふふふ、馬鹿だなあ。別に迷惑じゃないよ」
今度は笑顔だ。本当に、ころころと表情が変わる。
「本当か? それなら……ありがとう、嬉しいよ」
「うん、私は謝るよりそっちの方がいいと思うなー」
そうだったな、一ノ瀬は謝られるのが嫌いだ。
帰り支度をして校舎の外に出ると、すでに日は沈みかけていた。
この時期はこの時間でもまだかなり明るい。
「昨日よりは少しマシだねー」
セミの鳴き声が響く、夏の夕暮れ。
気温は昨日の帰りよりも少し低くなっていた。
「今日は歩いて帰るか?」
「高木くん、大丈夫? バスの方が良くない?」
気を使ってくれるのが嬉しかった。
「出来たら歩きたいな。途中でさ、夕焼け見れそうだし」
「高木くんがそうしたいのならそれでいいけど」
一ノ瀬は夕陽に興味はない。
それでも俺は、一ノ瀬と見たかった。
俺と一ノ瀬は価値観も考え方も違う。俺はそれを嫌というほど知っている。
でも、一ノ瀬が俺の考え方に染まる必要は無い。
そして、俺が一ノ瀬と同じになる必要もない。
違っていて良いんだ。嫌なものを押し付けなければいい。
ふたりで歩きながら、沈みゆく太陽を眺めた。
「ちょっとだけ寄り道してもいいかな?」
「……しょうがないなあ、ちょっとだけだよ」
素直に応じてくれて嬉しい。もう少しだけ、一緒に居たかったのだ。
我儘を言ってすまないと思うけど、それは言わない方が良いだろう。
いつかの河川敷に腰を下ろす。
そう言えば、俺は過去にここで告白して川に飛び込んだっけ。
信じられないぐらい、アホだったな。
「俺は、一ノ瀬さんの事が好きです」
最初に告白した場所で、同じように想いを告げる。
一ノ瀬にとって、この行為は意味不明だろう。
「えっ、何で急に敬語?」
そっちですか。
「あー、なんとなく、ね」
誤魔化すように言って、川の向こうを眺めた。
太陽が建設中のインターチェンジの向こう側に沈んでいく。
河川敷から見える近代的な建造物は21世紀そのものだ。
空には茜色が広がっていた。
何故こんなにも鮮やかな色をしているのだろう。
「ねえ、高木くん」
一ノ瀬は珍しく、こっちを見ないで声をかけてきた。
「なんで、私の事は名字で呼ぶの?」
同じ景色を見ながら、話せることがたまらなく嬉しい。
一ノ瀬が隣に居る、それだけが俺の望む全てだったな。
「お前と仲の良い人でさ、一ノ瀬って呼ぶの、俺だけだろ?」
梨香、多くの人は彼女のことを名前で呼ぶ。
一ノ瀬もそれを望んでいる。
「えっ? うーん……そうかも」
ちっぽけな祈りだった。
「特別になりたかったんだ。
お前に、他の人と違うって思ってもらいたかった」
なんとも格好悪い理由だ。
「えー! それだけ!?」
大いに笑ってくれて構わない。
「ふふふ、高木くんは、とっくに特別だよ」
知っている、前にもそう言ってくれた。
「ありがとう、一ノ瀬」
伝えたい気持ちは他にもいっぱいある。
でも、欲張りはしない。俺は今のままでも十分だ。
「……名前で呼んで欲しいか?」
「えー、いいよ、今更。急に変えられても困るし」
名前で呼びたいと思ったこともあった。
でも今はもう、一ノ瀬と呼ぶ方がしっくりくる。
「あの時から、そう思ってたってことはもしかして一目惚れ?
私、あんまり信じてないんだけどなあ……」
「うーん、厳密には違うけど、一目惚れみたいなものかな。
一ノ瀬の笑った顔見たら、色んな事がどうでも良くなった」
俺も一目惚れという現象は信じていない。
相手の事を良く知りもせず、簡単に好きになるなんて考えられないからだ。
「どうでも良くなった、ってどういうこと?」
この問いかけに何て答えて良いかわからない。
「あの夕陽見て、どう思う?」
目の前にある言葉にならない景色を見て思いついた言葉を口にした。
夕闇は先ほどより少し深まっている。
空には茜から深い青、そして夜の色へ続くグラデーションが広がっていた。
「綺麗だねー」
「そんな感じだよ、見惚れちゃったんだ」
他の事が考えられなくなるぐらい、笑った顔が可愛かった。
「……高木くんって、時々、恥ずかしいこと言うよね」
「放っておいて下さい」
一ノ瀬は俺の言葉ではまず動じない。大抵、冷やかされて終わりだ。
でも、それはそれで、心地よかった。
「あははは! まあ、いっか。
高木くんが私の事を好き過ぎるのは良く分かったから」
「それが伝わっているのなら、十分だよ」
それでもいつか、別れは来るのだろう。
俺はその時、せめて君の記憶の中に残りたいと願う。
だから、こうやって一緒に見た空の色を覚えていて欲しい。




