第53話:たまにはバスで帰るのも悪くない
「定例会を始めます」
今日も議事進行は俺の仕事だ。
彩音先輩がやっていた頃を懐かしく感じる。
「今日は球技大会について説明します」
全学年が参加する球技大会は久しぶりだ。
今回に限っては3年生に援軍を頼むことも出来る。
嘉奈先輩と沙希先輩がむしろやりたいと言っていたのでお願いした。
本部には彩音先輩と平澤先輩が待機してくれるそうだ。
事実上、これが3年生の最後の仕事になるだろう。
「メインテントは中森がチーフ、あとは一ノ瀬。
サブテントは大場がチーフ、あとは沙希先輩と嘉奈先輩。
本部は俺と奈津季さん。1年生はさっき言った通りローテーションをします」
議事進行中の俺は敬語になる。これは昔からの癖だ。
仕事モードに入ると勝手に言葉尻が変わってしまう。
体育祭と同じように、競技への参加は個人の自由とした。
俺と奈津季さんは全不参加だ。
一ノ瀬はちゃんと出ると言っていた、偉いぞ。
俺も気持ちとしては出たかったけどさすがに対戦表管理しながらは無理だ。
対戦表の作成は相変わらず激務だった。
トーナメント表が出来てすぐに手を付けたが、完成したのは球技大会前日だ。
テスト勉強? 何それ、美味しいの?
――球技大会当日。
例のごとく、朝は早かった。
対戦表を印刷して、各テントの準備をする。
幸いにして雨は降らなかった。
なお、生徒会室の椅子は会長席と5席にしてある。
「じゃあ、1年生の初期オペレータは久志君。
メインテントは正樹君と美沙ちゃん、サブテントは麻美ちゃんにお願いします」
「わかりました!」
皆、素直でよろしい。
軽そうな正樹君もこういう時は真面目に返事をしてくれる。
「一ノ瀬、ちょっといいか?」
「なーにー?」
……コイツ、今日も眠そうだな。
「お前には本部に居て欲しかったんだけどさ。
今回はどうしてもこうなっちゃって悪いな」
「大丈夫だよー、高木くん。わたし、ちゃんと分かっているから」
声色はなんとも頼りないが、心強い返答だった。
「お昼はさ、生徒会室に戻ってきてよ」
「うん、わかったー。一緒にご飯食べようね」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだろう。
……ご飯を食べる余裕があるかどうかは分からないけれど。
ホームルームが終わると足早に生徒会室へ向かった。
さすがに緊張する。先輩に守られていた1年目と明らかに違う。
……俺がこの経験をするのは初めてじゃないはずなのにな。
不思議なものである。
生徒会室に入ると彩音先輩と平澤先輩が待機していた。
「あー、先輩、座って下さい」
例のごとくふたりは立っていた。
「いや、高木、悪いがそれは出来ない。やはり働いているものがいる手前……」
「嫌です、駄目です、許可しません。
もしも先輩方がそれでも立つというのなら俺もずっと立って仕事します」
秒で却下した。
「高木、でもそれは……」
「北上会長や舘林先輩の件は承知しています。
でも、それはそれ、これはこれです。
先輩達を立たせておいて、俺が仕事出来ると思いますか?」
伝統や風習は確かに大切である。
けれど、わざわざ立っていても意味はない。
むしろ気になって仕事に集中できないというものだ。
「……わかったよ、座ろう、隆」
「ありがとうございます」
そう、それでいいんですよ。
立っていても座っていても、気持ちは伝わってくる。
それだけで十分なんだ。
「まったく、お前というヤツは相変わらずだな」
そういう彩音先輩は少し嬉しそうだった。
「ところで、梨香はメインテントなのか?」
「はい、中森の指揮だと1年生が可哀想なので」
これはもう仕方がないのだ。決して、中森が悪いわけではない。
ただ、一ノ瀬の能力が際立って高いだけだ。
「そうか、残念だな」
「大丈夫ですよ、離れていても存在感ありますから、アイツは」
どうせトランシーバー越しに声も聴けるだろうし。
「上手くいっているようで何よりだ」
「彩音先輩のおかげです、ありがとうございます」
放っておいても、俺は結局、この気持ちを抑えられなくなっていただろう。
でも、彩音先輩の助言で俺は変に捻じ曲がることなく、素直になれた。
本当に感謝している。
「彩音先輩……」
「どうした? 高木?」
思わず名前を呼んでしまった。
そして、その瞬間に気持ちが溢れてくる。
過去の世界では、ここに居たのは吉村先輩だ。
彩音先輩はあんなことがあったのにちゃんと3年生をつけてくれた。
「あ、いえ、名前で呼べたのがちょっと嬉しくて」
ここに彩音先輩が居てくれる、これは新しく掴み取った今だ。
それが本当に嬉しいことだった。
「そ、そうか……。私も悪い気はしないぞ」
珍しくちょっと照れた彩音先輩は、たまらなく可愛かった。
同じようにして、俺は一ノ瀬と離れる未来も避けたいと思っている。
そのために必要なのは中森と一ノ瀬を引き離すことじゃない。
俺がもっと一ノ瀬に寄り添う必要がある。
だから、この采配は間違っていないはずだ。
「おはようございます!」
久志君が緊張した面持ちで入って来た。
奈津季さんはまだか……。
「おはよう、久志君。今日はメインテント側のオペレータを頼みます」
「わかりました!」
元気で誠実、良い返事だ。
「ごめんなさい、ちょっと遅くなりました」
奈津季さんが入って来た。
よし、じゃあ始めますか――。
球技大会は相変わらずの激務だった。
次々と入ってくる情報を処理する。
今日は一ノ瀬が居ないから援護も無い。
バッティングの恐怖に怯えながら必死で対戦表を組んだ。
「こちらメインテント。サッカー、第4試合、勝者は2年3組です。以上」
「こちら本部、了解です!」
久志君のオペレータは快活だった。
声も聞き取りやすい。
「ありがとう、助かるよ」
差し出された紙を受け取ってちゃんとお礼を言う。
後輩のために俺が出来ることはこれぐらいだ。
「はい、頑張ります!」
元気に答えてくれたのは嬉しかった。
この明朗さは間違いなく彼の良いところである。
時間は瞬く間に過ぎて、気がつけば昼休みのチャイムが鳴った。
午後の対戦表はまだ出来ていない……。
「高木くーん!」
一ノ瀬が大声で入って来た。その声だけでもほっとする。
「聞いてよ! 拓斗ったら酷いんだよ!」
目が離せないとは言えない。俺は一ノ瀬の方を見た。
「ああ、ごめん、いいよ、そっちやってて!」
自分から話しかけておいて、なぜか謝る。
体育祭の時の奈津季さんを思い出してしまった。
俺の状況を理解してくれているのだと実感する。
出来ればちゃんと相手をしてやりたい。
しかし、今は言われた通りにするしかなかった。
切羽詰まった状況は体育祭の時以上だ。
「わかった、でも一ノ瀬も話しててくれ」
「うん! ただの愚痴だから、ちゃんと聞いてくれなくてもいいよ」
対戦表に集中しながら、一ノ瀬の声を聴く。
残念ながら、俺には同時進行出来る才能が無い。
だから一ノ瀬の言葉は頭に入ってこなかった。
時折、相槌だけ打つ。
普段こんな対応したら間違いなくボディーブローが飛んでくる。
けど、今は分かってくれているみたいだ。
「よし、出来た!」
気がつくと生徒会室には俺と一ノ瀬しか居なかった。
……これ、気を使わせちゃったのかな?
「終わった?」
「うん、ありがとう、一ノ瀬」
そう言って頭を撫でる。
一時期はあれほど躊躇したのに、最近は当たり前になってしまった。
「印刷、一緒に来てくれるか?」
「うん!」
そう言ってふたりで生徒会室を出る。
「ごめんな、メインテント大変だろ?」
「いいよー、別に高木くんは悪くないし。悪いのは拓斗だ!」
珍しく文句を言っているが、これは本気じゃないだろう。
一ノ瀬はあまり人のことを悪く言わない。
ただのストレス発散なんだろうな。
「いつもありがとうな」
「高木くんはいつもお礼言うよね、気にしなくていいのに」
たくさん電話をした影響かな。
前回の球技大会よりも、さらに意思疎通が楽になった気がする。
印刷が終わったら生徒会室に戻る。
ひとまず、昼休みが終わるまではゆっくりできそうだ。
「はい、これ」
差し出されたのはおにぎりだった。
「嘘だろ……また作ってきてくれたのか?」
「高木くん、ほっとくとご飯食べないんだもん」
一ノ瀬はいつもこうやって、俺の事を見ててくれる。
それが本当に嬉しかった。
「ありがとう……」
涙が出そうになった。
疲れているのもあるかもしれない。
優しさが胸に沁みる。
反面、甘えてはいけないと思う。
俺は彼女の優しさに甘え続けて、最後には依存した。
それが一ノ瀬を傷つけてしまった最大の理由だ。
俺はもう、過去を変えると決めた。
だから、この優しさに寄りかかってはいけない。
なのに……。
「美味しいよ、一ノ瀬」
「えへへ、良かったー」
くそ、なんだよもう、可愛いなあ。
一ノ瀬を見ているだけで元気になれる。
こんな風に思う度に胸が痛くなった。
いい加減、うっとおしい感傷だ。
たとえ、いつか居なくなるとしても、構わないじゃないか。
今、目の前にいる一ノ瀬を大切に想えばいいだけなのだから――。
「久志君はサブテント、オペレータは麻美ちゃんに入ってもらいます」
初日の午後の部は一層忙しい。
メインテント側の戦力は削りたくないので配置はそのままにする。
サブテント側は3年生の先輩がふたりもいるので余裕だろう。
「あ、神木先輩!」
麻美ちゃんはやたらと嬉しそうだった。
この子も彩音先輩のファンだったな。
何気に女子って女子が好きだよね。
目が合った彩音先輩は麻美ちゃんに笑顔で手を振って答えていた。
あー、アレは惚れちゃっただろうな。
「こちらメインテント、女バス、第11試合、開始しました。以上」
トランシーバーからの声に慌てる麻美ちゃん。
「本部です、了解しましゅた!」
あ、噛んだ。可愛いなあー……。
「す、すいません!」
「いいんだよ、麻美ちゃん」
俺は心から優しい声を絞り出した。
むしろ、ほっこりしましたよ、ありがとう。
……嘉奈先輩も1年生の頃はこんな感じだったのかな。
その後は滞りなく、順調に進行した。
それにしても対戦表の管理は厳しい。
ギリギリのカツカツでどうにか1日を終えた、というのが正直なところだ。
「じゃあ、皆、明日も宜しくお願いします」
そう言って、解散となる。
本当の戦いはここからだ。
2日目の対戦表作成は前回とは比較にならないほど困難になっている。
何せ、組み合わせの数がざっと1.5倍だからな。
戦慄の作業だが、まずは家に帰らないといけない。
「お待たせ、高木くん」
特に声をかけるでもなく、一ノ瀬は目の前に来てくれた。
……まあ、この状況で別々に帰るとか、あり得ないか。
この時期は日が長い、外に出るとまだ明るかった。
そして、暑い。じりじりと照り付ける太陽の光が肌を焼く。
こんな中、外を駆け回っていた生徒会のメンバーには頭が上がらないな。
「暑いねー、バスで帰ろうか?」
珍しくそう提案する一ノ瀬。
確かに、汗だくで歩くのも難儀である。
「じゃあ、そうしよう」
ふたりでバス停へ向かって歩く。
時間が遅いので他の生徒も居なかった。
テニス部の連中に鉢合わせするのは気まずいので助かったと言える。
「一ノ瀬、今日は大変だったろ? 大丈夫か?」
この気温の中、走り回ったのだ。疲れているだろう。
「うーん、高木くんにそれを言われると答え難いんだけど」
まあ、確かに俺の方も1ミリも気を緩められるシーンは無かった。
「くっ、そう言われると弱いな」
「ふふふ、今日は私が褒めてあげる番だから!」
そう言って頭を撫でられた。
この優しさには抗えない。
バスに乗り込むと都合よく、ふたり席が空いていたので腰を掛ける。
冷房の風が冷たくて気持ちが良い。
「今日もありがとうな、一ノ瀬」
「もう、お礼なんていいから……」
そう言って寄りかかってくる一ノ瀬。
これは遊園地の時、以来かな。
何度経験しても、この温もりは涙が出るほど嬉しい。
「駅、すぐ着いちゃうぞ?」
「なんかー、高木くんと一緒に居ると眠くなるんだよね……」
そう言って、一ノ瀬は目を閉じた。
……これ、どういう意味なんだろうか。
まあ、一ノ瀬の考えていることは大概良くわからない。
俺の想像の範疇を超えていることがほとんどだ。
だから、気にしても仕方ない。
ただ俺自身、こうしていると安らぐ。
眠くはないけど、心が癒されるのを感じる。
起こさないように軽く頭を撫でて、俺も瞳を閉じた。
こうすると、彼女の温もりと優しい匂いがより強く感じられる。
頬に触れる髪の感触が心地よい。
ずっとこうして居られたらいいのに。
これからの激務に向けて、最高の休憩時間だった……。




