並走する過去 第8話:生徒会長
冷や汗が出っ放しだった体育祭も無事に終わった。
完全に皆のおかげだと思う。特に一ノ瀬さんには助けられたな。
彼女には世話になりっぱなしだ。
体育祭の後は文化祭執行部の勧誘活動を行う。
苦労するかと思っていたのだけど、意外にも簡単に集まった。
理由はわからない、この年は文化系の人が多かったのかもしれないな。
何はともあれ、人が集まるのは嬉しいことだ。
しかし、問題だったのは文化祭執行部長を誰にするか、だ。
順当に行けば一ノ瀬さんだけど、彼女は責任のある職を嫌がる。
僕の見立てでは十分な素質はあるのだけど……。
多分、彼女も僕と同じだ。
一ノ瀬さんは自分の事を人の上に立つ人ではないと思っている。
だから、僕は大場にお願いをした。
誰も立候補しなかったら、君がやってくれないか、と。
でも意外なことに、立候補したのは中森だった。
彼の中で、何かが変わったのだろう。
この日を境に中森は生徒会室に来るようになった。
「みんな、ごめん」
中森はそれしか言わなかった。
僕は一ノ瀬さんからも詳しい話を聞けていない。
けど、それでも構わないと思った。
生徒会室に戻ってきてくれたのなら、それだけで良い――。
「では、定例会を始めます」
中森が戻ってきてからも、生徒会執行部の定例会は僕が議事進行を務めた。
さすがに文化祭執行部までは手が回らないので、そちらは中森に任せている。
一ノ瀬さんがついていてくれるのだから、何とかなるだろう。
体育祭を何とかやり遂げたことで、僕は少しだけ自信を持つようになった。
大丈夫だ、球技大会や生徒総会なんかは今のペースでも進められる。
逆に中森が安心して文化祭執行部に専念できるように努めた。
「3位決定戦?」
前回の球技大会のアンケート結果の中に、そんな要望があった。
「準決勝で負けた同士で試合をするのは良いアイデアだと思うんだ」
提案したのは僕だ。
対戦表を管理する立場から、試合数が増えるのは負荷が上がるので辛い。
でも、負担がかかるのが他の誰かではなく僕だというのなら構わないと思った。
「時間的には延びる方向ですよね? 大丈夫ですか?」
意見を出したのは久志君だ。よく考えている。
「そうだね、でも決勝戦の前っていつも休憩時間を作っているでしょ?
3位決定戦はそこを使えば上手く回ると思うんだ」
「あー、なるほど!」
3位決定戦があることで、決勝のチームはしっかりと休むことが出来る。
「面白そうですね、今までやってないっていうのも良い!」
正樹君も賛同してくれた。
「じゃあ、反対意見ある人いますか? 無い人も考えてみて下さい」
議事進行は、出来るだけ公平に行った方が良い。
しかも今回のアイデアは僕の発案だ。
「うーん、やっぱり1試合増えるのは難しいんじゃないかな。
空き時間使うと言っても結局さ、連戦になるクラスは不利だと思うし」
中森の反対意見は筋が通っている。
「じゃあさ、時間に余裕がある時に限り、開催しますって条件つけちゃえば?」
一ノ瀬さんはいつも発想が豊かだ。
「ああ、それいいね。
あと3位決定戦のバレーコートは体育館じゃなくても良くない?」
大場の意見も良いと思う。
サブテントの撤収は遅れるけど、これなら決勝戦以降の負担が減る。
「参加したくないって人いませんかね? 優勝じゃなきゃ意味ないみたいな」
美沙ちゃんの考え方も確かにあるかもしれない。
「そうですねー、連戦だと疲れてるし、もうやりたくないって人いるかも」
麻美ちゃんの言うこともわかる気がする。
「そういう人は棄権すればいいんじゃない?」
ズバッと切り込んだのは正樹君。
1年生が積極的に意見を言ってくれるのは嬉しい。
奈津季さんは静かに議事録を取ってくれている。
元々、あまり意見を言わない人だ。
「他に意見はありますか?」
話を聞く限り、みんな言いたいことは言えたみたいだ。
「じゃあ、まとめます。
3位決定戦は時間がある場合に限り開催。
バレーは屋外コートで実施、参加したくない場合は棄権出来る。
こんな感じで良いでしょうか?」
僕は基本的に多数決は取らない。
出来るだけ反対意見が無くなるまで皆で議論した。
もちろん、会議が長引いてしまう場合は仕方なく多数決を取ることもある。
「じゃあ、決定します。
今期の球技大会では3位決定戦をやりましょう。続いて……」
目安箱の意見内容の吟味、連絡事項と今後の活動方針、話すことは多かった。
「ふう……」
定例会が終わると少しほっとする。
何回やっても、皆の前で話して意見をまとめるというのは緊張するものだ。
「はい、お疲れ様」
そう言って奈津季さんがお茶を入れてくれた。
「おお、ありがとう!」
これはなんだか、とても嬉しい。
一ノ瀬さんは正樹君と話していた。最近は、ふたりで居ることが多い。
何だか気になってしまう自分が嫌だな。
変な話をしてるわけないじゃないか。
文化祭執行部の方も今は忙しいはずだ。
「梨香ちゃんと話せなくて寂しい?」
「あーうん、でも電話には出てくれるから……」
そういえばもう、長いこと一緒に帰っていないな。
中森は自転車通学だけど、一ノ瀬さんと帰る時は駅まで押し歩いているそうだ。
そんな関係を羨ましいと思ってしまう自分も嫌だった。
どうして僕はこんなに自分を抑えられないんだろう。
彼女のことを胸を張って好きでいられる自分になる。
そう決めたはずなのに……、一ノ瀬さんの事を想うほど、僕は駄目だ。
「先輩は何で生徒会長にならないんですか?」
嫌なことを考えている最中に、麻美ちゃんが話しかけてきた。
後輩の前で、不格好な顔は出来ない。僕は笑顔を作って答える。
「次期会長は中森だよ。それに僕はテニス部止だ、部活は辞めたくない」
「うーん、でも実質、高木先輩が会長の仕事してますよね?」
言われてみれば確かにその通りだった。
「私は、先輩が会長の方がしっくりくると思いますけど?」
話に割って入ってきたのは美沙ちゃんだ。
「ふふ、ありがとう、そう言ってくれるのは嬉しいよ」
優しく返したつもりだったけど、美沙ちゃんは不満そうだった。
「先輩は、生徒会長になりたくないんですか?」
なりたいかどうか、そういえばよく考えたことなかったな。
僕が気にしていたのはいつも神木先輩のことだった。
あんな風にはとてもなれない。だから、僕には無理だ……。
「やりたいならやればいいじゃないですか。
先輩ならテニス部との両立も出来ると思いますよ?
だって、もうやっているようなものなのだし」
美沙ちゃんの言っていることは、もっともだった。
「私は、高木先輩が会長になって欲しいです!」
麻美ちゃんは、信じられないような事を言う。
僕に……会長になって欲しい?
「じゃあ、少し考えてみようかな」
思わずそう答えていた。
「本当ですか!?」
嬉しそうにそう答えたのは麻美ちゃんではなくて美沙ちゃんだ。
もしかして、ふたりともそう思ってくれていたのかな?
だとしたら、凄く嬉しいことだ――。
この日も、一ノ瀬さんとは帰れなかった。
球技大会実施要項の改訂と打ち直しに時間がかかってしまったのだ。
後輩達にワープロの使い方も説明しなければならない。
待っていてもらうのも悪いから、中森と一緒に先に帰ってもらった。
ひとりの帰り道、少し考える。
生徒会長とテニス部の両立。確かに、不可能じゃないかもしれない。
大場や奈津季さんにはかなり迷惑をかけることになる。
それでも、ここまでやってこれたんだ。
文化祭を中森と一ノ瀬さんに任せれば、仕事量は今とそんなに変わらない。
他校との交流会や、地域活動なんかで部活を休む頻度は増えるだろう。
でも、致命的ではない気がする。
朝練の時間を可能な限り増やして、夜に走りこめば……。
僕が生徒会長、そんなのとっくに諦めていたけど。
やって欲しいと言ってくれる人もいるのなら、やりたいと思う。
それに、もしかしたら、また神木先輩と話せるかもしれない。
ちゃんと謝って、それで……。
やっぱり、駄目かな。
ここで立候補するのも、裏切りなのかもしれない。
神木先輩は僕に送辞を読まれたくないだろう。
僕にその権利があるとは思えない。
そうだ、一ノ瀬さんに話してみよう。
彼女が賛同してくれるのなら、安心できる。
やっと本心に気がついたと思う。僕は生徒会長になりたいんだ――。
「高木くん、聴いてよ!」
今日の一ノ瀬さんはテンションが高かった。
こういう時は、まず初めに彼女の話をちゃんと聞く。
「拓斗、生徒会長やってくれるって!」
何故だろう、その言葉を聞いた時、妙に切なかった。
「本当? 良かった!」
心の奥で何かが小さな音を立てて壊れた。
けれど、すぐに気にならなくなる。
「うん、これも梨香の説得のおかげだよね!」
「本当だよ、ありがとう、一ノ瀬さん」
あ、また自分のことを名前で呼んでいる。
可愛いなあ……。そうだ、これで良い。
僕は勘違いをしていたのだ。
「ふっふっふっー、これで生徒会執行部も安泰だね」
「そうだね、全部、一ノ瀬さんのおかげだよ」
彼女は僕が頼んだことを見事にやってくれた。
感謝しなきゃいけない。
「ところで、今日はどうしたの?」
「ああ、ちょっと声が聴きたくて……」
本当の要件なんて、今更言えない。
そんなもの、最初から無かった。
「またそれー?」
「ごめんね、でも、電話出てくれてありがとう」
そうだ、僕にはこれだけで良い。十分だ。
なのに……、つい、頭によぎってしまう。
「そういえば、最近、正樹君と何話してるの?」
何気なく聞いたつもりだった。
「もしかして、何か変な事考えてる?」
その瞬間、声色が変わった。
一ノ瀬さんがこの手の話題が嫌いなのは分かっていたつもりだった。
彼女は変に詮索されることを嫌う。
何の意味もない、くだらない話をしている方がよっぽど喜んでくれる。
「あ、ごめん……」
思わず謝ってしまった。これも駄目だ。
でも、正樹君と一ノ瀬さんを思い浮かべると嫌な感情が溢れてくる。
正樹君は恰好良い。一ノ瀬さんが彼を好きになってもおかしくない。
むしろ、それが自然なことに思えた。
「もう、謝らないでよ! いい? ちゃんと聞いてね。
正樹君には中学校から付き合っている彼女がいるの!
今は違う高校だから色々大変らしくて、私が聞いてあげてるだけ」
ああ、なんだ。やっぱり僕が悪かった。
一ノ瀬さんは後輩にも優しい。考えてみれば当たり前のことだ。
「そっか、ごめんね! 僕が馬鹿だった」
これ以上、嫌われないように出来るだけ明るく振舞う。
「本当だよ、まったく、もう!」
彼女の元気な応答に気持ちが上向きになった。
本当に凄いな。やっぱり彼女のことが好きだ。
一ノ瀬さんの声が聴けて良かった。
それだけで十分じゃないか。
僕は一体、何を考えていたんだろう。
いつだって、僕はこの人に救われているのに。
電話を切った後、小さな喪失感を覚えた。
この日、僕は胸の奥にあった小さな希望を握りつぶしたのだ。
でも気にしちゃいけない。そんなもの最初からなかった、それで良いんだ……。
 




